肆拾参
授業は、何事もなく終わった。
何事もなかった、というには少々語弊があるかもしれないが、事件は起こらなかった。
ジャパニーズプリンスモドキのお父さんは、校長先生に阻まれて黒川さんに話しかける事が出来なかった様子。
これはこれで良かった。黒川さんの機嫌を損ねずに済む。
しかし、授業が終わって皆が”さようなら”と帰り始めると、クラスの女子達が黒川さんの周りに集まり始めた。
「ねぇお兄さん! 私、一之瀬製薬の杏ですぅ! お兄さんお名前は?」
「ちょっと押さないでよ。私は結城 マナ♡」
「私は鳳翔 麗華でございますわ」
麗華さん、貴女も面食いだったのですね。
もし黒川さんの性格を知れば、世界中の女子達は嘆くだろう。
こんな美形が、ヤクザで腹黒だなんて。まぁイケメンには碌な奴がいないから、何方にしろ私は嘆きたいのだけど。
何だか左腕の傷が疼いてきた。
「そーですかそーですか。はいはい邪魔」
黒川さんも面倒くさがって軽くあしらっている。
女子的にはそれでも良いのか、もっとキャーキャー騒いでいる。
リリアーヌ先生も近寄りたいのかモジモジしているが、一教師としてそれはダメだと分かっているのだろう。一生懸命自制をしている。
「宜しければこれからお食事いたしません? この学園のテラスから見える景色、とても美しいのですわよ」
「結構。食事ならもう取った」
「では間食という事でどうでしょうか? 私、お腹が空いていなくても気軽に食べられるスイーツ、作れますのよ」
「だから結構」
「まぁ、照れなくても宜しいのですよ。お父様にお願いして今度パーティにご招待いたしますわ。鳳翔財閥の社交パーティですわよ。参加したいでしょう? したいのなら、私と今からお食事いたしましょう」
玲海堂学園一の美少女でありお金持ちである麗華さんは、そのお嬢様という風格と容貌とは裏腹に、黒川さんにグイグイアピールをしている。
肉食系女子だったか。
黒川さんはこう見えても器が小さいから、早く黙らないとキレてしまう!!とは言えず。
私もジャパニーズプリンスモドキも、その様子を苦笑しながら眺めるしかなかった。もう知らない。
「ねぇお兄様、私がこんなにお頼みしているのに、何z」
「好い加減黙れ、メス豚」
「...は?」
あ、キレた。オワタ。
私はジャパニーズプリンスモドキと顔を見合わせる。考えている事は同じようだ。私にあそこに割って入る勇気はない。ごめんね麗華さん。
「ピーピーうるせぇんだよ豚。間食スイーツなんてするからそんな体なんだろ? あ゛?」
いや、麗華さん細めです。物凄くスタイルが良いです。彼女を否定したら、世の女性達は多くが肥満体になってしまいます。
まぁ、お嬢様は運動なんてあまりしないだろうから、間食をしていたらあっという間に太るだろう。
私はお菓子を食べずにずっと剣道しているから、脂肪というより筋肉が多い。そう考えると私は細めだろうね。
「あ、貴方...私にそんな口きいて...」
「お前こそ、俺にそんな口きいても大丈夫なのか? そしてお前等は、俺がそんなにかっこよく映るか? 本当、これだから女は嫌いだ。後、俺の事を『お兄様』呼びして良いのはサリンだけだ豚共!」
皆、こっちを見ないで。黒川さんにポインターを合わせて。
私は美味しくないし関係ないよ。
「そうですよねサリン?」
「は、はは...」
曖昧に返事をしておこう。
麗華さん、やってくれたな。折角ジャパニーズプリンスモドキと計画して、機嫌を取って、黒川さんを怒らせないように努めたのに。
「く、黒川 佐凜! この男は...貴女の兄?!」
「そーですよー...」
「おいメス豚。好い加減に口を閉じろ。サリンの名が俺以外の口から発されるだなんて...吐き気がする。さっきまで良い気分だったのに、全部台無しだ。...覚悟しておけ。サリン、私はもう帰りますね。今日は早く帰ってきなさい」
「は、はい...」
「ま、待ちなさい!!」
*
全部皆を守ろうとした事なのに、何故いつも上手くいかないのだろう。
