参拾弐
「じゃあ、次はサリンちゃんが教えてよ」
「さ、サリンちゃん...? 私を下の名前で呼ぶのは止めていただけると...」
「えー、だって堅いの好きじゃないし...で、家はどんなお仕事をしてるの?」
和宏さんは、私の都合も知らずにグイグイと顔を近づけてくる。
イケメン怖い。
まんじゅう怖い的な奴ではなく、本気で怖い。って止めろ触るな。
相手で王子だろうが何だろうが、私には関係ない。粛清なんてイケメンに比べたら赤子みたいな感じですよ。
途端、チャイムが鳴り、教室のドアがガラガラと開いた。
ドアからは、ボウリングの球を入れているのではないかと思うほど巨乳の女性が、スーツを着こなし、ボードを手に持ちながら入ってきた。
女性は日本人ではないようで、燃え盛る炎を連想させる赤い髪に青い瞳を持っている。
あまりの美しさに、私は一瞬魅入ってしまった。
「ハーイ、皆さん、一旦席についてください。早くお願いしますね」
外人の割には少しの訛りで流暢な日本語を話す彼女は、担任の先生だろうか。
和宏さんは、渋々ジャパニーズプリンスに引きずられ、自分の席へとついた。
お嬢様方は和宏さんが私に話しかけたのがどうも気に食わない様子で、憎々しげに私を睨みつつ、踵を返して椅子に座った。
全員が着席しているのを確認すると、女性は黒板に文字を書き始める。
「Liliane Cellier」...リリアーヌ・セリエ。フランス人だろうか。
「私の名前は、リリアーヌ・セリエです。このクラスを一年間持つ事になりました。フランス語担当です。宜しくお願いします」
リリアーヌ先生は一礼する。男子の視線はほぼ、彼女の上半身に向けられていた。ただでさえ物凄く整った顔立ちをしているのに、スタイルも良いんじゃ、さぞモテるのだろうなと私はふと考える。
黒川さん...先生に惚れないかな。うん、無理だね。
「今からホールへ向かい、入学式を行います。番号順に並んでくださいね」
廊下にゾロゾロと並び出す生徒達。
生憎、私の後ろだったのはジャパニーズプリンスだった。
黒川と西園寺...確かに近いが、まさか隣り合わせだとは思わなかった。彼は少し微笑みかけてきたが、それはどう考えても憐れみにしか見えない。
「ランスの事だが、面倒なら無視してくれても構わない。俺も何とかするから...」
「あの人を無視し続けると、昼夜問わずに押しかけてきそうなので、それはちょっと...幼馴染なのでしょう? ....ファイト」
「悪い、心から謝るからそんな目を向けないでくれ」
ジャパニーズプリンスはイケメンだが、悪い人ではないかもしれない。
自由奔放な幼馴染に振り回されている可哀想な人なのだろう。
日本男児最高。いや待って、黒川さんも日本男児だ。さっきのはなしの方向で。
「移動しますので、私語は慎むように」
リリアーヌ先生の声が廊下に響き渡った。苟も令嬢と子息達だ、移動中に私語などはマナー違反。注意せずともそれはないだろう。
私はホールへと向かう間、挨拶の内容を思い出して繰り返し始めた。
この件で目をつけられてイジメの対象になったら困るが、ただの思い込みかもしれない。
お嬢様でも、良い子はいるはずだ。イケメンでも、普通の奴はいるはずだ。ジャパニーズプリンスは優しいが、絶対に只者じゃない。空気的に。
そんな考えを頭の中でグルグル回していると、進んでいく列が止まった。
体育館の方から男性の声が薄らと聞こえてきて、A組の担任であるリリアーヌ先生は一礼すると、ホールの中へと入っていった。
少し首を動かしてみると、新聞やテレビで少し見かけた事のある著名人や大手企業の社長ーー勿論黒川さんの姿も見えた。
彼は私に笑いかけてきていた。
その魔力のある笑顔で安心したまま、私は前の人の背だけを追い続け、用意されていた新入生用の椅子に座った。あれ、絶対「魅了の魔法」だよね。
全員が入場し終わると、入学式が始まった。
始めの挨拶、校長からの挨拶、来賓からの挨拶...と、次は私の番だ。
『新入生代表の言葉、黒川 佐凜』
「はい」
私が立ち上がり、ステージまで歩き始めると、新入生から他学年の生徒、ついには保護者までにもざわめきが波となって溢れかえった。
私の名前は特に有名なわけではないが、一体何事なのだろうと耳を傾けてみると、
『何で西園寺様じゃないの?』
『というか、黒川って誰...?』
『西園寺様は、試験は全てほぼ満点だと聞きましたわよ』
『あの難易度のテストをほぼ満点? じゃああの子は...』
今までの学年最優秀成績は、全てジャパニーズプリンスが独占していたようだった。
本当に申し訳ない。
西園寺という家名は、私でも聞いた事がある。王族と幼馴染という事もあり、彼はきっと良い家柄なのだろう。
顔立ちも、性格も、成績も、家柄も良いとすれば...ますます碌な奴じゃない感が...吐き気がしてきた。席が隣でないのだが唯一の救いとも言える。
私は小さくため息をつくと、ステージに上がり、一礼をして真ん中までやってきた。日の丸の前に立って挨拶だなんて、総理大臣にでもなって気分だ。
幾千もの瞳が私に向けられるが、心臓の音は正常だった。受験よりかはよっぽど簡単な仕事だ。
マイクを調節すると、私は挨拶を始める。
「晴天の暖かな空の下、桜舞う景色に包まれながら、伝統ある『玲海堂学園高等学校』に入学できました事、大変嬉しく思います。本日は我々のために、栄えある方々によってこの入学式を開いていただきました事、心より御礼申し上げます。
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学園の伝統を重んじ、玲海堂に相応しい生徒となるよう、これから精進して参りますので、どうか宜しくお願いいたします。...新入生代表、黒川 佐凜」
挨拶を終えると、ホールの中で大きな拍手が木霊した。一語一句間違えず噛まずに言う事が出来た自分を、思い切り褒めてやりたい所だが、今は席に戻らなければならない。
来賓席をみると、黒川さんは満足そうな顔で頷いていた。
もう一度一礼すると、私は席へと戻った。
椅子に座ってひと段落すると、隣のジャパニーズプリンスが小さな声で話しかけてきた。
「上手だったな、慣れてるのか?」
「いえ...こういうのは初めてです。すみません、どうやら皆さん貴方が挨拶されると思っていらっしゃったようで...」
「俺結構良い点数取れてたのに」
ジャパニーズプリンスは子供っぽい笑みを浮かべながら、ステージを見た。




