肆拾弐
さぁ、始業の鐘が鳴る。
生徒達はピシャリと制服を整え、いつもよりも姿勢良く椅子に座っていた。
まだ保護者はやってこない。しかし、このピリピリとした空間は流石に誰も破れなかった。
着飾った白いスーツを着たスタイルの良いリリアーヌ先生は、黒板の前でソワソワと歩き回る。
一番の前の席の人は、そんな様子のリリアーヌ先生のせいで姿勢を崩さないという集中力が削がれていた。
すると、ジャパニーズプリンスモドキが、私に畳まれた小さな紙を突きつけてくる。
おぉ、これが俗に言う交換手紙という奴ですか。初めてだな...。
『俺が適当にフォローする。お前は組長を怒らせないように、いつも通り授業を受けておけ』
そうか。そうですか。
何か私が思ってるよりも交換手紙って感じじゃないな。
私の想像する交換手紙と言えば...「ねぇサリンちゃん、好きな人いるのぉ?」みたいな内容なんだけど。
重きの置き方が間違っているんだけど。
それでも、何だか嬉しい...いや嬉しくないか。
私が黒川さんを怒らせないようにするには、一体どうすれば良いのか。
そう、いつも通り授業を受ける。いつも通りの私の授業態度は、正に模範生。
もう周りの目なんて気にしない。ジャパニーズプリンスモドキが怒鳴ってくれたし、あれきり嫌がらせも減ったしね。
しかし、無駄に目立ちすぎるとジャパニーズプリンスモドキのお父さんが、黒川さんに話しかける機会となってしまうかもしれない。
リリアーヌ先生は、「フランス語」と「英語科」を担当しているが、今日は「フランス語」。
苦手じゃないけれど、好きでもない。成績は良い方だけれどね。だから、あまり発言しなくても、先生は不信には思わないだろう。英語じゃなくて良かった。
「じゃ、じゃあ、そろそろ保護者の皆様がそろそろやってきます。気張ってやってきましょー!」
先生、声が震えています。
リリアーヌ先生は若いから、案外経験が少ないのかもしれない。
しかも、相手は超一流会社の重役や社長等、怒らせると何か色々危ない相手。緊張してるのは見え見えだ。
他の生徒達は、小・中とこの玲海堂学園で生活してきた者がほとんどで、またこの行事がやってくるのか...という合唱コンクールの練習で歌わない男子の気分だろう。
戦々恐々なのは私とジャパニーズプリンスモドキのみ。
すると、再び交換手紙が突きつけられる。
『そんなに堅くなるな。逆に不自然。大丈夫だ、問題ない』
ご丁寧に死亡フラグ混ぜ込んできやした。
分かる。気持ちは分かる。
しかし事を起こす前にフラグを立ててはいけない。
私はその手紙を破り捨てると、そのままジャパニーズプリンスモドキの机の中に突っ込んだ。途端、
「ささ、こちらでございます皆様方」
廊下側から自信に満ち溢れたおじさんの声が聞こえた。
気になって、私はチラリと入り口を見る。
そこには一張羅のスーツを着た「校長先生」がヘラヘラと媚び諂い、何度も何度もお辞儀をする威厳ある相手が立っていた。
「黒川さん...校長に何したんですか...」
黒川さんは、私にはあまり見せない冷たい表情を浮かべたまま、校長を押しのけて教室へと入ってきた。
校長先生はまだ作り笑いを見せてヘコヘコしている。
これは黒川さん、絶対に校長先生にイラついているな。
あの人すぐに嘘を見破るから。というより、あんな出来上がった笑みを浮かべられれば、私だって嘘と分かる。
黒川さんは仕事からそのままやってきたのか、朝見かけたスーツと同じのを着ている。
彼は私の姿を見るや否や、いつもよりも華やかな笑顔を見せた。
「お前の兄さん、何か...シスコン?っていうの?」
「言うなジャパニーズプリンスモドキ。黙って前を見なさい」
