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弐拾参



 鉄のような不快な匂いが鼻の内側にこびりつく。

 私は銃を構え、彼等が手を挙げ、跪くのを待った。

 外国人の男性は撃たれる事への恐怖心が強いのか、すぐに私に従ってくれた。石井は傷を庇ってしゃがみこみ、スーツ男は、まだ頑として動こうとしない。

 こうなる事は覚悟していたのに...今になって、再び体が震えてきた。


 嗚呼、何で私は、こんなものを手をしているのだろうか。


 無意識が怖い。

 自分の中の自分に支配されるのが怖い。

 不安が優しく微笑んで、私を優しく包み込んでくれていたはずなのに...その温かささえも消えていた。

 音のない廊下に、心の叫びが響く。

 やはり、私はどう足掻いた所で、普通の女の子・・・・・・だ。


 しかし、今この場で銃を下せば、私はまた捕まる。それだけは絶対に嫌だ。


「早く伏せてください」


 私はスーツ男に銃を向ける。

 しかし彼は、それでも表情を変えずに直立不動を続けていた。

 そして、私を見ながらこんな事をほざき始めた。


「本当はそんな事したくないのに、無理をしている...」

「な、何を言って...」

「本当はこんな事に巻きこまれたくない! 平穏な日々が欲しいのに! 君は...いつもそう思っている」

「...貴方に、貴方に私の何が分かるっていうの。本当に撃ちますよ」


 何だよ、だから何だって言うんだよ。

 確かに私は平穏な日々が欲しい。お金がなくても良い、不自由な暮らしでも良い。平和で、静かな日常を過ごしたい。しかしそれは、私の境遇を知っていれば、誰にだって予測がつく。

 全ての苦しみを耐え忍んできた私の気持ちが、こんな奴に理解されてたまるか。


 体の震えが止まった。

 撃つという言葉は、本気だ。


 私は、もう既に一人の男を傷つけている。

 痛い衝撃に耐えれば、私は今すぐにだってこの三人を殺す事が出来るのだ。黒川さんはきっと...私が人を殺したなんて知ったら、喜ぶんだろうな。


 それでも彼は伏せない。

 人を傷つけたくないのに...何で、早く伏せてくれないの?!


 自然と目尻に涙が溜まる。


「私の所においで。私ならば君を救える」

「救わなくて結構です」

「あぁ...サリンちゃん、だよね。あの黒川とかいう男は、この場所を知らない。だからもう、君は安全なんだ。傷をつけられる事も、嬲られる事もない。私は君を助けーー」

「ならば何故、私を箱に入れたの? 牢に入れたの? あんなさらい方をしたの?」


 初めてだ。

 私を救おうなんてバカな真似をしてくれようとした人は。その事は素直に嬉しかった...。


 でも、私は警察に保護されようと逃げるし、無理矢理外国に連れて行かれたとしても、全力で黒川さんの元へと戻る。

 それは、黒川さんを愛しているからではなく、父を・・愛しているからだ。

 もし私が逃げたら、父が殺される。

 もし私がいなくなったら、父が殺される。


「牢にでも入れないと、お前は逃げるだろ? あんなさらい方しなきゃ、お前は捕まえられないだろ? 箱か...あれはまぁ、『箱入り娘』の今のお前にちなんで?」

「ダジャレだったのか」

「あぁそうだよ、当麻」


 当麻...このスーツ男の名前だろうか。

 石井は痛みに耐えながらも私に向かって言ってきた。


「なぁお前...人殺した事ねーだろ?」

「...。さっさと、伏せてください...」

「可哀想に」


 当麻さんは初めて顔に表情を浮かべた。

「哀れみ」に満ちた表情...こんな男にまで同情される程、私は墜ちていたのか。何方が悪者かもう分かりやしない。

 当麻さんは、本心で私を助けようとしてくれるのか...それとも嘘か。私にか理解出来ないし、知りたくもない。自我を失いそうで、怖かった。


「....早く...伏せてください...撃ちたく、ないんです...」


 全てが恐ろしく感じた。

 当麻さんは一歩一歩、ゆっくりとこちらに近づいてきた。


 思わず何度も引き金を引き、彼の肩、腕、髪、足を、銃弾に貫かせた。

 私に、頭を撃つ勇気はない。

 

 当麻さんは、何発も撃たれても尚、歩みを止める事はない。

 引き金の音が空となったのが耳に入る。咄嗟にもう一丁を取り出そうと構えたが、もう、すぐ側まで来ていた当麻さんが、私を強く抱きしめた。


 あまりに唐突で、意外で、思わず脱力してしまう。

 私は当麻さんと一緒にその場で座り込んだ。

 一体この人は...何がしたいんだ?


 心なしか...当麻さんがすすり泣いているような、そんな音が聞こえた。





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