拾伍
「が、害虫...?!」
フッと目が覚めた私は、目の前の男性を前に驚愕の声を上げる。
右手に銃を持った黒川さん。しかも、その手は血に塗れている。真っ赤で、新鮮な血。
この人は一体...何をしたの?
「えぇ、私の可愛いサリンに近づいて、ベッドの下に潜んでいた醜い虫ですよ」
「殺したんですか...?」
「この銃は殺傷性は、そこまで高くない。一発撃っただけですので、まだ死んでいませんよ。当たり所によっては、虫の息でしょうがね」
「そんな...」
ベッドの下...水羽くんだ。黒川さんがシーツを上げると、鉄臭い血の匂いが鼻を刺激する。
水羽くんが、銃で撃たれた。
その事実に、私は目に涙を浮かべる他なかった。しかしそれは、黒川さんをより逆上させてしまうに過ぎない行為なわけて。
彼は私に銃を向け、狂気染みた笑みでこう言った。
「ねぇサリン。私のサリン。私は貴女の事を想ってやっているのに、何故泣くのですか?」
「彼は何も悪くないのに!」
「私の妹に近づいた。約束は覚えていますよね? 殺すって、言いましたよね? 私は嘘はつきませんよ。約束は必ず守りますよ」
黒川さんは無表情になり、銃を降ろした。
「ねぇサリン、貴女は私との約束を破りましたね。どんな罰を与えましょうか」
「っ...」
水羽くんを助けたい。だが、今そんな事を言えば、もっと黒川さんを怒らせてしまう。もしかすると、まだかろうじてある息の根すら止めてしまうかもしれない。
本当にごめんなさい...水羽くん。
私は必死に涙を堪え、黒川さんをジッと見つめた。すると、彼の顔には優しい笑みが戻ってきた。
「嗚呼、物分かりが良いですねサリン。ベッドの下の奴は、一体誰でしょうか?」
「水羽くん...クラスメイト。先生に言われて、私の様子を見に来たらしいです...」
「よく部下が通したものですね。後藤が通したんですか?」
「さぁ? 多分、勝手に入ってきて...」
「そうですか」
この人が何を考えているのかが分からない。
でも、一言でも間違えれば、私と水羽くんは、仲良くあの世行きだ。
「怖がらなくても大丈夫ですよ。その水羽くんとやらは、サリンの態度次第では治療してあげても構いません」
「ほ、本当ですか?!」
「えぇ。ただその代わり...ちゃんとお仕置きを受けてくださいね?」
「はい...」
しばらくすると、険しい表情の後藤さんが、部屋の中に入ってきた。
またやらかしたか、と呆れているようにも見える。
そしてベッドの下を見ると、一層顔をしかめた。死んでいなければ良いのだけど...無事でいてほしい。此処に来たばっかりに、死んでしまっただなんて...私のせいだ。
後藤さんは、血だらけの水羽くんを抱えて部屋から出て行った。息はあるようだが、意識は飛んでいた。
「あぁ、汚れていますね。ちょっと洗ってきます」
悪戯っぽく微笑む黒川さん。とても、ついさっき人を銃で撃ったようには見えない。
洗面所まで行く背を見送ると、私は叫び出したい心臓をいなし、ゆっくりと深呼吸をした。鉄の匂いがまだ鼻を震わせる。だが、それはすぐに消えていった。ベッドのシーツは、心なしか血が滲んでいるようにも見える。
戻ってきた黒川さんの手は、もう血に塗れてはいなかった。
「黒川さん、私...本当にすみませんでした」
私はベッドから抜け出し、彼に向かって頭を下げる。
非道な事をした...だが、それは私が約束を破ったせいだ。もし水羽くんを絶対に部屋に入れないという姿勢を見せたら、無理矢理にでも後藤さんに連れ出してもらうように頼んでいたら、黒川さんは、罪を重ねないで済んだのかもしれないというのに。
黒川さんは微笑むと、頭をさげる私の髪を撫でた。
「ねぇサリン、謝って済む問題ではないんです」
「分かってます」
「...そう、ならお仕置きはそこまでたくさんはしなくても良いかもですね。頭を上げてください」