麗華さんの所為だとは言わない。
黒川さんがイケメン過ぎる所為だとは言わない。
一生懸命抗って、踠いて...それでも神様は私に微笑みかけてはくれないんだ。
手を差し伸べてくれるのは、優しい神様じゃない。尊い神様じゃない。
私に微笑み、手を差し出すのは、漆黒のスーツに身を包んだ裏社会の悪魔だ。
私を傷つけて、周りを傷つけてーー大嫌いなのに私が一番望む物をくれる、悪魔だ。
「黒川、俺は...」
「ジャパニーズプリンスモドキは悪くない。誰も悪くない」
「おい、その呼び方止めろ」
誰もいなくなった教室。
私は端っこで虚無感を覚えていた。少し震えているのを感じる。色んな感情が溢れすぎて...もう笑うしかないでしょ。
そんな私の異常を感じたのか、ジャパニーズプリンスモドキは一人教室に残ってくれた。
優しい人だけど、私にはその優しさは勿体ない。
「もう良いよジャパニーズプリンスモドキ。私の事は気にしないで。君のお父さんも、頭をバットか何かで殴ったら、きっと悪い事も私の事も忘れるって」
「悪い事も何も、全部吹っ飛びそうなんだけど」
「ジャパニーズプリンスモドキ、私拷問される最中に死ぬかもしれないからこれだけ言っておくね。...君の名前なんだっけ」
「西園寺 聡だ! というか拷問ってなんだよ!」
あぁ、西園寺 聡ね。ずっとジャパニースプリンスか+モドキで定着してたから、すっかり忘れてしまったよ。
「私ね、君の事好きだよ」
「えっ...お、お前...誰もいないからってそんな...あぁ、実は俺もお前がs」
「友達って意味でね」
「...」
何を勘違いしているのだね。仮に私が誰かに恋したにしろ、黒川さんに殺されるだろうからすっぱり諦める。
それに、イケメンはもう嫌だ。私はフツメンが良い。フツーなメェンで優しくて包容力のある、守ってくれそうな人が良い。
「だから、さっきも言ったけど、もう私の事は気にしないでほしいの。ジャパニーズプリンスモドキのためにも」
「呼び方は変わらないんだな。名前聞いた意味ないのな」
「きっと今日の事で、麗華さんは私に食ってかかってくる。今までは目の上のたんこぶとも思っていなかっただろうけど、明日ぐらいから確実にマーキングされる。もうジャパニーズプリンスモドキに迷惑はかけたくない」
「...それで良いのか?」
「え?」
ジャパニーズプリンスモドキの顔は、いつにも増して真剣そのものだ。
滅多に笑みを見せないジャパニーズプリンスモドキが、その顔に潜めた闇を深めている。
「現実から逃げてどうするんだって言ってるんだよ」
「そんな事言われても...」
「お前はそれで良いのか? 折角友達が出来たのに、それで良いのか? 俺は、胸の内を躊躇わず晒け出せる奴と話せなくなるのは辛い」
胸の内を晒け出せる?
私は、嘘ばかりついてきたのに、真実から逃げてばかりいたのに、何故そんな言葉をかけられるの?
「顔も、血筋も、家も...全てどうでも良い、自由奔放な奴なんて、お前やランスくらいしかいないんだよ! 気軽に話せる奴も、お前とランスくらいしかいないんだよ! だからんな事言うな。ランスも悲しむ。俺だって悲しい。確かに俺の家は黒川組長の傘下だ。下手すりゃ潰される。命だって惜しいさ。でも俺は、傷つく事を恐れるくらいなら、その真実に立ち向かうぞ」
「ジャパニーズプリンスモドキ...私は、君ほど強くない。私は、いかに自分や他人が傷つかないかを考えないと生きていけない。私はもう、悲しみなんて負いたくない。誰にも涙を流してほしくないんだよ!」
私は、肩に置かれた手を振り払う。
「それなら立ち向かえ。逃げるな。目を背けるな。真実は逃げたりなんてしねぇ。ただお前の目の前に、障害のように佇んでいるだけだ。人生は旅だ。道に障害があるから引き返す? それはただの臆病者だ。お前は違うはずだろ。誰も傷つかないように、死なないように。自らを犠牲にした勇敢な人生の旅人だろ。黒川組長なんかに右左と動かされてちゃ、始まりさえしないぜ。だから逃げるな、この現実から」




