拾玖
ーー黒川 真人視点ーー
サリンに印をつけてから、早一ヶ月。
こんなにも時の流れを早いと感じるのは初めてだ。
一ヶ月の間、サリンはいつも笑顔でいてくれた...つい嫌がらせをしたくなって、いじってしまう。まぁ、サリンは毎度毎度可愛い反応をしてくれるから、別に嫌がられても構わない。
今日はサリンが学校へ行く日だ。
足を切り落としてでも引き止めたかったが、呆れ顔の後藤が俺に言った。
「男に二言はないですよ」
と。
ちょっとカッコ良かったから、完コピしてサリンにも言ってみた。それ程カッコ良くなかった。
さて、笑顔で屋敷の出るサリンの背中を見ていると、酷くもどかしいような気分になった。
だが、今ならきっと大丈夫...サリンはもう完全に俺のものだし、後藤だって護衛につけている。何人足りともサリンを傷つける事は出来まい。多分。
これから、俺以外の醜い人間達の世界に、サリンは晒される事になるのだ。
考えるだけで胸が苦しくなってくる。...と後藤に言ったら、「病院に行け、精神科に」と言われた。
俺は仕事中に小さく息を漏らす。
今回は、中国マフィアとの麻薬取引。
特に問題もなく取引は進み、問題のアタッシュケースの確認をしようとしていた。中にはきっと、数え切れない程のクスリがビッシリ詰まっている。
やはり、こういう取引にはリスクが伴うが、相手はこれまでの取引も兼ねて、信頼出来る人間だけにしているし、自分が直々に出ないと気持ちが悪い。
それに、基本的に俺は、お互いの組長、基いボスがその場にいないと取引はしない。
俺の目の前には、だらしなくシャツのボタンを開け、金のロケットを首から吊り下げ、黒いジャケットを羽織っている中年のマフィア。
すると、小太りの彼はこう言った。
「黒川? 今日は機嫌が悪いようだ、どしたんだ?」
彼は、流暢とまではいかないが、日本語を話す事が出来る。
この間も少し酒を飲み交わした。
江 錦濤、中国のマフィアグループのトップだ。俺も少なからず中国語は話せるが、錦濤の方から日本語で話しかけてくるので、別に使おうとは思わない。
お国の方でもかなり大規模な活動をしている男だ。国が近いという事でも、イタリアンマフィアより親交も深い。
「いや別に。何でもない」
そう言いながら、俺はケースを開ける。
中には麻薬が大量に。ケタミン、覚せい剤、アヘン、ヘロイン、マリファナetc...。
様々な種類のヤクが大量に入っていた。勿論俺は使った事などない。もし使ったりしたら、サリンに何をしてしまうかしれたもんじゃない。クスリに依存なんてごめんだ。
「おい、ババナ」
「へい、組長」
青いモヒカンに、アロハシャツ。
こんな奴を街で見かけたら、俺でも警察に通報する程の外見変質者である人物が、小分けにされた袋の中から少しずつ麻薬を取り出し始めた。
こいつは通称、「ババナ」。
自称フィリピン人の元詐欺師だ。本名は知らない。
このおかしなあだ名は、組に入る時に仲間に好きなものを聞かれ、「ババナです!」と噛んでしまったのが由来とされるらしいが、まぁどうでも良いな。
ババナは数種の麻薬を吸っていた。
こいつは麻薬取引には中々便利だ。数多の薬物を吸い、そして、全ての味を覚えている。
本当かどうかは知らないが、依存もしていないとの事。なので、取引の時は、麻薬が本物かを確かめる役目を背負っている。
すると、錦濤が楽しそうに言う。
「こいつ、面白い奴」
「そうだな」
「今日は本当にどしたんだ? 具合悪い?」
「いや...」
「うーん...サリン、か?」
サリンの事は、俺と取引をしている組織のトップならばーー何故だかは分からないがーー皆知っている。
誰が情報を漏らしたかなんて知らないし、興味もないが、会わせなければ何ら問題はない。
「そうだ」
「珍しい。黒川が執着するのは」
「まぁ、俺にも大切なものが出来たという事だ」
すると、楽しそうに笑っていた錦濤は悲し気につぶやいた。
「俺は、仕事のせいで、家族を失った。だから黒川、お前だけは...妹を大事にしろ。この仕事のせいで、家族を失うな」
「...あぁ」




