参拾玖
虚しいなと思いつつ、私は部屋で学校の宿題を解いていた。
流石、進学校であり、お金持ち学校。
試験は安易なものだったが、宿題の量がかなり多い。
高校は自主的に勉強する事が多いと聞いたが、この将来を担う生徒達を育成する学園ではそうもいかない様子。
しかし私にとってはまだ簡単。
中学校よりも少し難易度は上がったが、それだけだ。
一ヶ月監禁生活している間、私が何をしているかなんて明白。ずっとテレビ見てゴロゴロしていただなんて大間違い。ずっと勉強をしていたんですよ。
元々貧乏だったから、学費をなくそうと一生懸命勉強して、かなり頭が良かった事も確かだけど。
宿題が終わって一息つくと、夕方のジャパニーズプリンスの言葉が頭の中に蘇る。
彼の優しさは本物だ。
しかし、その優しさを押し付けるのは止めてほしい。
今朝の行動だってそうだ。別に机の落書き程度、気にしないのに。
あくまでもそれを消したとして、ただの自己満足に過ぎない。
彼は分かっていない。
何故私が反撃をしないのかを分かっていない。
私が皆を守りたい事を分かっていない。
傷つけたくない事を分かっていない。
それなのに、私を助けるだなんておこがましいにも程がある。
悪いとは思っている。
でもそれと同じくらい、誰も巻き込みたくない。
「サリン、大丈夫ですか?」
黒川さんが、私の頭を撫でる。
あぁ本当に。私の理解者の手は温かい。
彼は意地が悪いから何も言わないけれど、私の気持ちを、考えを、一番理解してくれているのは黒川さんだ。
それは紛れもない事実。
「大丈夫です」
「良かった。ボーっとしていましたからね。風邪引いてたら良かったんですけど」
「そうですねー...え゛?」
風邪引いてたら良かった?
「だって、もしサリンが風邪引いていたら、私がつきっきりで看病が出来るじゃないですか! 仕事も休めるし、サリンと一緒にいられるし、苦しそうな顔も見れるんですよ? 風邪って素晴らしいですよね。あ、もっと重い病気でも良いですよ」
やっぱり、この人は黒川さんだ。彼は私を何よりも愛してくれている。その愛の潤いが私はずっと欲しかった。
枯れ果て、乾いた心に、黒川さんは愛を注いでくれるのだ。
どんな形でも良い。ただこの感触を離したくない。
「黒川さんも、風邪引いて良いですよ。私、元気になるまでずっと一緒にいますから」
「おや、それは嬉しいですね」
「...黒川さん、西園寺財閥をご存知ですか?」
ふとジャパニーズプリンスの事が頭を過る。
彼の傘下ならば、もしかすると知っているかもしれない。
「あー...黒川組にかなりの援助をしてくれている、良い財閥ですね。それがどうかしましたか?」
「いえ。別に...」
「嘘つきですねサリンは。大方、学校で西園寺家の子にでも出会ったのでしょう? 接触してくるとは驚きです」
やはり、婚姻系の話は黒川さんは知らないようだった。
ジャパニーズプリンスが言っていた事が事実か否かは分からないが、彼に嘘をつく理由はない。
私が考え込んでいる所を見て、黒川さんは眉を顰めた。
私が宿題を片付けようと手を伸ばすと、黒川さんは後ろから強く抱きしめてきた。
「嘘をつくのは良くないですよ。分かりますか?」
「...」
何でこの人はいつも、私の考えを見透かしているのだろう。
五感も超人じみているし、もしかするとエスパーなのかもしれない。
いや、割と本気で。
一般人離れした整った顔立ちに、恐ろしさに、能力に。
人間ですらないかもしれない。
「おや、私は人間ですよ。ただ私が超人的になれるのは、サリンに関してだけですがね。あぁ、今日も小さくて可愛いですねサリン」
「あ、ははは...」
「そろそろ、シャンプーの種類を替えますか。この匂いにも飽きてきましたし...サリンを感じられるように、匂いの弱いものにしますか」
ついでに髪の匂いを嗅いでくる黒川さん。
確かにこの甘い香りは少しキツイかもしれない。黒川さんも同じのを使っているけど、きっとこれは女性用だ。そうに違いない。だって黒川さんの髪の毛から物凄く良い香りがするんだもの。
西園寺財閥の事なんて彼の頭から吹っ飛んで、次は髪の毛を弄り始めた。
「まだ伸ばしてくださいね。一応美容師の免許も持ってるので、アレンジは自由自在ですからね」
「ま、まだ切っちゃダメなんですか...?!」
もう髪の毛は腰辺りまで伸びている。
枝毛もない滑らかな綺麗な髪となっているが、時々黒川さんがハムハムしているのを私は知ってる。
髪の毛にはミネラルがあるけど、美味しくも何ともないからね。食べ過ぎると胃にへばり付くからね。
「そりゃあそうでしょう。うーん...もう少しは伸ばしたいですね。切った髪の毛は、編んでお揃いのマフラーにでもしましょうか」
いや、いやいやいや...流石に髪の毛でマフラーを作るのは無理があると思いますよ。
黒川さんは私の髪に顔を埋め、首筋を舐めながら深呼吸をし始めた。
ゾゾゾッと鳥肌が立つも、黒川さんの腕はより一層私を締め付けてくる。
「甘い甘い...柔らかいですね」
変態め。