一応授業が始まるという事で、黒川さんは私に笑顔を見せて手を振るだけで、話しかけはしなかった。
黒川さんは気味の悪い笑みを浮かべながら、私の真後ろまでやってくる。
あまりの美形の登場に、教室中はざわめきに包まれた。
あの人は誰の保護者だ?とリリアーヌ先生でさえも顔を高揚させてテンション上がりまくりだった。
麗華さんも見惚れているじゃないか。取り巻きも同様。面食いの多いクラスだな...。
「く、黒川様...こちらの方が見易いでございますよ」
校長は冷や汗をかきながら後ろ側の中心へと黒川さんを誘うが、その言葉に黒川さんの頭に怒りマークを浮かべる。
「俺は此処で満足だ。貴様は黙ってヘコヘコしていろ」
「畏まりました」
黒川さんの命に従い、校長先生は他の保護者にもヘコヘコし始めた。教室中が引いている。ドン引きだ。
この玲海堂学園では、この校長がプライド高く、いかに金を稼ぐかに精を注ぎ、絶対に人を頭を下げないと有名らしい。
いくら金のためとは言え、人に媚びる事は死んでもしないと公言するほど。
そんな校長が今、生徒達の前で一保護者に媚び諂っているというのだ。
「サリーン、ちゃんと来ましたよ。でも私の事は気にせず、いつも通りに授業を受けてくださいねー」
「は、はい...」
あまりの態度の違いに、生徒達は目を見開く。
リリアーヌ先生は張り詰めた空気に負け、声を出せなくなってしまっていた。
「おやサリン、そろそろ授業の始まり時だと思うのですが...あの新人教師は何を固まっているのでしょうかね」
「さ、さぁ...? 少し緊張しているのでしょうね」
リリアーヌ先生、早く授業を始めてくれ。
黒川さんの怒りゲージがグングンと上昇しています。黒川さんのこめかみがピクピクと痙攣している。
「玲海堂の校長? 俺の教育方針だと、役に立たない教師はすぐさま切り捨てるのだが」
「は、はっ! セリエ君! 早く授業を始めないとお前は首だ!」
「ハイイィイ!!」
こうしてリリアーヌ先生は、怯えながら授業を始めた。
いつにも増して挙動不審だが、どうにか生徒達が全力を挙げてフォローしていた。手をギリギリまで挙げてリリアーヌ先生を隠そうとしたり、間違ってでも発表をしたり。
その辺り、この美人先生は皆に愛されているんだなと感じる。
どうやら、天然っぷりとドジさが男子女子関係なく人気を集めているらしい。愛って、可愛さって...素晴らしいよね。
というか...黒川さんがリリアーヌ先生に向かって小さなホワイトボードを見せつけている。
周りの人は気がついていないが、リリアーヌ先生と私は気がついていますよ黒川さん...。ホワートボードには、「教科書182ページをサリンに読ませろ」。
「で、では黒川さん、教科書182ページの例文を読んでください」
教室がざわつく。先ほどまで37ページを進めていたのに、何故突然百ページ以上も飛んだのか。
ジャパニーズプリンスモドキは察した様子で、チラチラと後ろを見ていた。文句を言ってもリリアーヌ先生を追い詰めるだけなので、私はそのまま指示に従う。
「...『私は貴方を愛しています。貴方の過ごす日々が私の幸せです。永遠に私と一緒にいてください、お兄ちゃん』...ぉぃ」
って、どんな教科書だよ!!
黒川さん...嬉しそうなのは結構ですが、意味の分かる人にとっても分からない人にとっても本当に謎だから! 何を言わせたいんだ黒川さんは!
「発音完璧ですよ黒川さん。流石です」
リリアーヌ先生は震え声で私を褒める。
目線がチラチラと黒川さんへと向けられているが、無表情で頷いている黒川さんを見て、先生は少し安心しているようだった。
「えぇ勿論。私のサリンは完璧ですよ」
恥ずかしいから止めてください、黒川さん...。




