弐
「どうしたこうなった...」
借金負って、父親と別れて、ヤクザの妹になって、抱き枕にされて、剣道で無双して、さて、今は何をしているでしょうか?
「黒川 佐凜さん。少し、お話をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「...」
この頃、黒川さんは前ほど過保護ではなくなってきた。
段々新しい街にも慣れてきて、道も覚えた。今まで送り迎えは車だったが、つい昨日から歩きとなったのだ。
「よし! これであの黒い過保護野郎の束縛を1つ解除出来た!!」
と、心の中でガッツポーズをして、夢の世界で宴会を開いたほどだった。
はぁ...現実逃避に過去を振り返るのは、もう止めた方が良いかもしれない。今私の目の前には、私のお目付役である後藤さんが「気をつけた方が良い」と言っていた警官がいるのだから。
日本警察は優秀だ。ヤクザには多くの見張りをつけている。もちろん、戸籍上、黒川さんの妹である私もマークされている。「俺は無実だァア!」と叫んでやりたい所だ。
他の人達はともかく、私は何もしていないし、何も知らない。
「黒川 佐凜さん。少し、お話をお伺いしてもよろしいでしょうか」
この若年刑事め。警察手帳を見せながら、何度も反復してくる。分かってますってば。
聞いた話、「黒川組」は警視庁の全課から追われているらしい。どんだけ悪い事してるんですか黒川さん。しかし文句も言えず。日本一と呼ばれる程の極悪なヤクザグループだ。もう諦めた。絶対に黒川さんは更生しようなんて思わない。
「黒川 佐凜さん。少し、お話をお伺いしてもよろしいでしょうか」
「...嫌です」
しつこい刑事を無視して、私は家の方向へ歩き始めた。刑事は諦めた様子もなくしつこい。
「お兄さんの黒川 真人さんについて、何かご存知ですか? あの!」
「...」
無視しても無意味なようで、刑事は根気強く私に迫ってくる。この人も仕事をしてるんだろうけど、個人的には不快以上の何物でもない。そもそも、だ。
私はヤクザではないわけで、兄が何をしていようと私には関係ないし、何も知らない。
このまま家までついてこられても迷惑なので、今の内にやるべき事はやっておこう。
「任意ですよね? しつこいです。お引き取りください!!」
*
「黒川さぁん...」
「よしよし、良い子ですね...」
あの後、私は走ってあの刑事を巻いた。若年刑事は焦った顔をして追いかけてきたけど、すぐに見失ってくれた。若年で良かった。
お陰で若干迷子になったが、どうにか家には戻ってこれた。
一応報告という事でこの事を話したら、黒川さんに褒められた。刑事を巻いて褒められるなんて嬉しさの欠片も転がり落ちてこないが。
それとはあまり関係ないけど...私が猫なで声を出したのは、決して甘えているとかそういうのではなく、ちゃんとした原因がある。
「ネットで、『猫のツボ』が載ってて。やってみて良いですか?」
「え゛、何で私なんですか?!」
「フフ、刑事を巻いたご褒美です」
やらしい笑みを浮かべた黒川さんは、私を羽交い締めにしてベッドに押し倒した。や、「猫のツボ」って...私、これでも人なんですけど。
いや、抱き枕からペットにグレードアップしたと考えれば良いのか...?
「...此処ら辺かな」
馬乗りをされると、どうにも抵抗が出来ない。逃げても銃を突きつけられるだろうし、無闇に嫌がってもドSな黒川さんは喜ぶだけだ。こうなったら、私は身構えて待つしかなくなる。
ニコニコしながら「猫のツボ」らしきものを押してくる黒川さん。気持ち良いとか、そういった類のものではないが、全身の力が抜け、体が軽くなったような感覚に襲われた。普通にツボマッサージじゃないか? これ...。
「ふむ...勿論、サリンは何も言いませんでしたよね?」
「しつこかったので怒鳴りましたが、それ以外は何も」
黒川さんが他のツボを押して一人で楽しんでいる最中、私はあの刑事の特徴や名前を教えた。しかし彼は首を傾げる。
「新人かもしれませんね。しかし、一人でサリンに話しかけるとは。中々命知らずのようです」
「私は黒川さんと違って、不用意に人を傷つけたりしませんよ?」
「いえいえ、傷つけるのはサリンではなく...」
「俺だよ」
耳元で囁かれた声に、思わず鳥肌が立った。何でベッドに枕元にいるんですか後藤さん...。
「殺ろうと思ったが、途中で思いとどまった。まだほんの子供に血しぶきなんて見せる必要性は、見当たらねーからな」
「そうなんでーーって、ぁあ...ちょ、そこは止め...ぁあん」
「ん、面白い反応を見せますね...」
今黒川さんが押さえているのは、耳の裏辺りのツボだ。なぁにこの人、整体師? 変態紳士?
