参拾
私は車を止めたあの豪華なロータリーまで走ってやってきた。
ありがたい事に、生徒の姿は見えない。
試験日からお嬢様やお坊っちゃまの顔なんて見ていたら、私は頭痛に苛まれる事になるよ。
チャイムは鳴り、授業も終わったはずだから、そろそろ姿が見えるだろう。
もし来たとしても、どうか一庶民の私には構わないでももらいたい。
黒川さんの事だから、私が出てくる頃には待機しているだろうと思っていた。しかしそれは私の中の幻想だったようだ。
あやつら、こういう時に限っておらんぞ。
今この時だけは、心から黒川さんを求めている。後藤さんや、もっと車のスピードを上げて私を迎えに来ておくれ。
噴水の淵に座り、私は湧き出る冷水に触れた。
全身が寒気に覆われ、氷を手につかんだようだったが、私は手を出さなかった。
今は寒さなんかに気を取られている場合ではない。黒川さんだ。
黒川さん、早く迎えに来て。学校の方から何やら声が聞こえるんだよ。
流石にこの場所で遊ぶ連中も少ないだろうが、人は来るだろう。
俯きつつため息を漏らしていると、黄色い声が近づいてくるのを本能的に感じ取った。
ふと視線を上に上げると、校舎の方から数名の可愛らしい女子生徒に囲まれた、爽やかな顔立ちの男子生徒二名がこちらへ向かっていた。
男子生徒は周りの女子を特に気にしている様子はなかった。寧ろ無視していると言った方が正しいだろう。こういう学校でよくある、イケメンの周りを飛ぶ取り巻き...のような感じか。嫌だ。
片方は金髪で、ハーフのような顔立ちをした奴。もう片方は和の雰囲気に包まれた日本のプリンスみたいな奴。イケメンか...苦手な人種だ。
彼等の声が、黒川さんの影響により敏感になった聴覚で嫌という程聞き取れる。
「あれ、今日は先客がいるね。誰だろう?」
「確か今日は、編入生の試験じゃなかったか? ちょっと声でもかけてみたら?」
「良いね、同い年っぽいし、仲良くなれるかも」
それを聞き取った私はゾッとして、淵から立ち上がり、別の場所で移ろうとした。
途端に素早い足音が聞こえ、気がついた時にはすっかり左腕をホールドされていた。
下手人は、ハーフらしき男性生徒だ。確かにイケメン。イケメンだとは思うが...碌な奴がいないって事を忘れないでほしい。
私の頭の中には、一瞬でたくさんの選択肢が浮かんだ。
・逃げる
・叩く
・そのまま
・叫ぶ
・殴る
・蹴る etc...
しかし、それを実行する間も無く、彼は言った。
「やぁ、僕はランスフォード・フラット・和宏! 中等の三年だよ、君は?!」
やはりハーフの方でした。では和宏さんをお呼びしますねーーというわけにもいかず、私はただ無言で逃げようとしていた。
和宏さんはというと、私にグイグイ顔を近づけてくる。
残念ながら、私は男性に耐性はあっても同年代の男の子の耐性はない。だから手を離せ。
「離して! 離してってば!」
「止めろランス、彼女嫌がってるだろ」
「えっ、でも...君がこの前、女の子は強引な方が良いって...」
「人による」
ほら、やはりイケメンは碌な奴がいない。
しかし、本気で彼にはやめてほしい。女子からの視線が怖い。
絶対に見た目からして、縦ロールとか巻き髪とかツンツンとか、絶対に良い所の令嬢だから。
今敵に回せば今後の学校生活が危うくなってしまう。お金持ち学校で孤立なんて、絶対に避けなければならない。
「早く離さないと、貴方殺されるよッ!」
死に物狂いで私は叫んだ。
もし黒川さんにこの状態を見られたら、後に何をしでかすか分かったもんじゃないからだ。
例え相手が一国の王子だったとしても、確実にあの人は殺す。ついでに私も殺される。
これだけはどうしても避けたい。友達ができるできない以前に、人の命が危ういのだ。
しかし、和宏さんは私の言葉など耳に入っていないように感じた。まだ腕を掴んだまま離さない。
強情な奴は嫌いだ。
「離せ!」
私は逆に彼の腕を引っ張り、腹に膝蹴りを食らわせた。これは自業自得だ。私に責められる理由は...ないはずだ。きっと。
彼が何者かなんて知らない。でも、私は自分の道を行く。誰に邪魔されても進むって決めたんだ。
これは、貴方を守るためなんだから、良ければ怒らないでいただけると大変恐縮です。
和宏さんは私の膝蹴りを食らって、酷くむせた。
胃が空だからか嘔吐物はなかったが、私の腕への圧力をなくし、その場に倒れこんだ。
もう一人の男が和宏さんにかけよる。女子生徒は私の方を指差してこう言った。
「貴女! フラット様になんて事をするの!」
「”様”? というか、自業自得だし。人の言葉を聞かないのが悪いのよ」
「どうなっても知らないわよ。貴女の家族、入学早々仕事をなくすかもね」
「フラット様! 大丈夫ですかぁ♡」
「私もう心配で心配で...」
家が何だ、うちはヤクザだ。どうせなら、壊滅させてくれるのなら是非ともそうしてもらいたい。
そうすれば私は晴れて自由の身となり、黒川さんの言う事を聞かないで済む。
それに、また父と暮らす事ができる。私にはもう、怖いモノなんてあまりない。
私がその場を立ち去ると、噴水の傍には黒川さんのリムジンが停まっていた。
急いで車に乗り込むと、黒川さんは優しく微笑んだ。
「そんなに息を切らして、どうかしましたか?」
「いえ...ただ、膝蹴りをかましていただけですよ」




