拾睦
今から、「お仕置き」と称した拷問が始まるのだろう。
私は黒川さんにベッドに押し倒され、鋭い刃物を向けられる。
仕方がない、自分で決めた事だ...私は、死を覚悟して目を瞑る。
いくら「お仕置きはそこまでたくさんしなくても良いかもしれない」とは言っても、殺されないとも限らない。相手は普通の人間ではない、黒川さんだ。
楽しそうな表情で首筋をナイフでなぞる彼の姿が、悪魔のようにも見える。
「傷つけるのは実に惜しい。でも許してください。これは...『調教』なんですから」
「っ...」
「私は動物じゃない、とでも言いた気な顔ですね。仕方がないですよ、貴女が悪いんです。貴女がこうさせるんです。本来なら、傷つけて犯して泣かせて...身も心もボロボロになるまで追い詰めて、優しく抱きしめるつもりでしたが...流石に妹にそれは、ね。反省もしているようですし」
謝って良かったと切実に感じる。
笑顔で言う事ではない。
片手で私の首を絞めながら、彼は私の左腕の服を切り裂いた。日焼けしていない白い肌が露わにされ、黒川さんはそれを愛おしそうに撫でる。
「ねぇサリン、見ていてくださいね...」
途端、左腕に激痛が走った。
黒川さんは鋭いナイフを腕に立て、ジリジリと肉を切っていく。シュッと一思いに切られるよりも、ずっと痛い。
真っ赤な液体が、ゆっくりと傷口から溢れ出し、シーツに華が咲いた。血は嫌いだ。痛いのも嫌いだ。だが、此処は我慢しなくてはーー
「くろ...かわさん...? 何を...」
「痛いでしょう? 私の心は、もっと苦しかったんですよ」
腕を切るのを止める様子はない。
ただ何か、ナイフで模様を刻んでいるようだ。表面を軽く切るのではなく、深く、ゆっくりとナイフを動かしているせいか、痛みは増していくばかり。
私は声にもならない叫びを上げるが、気にする様子もない。目から大粒の涙が溢れてきても、噛み締めた唇から血が流れても、彼は残酷に、私の肌に印を残す。恐らくは、一生消える事のないものだ。
「あぁ、泣き顔も可愛いですね。大丈夫、私のものだという証を、今刻み込んでいるだけですから。ね?」
「ぁ...っ、痛い...」
「もう少しの辛抱です。さぁ、我慢して」
終わった頃には、腕は血に塗れ、顔は涙でグチャグチャになっていた。
左腕にはクッキリと、丸に鷹の背合わせとバッテン印が重なっている、黒川家の家紋が刻まれていた。器用なものだ。もう血縁者のいない黒川さんにとって、この印は、自分のものだという証明になるのかもしれない。
しかしながら...妹にこれを刻み込むのはどうかな。
喘ぎ、息を切らした私の押し倒されているベッドは、鮮血に染まっている。
先程以上の酷い匂い。黒川さんの狂気に満ちた表情が、頭の中をチラついて離れない。
「どうですか? 美しいでしょう? 殴って嬲って蹴って犯してやっても良いですが...まぁ、流石に倫理的に間違っていますからね。後にとっておきます」
「...」
「さて、包帯を持ってきますね。その状態で放置していても、しっかり身に染み込まないでしょうから」
*
血を拭き取り、止血をした自分の腕を見る。
腕には、痛々しい傷が残っていた。一応良識のある黒川さんは、応急処置はしっかりとしてくれた。
叫び出したいのを堪え、私はもう痛くないような素振りをする。
「昔は、奴隷には『焼印』を押していました。今のヤクザ界では、決意の証として『入れ墨』を入れています。しかし、サリンは奴隷ではありませんし、私は入れ墨の入れ方が分からない。だからナイフで刻み込みました。如何でしょうか?」
「黒川さんは...自分で私に...」
「当たり前です。サリンは私だけのものですから」
「...」
「ねぇ、可愛いサリン」
黒川さんは私を強く抱きしめた。
「綺麗な髪も、キメの細かい白い肌も、潤んだ瞳も、可愛らしい声も、涙も血も汗も吐息もーー全て全て、私のものです。何人たりとも、傷つけはさせませんから...安心してください」
こんなに束縛されるとは思わなかった。此処まで黒川さんが、私に離れてもらいたくないと思っているとは...。
「...黒川さんは、私を何だと思っていますか? 物ですか? それとも一人の人間ですか?」
「妹ですよ。家族です。...おや、不満そうな顔ですね」
「別に、不満とかそういうのはないですけど...」
「家族なら、何故傷つけるんだって言いたいんですね。そう、それは...」
彼は優しく微笑み、囁いた。
「貴女を愛しているからですよ」