怒りしか湧いてこない。もし録音してたら、怖いけど爪楊枝を何本か刺すつもりだ。
*
ーー黒川 真人視点ーー
サリンが俺の元に来る、一ヶ月程前の話。
俺はその頃、何故だかは知らないが、四六時中イラついていた。
病気になっているわけではないが、碌に仕事に集中出来ず、タバコや酒を飲んでも落ち着かない。
日頃のストレスが溜まっているのだろう、と後藤に言われた。組を継いで早三年。体や心を労った記憶なんて、一切見当たらない。
「組長、赤城の件ですが、どうされますか?」
俺がうたた寝をしていると、部下の一人が聞いてきた。
赤城...というと、組のブラックリストに載っているあいつだ。俺でも名を知っている。五億もの借金を先代組長の代の時に背負い、そのまま返せず利子だけが増えている。
「赤城か。確か、五億も借金背負ってるのに、碌に返せていない男だな。...あいつには一人娘がいたな。売れ」
「臓器ですか? それとも売春宿?」
「どっちでも良い」
あの頃の俺は、本当に最悪だ。イライラしていたからなど関係ない。
あの可愛いサリンの体の一部である臓器を売ったり、売春婦として体を売らせたりするなんて絶対に認めない。もしタイムマシンが発明されたら、すぐさまあの頃の俺を殴り殺すつもりだ。絶対に許されない発言をしてしまった。
「写真を見せろ。もし面倒なのだったら困るからな」
「はい」
部下は、ポケットの中から一枚の写真を取り出した。今思えば、何故そこに入れていたのか不思議だが、気にしないでおこう。写真には、いかにも純粋そうな可愛らしい少女。日本らしい可憐さと淡い雰囲気ーーきっと将来は美人になるだろうなと思いつつ、俺は少女の目を見た。
俺の頭の仲に、少女そのものの”ビジョン”が映し出される。
喜怒哀楽があまり見られない大人しく可愛らしい少女。しかしその裏はある意味の「金の亡者」。借金を返すためならどんな事だってする女だ。詐欺まがいの行為も一時期はしていたようだった。
おまけに、とてつもない異常性を持っている。
「...面白い娘だな」
「え?」
何故だか分からない。しかし、その瞳に惹かれた。その容姿に惹かれた。その心に惹かれた。
調べさせると、少女は現在、中学生である事を隠して、バイトをしているようだった。
性格、趣味、行動パターン...何もかもを調べさせた。失敗して怒られている所や、僅かな金でも喜んでいる少女を見ると、俺は痛快な気分になる。欲しい...、純粋にそんな事を思えたのは、これが初めてだ。
しかし、手に入れるだけでは面白くない。もっと苦しませたい。もっと嫌がらせたい。
偽の請求書じゃつまらないな。もうそろそろ実行に移そう。
*
「やっと来ましたね。何時か何時かと楽しみにしていましたよ」
一人称は”私”。そして敬語も使ってやろう。あの子だけは、特別だ。
戸籍も変えてやる。どうするか...妹なんてどうだろうか。新たな名前は...名字だけを変えてやるか。下の名前は大切にしていると聞いたからな。さすがにそれだけは残しておいて上げても良いだろう。それに、「サリン」という名、嫌いじゃない。
やがて、サリンは俺の妹になった。毎晩のように抱きしめる事が出来る。虐める事が出来る。
父親の事で脅すと、サリンは小動物のように小さく縮こまる。まるで可愛い子猫みたいだ。まぁ、父親の事で脅しても、正直”嘘”としか言いようが無いんだがな。
「何故ですか? 組長」
「ん、お前、知らなかったのか?」
俺はニヤリと笑って、部下の問いに対してこう言った。
「あの子の父親は、俺が殺したんだよ」