拾肆
ーー黒川 真人視点ーー
さて、この日、海外から密輸した武器や薬をチェックしていると、何やら嫌な予感がした。
元々今日は遅い時間に帰る予定だった。だが、俺の嫌な予感は、小さい頃から気持ちが悪い程に的中する。
さて、この日の仕事は、海外から密輸した武器とクスリの取引だ。
この頃、飛行場での荷物検査が厳重になってきているが、船の場合は別だ。適当に荷物の中に隠しておけば、簡単に密輸入をする事が出来る。
故に、人の寄り付かない港の薄暗い倉庫の中で、俺逹は取引を進めていた。今日の相手はイタリアンマフィアだ。
金の入ったボストンバックを手に取り、満足げに笑っているイタリアンマフィア逹。
お互いに納得のいく取引が出来た所で、俺はこう言った。
『俺の妹が危険な目にあっている気がする』
すると、スーツに黒いサングラスと、如何にも裏社会の人間らしき格好の奴等は、その風貌に似合わない優しい笑みを浮かべた。
『この間ボスから、ミスターは随分と勘が良いと聞いた。心配なら、早く帰った方が良い。日本のマフィアのリーダーも妹は大好きなんだな』
『可愛い妹だ。先に帰らせてもらう。武器は部下に渡せ』
『分かった。今日は良い取引ができたな。また今度会おう』
中々友好的な人間だ。我々と同じ、反社会組織だからというのもあるのだろう。
サリンと会わせたら...きっとあの子は、可愛く怖がってくれるだろう。しかし、しかしだ。サリンは何よりも可愛くて無邪気で無垢そのもの。そして、俺のものだ。
もしあちらさんがサリンを気に入ったりしたら、無理矢理連れて行こうとするかもしれない。だって可愛いしな。
サリンを失う事だけは、絶対に、避けたい。やっと手に入れた癒し...必ず俺が守る。
...そんな事を心の中で考えながら、俺は車に乗り込んだ。
部下に車を運転させ、すぐに家へと戻る。
三十分程、車を走らせて見えてきたのは、郊外の巨大な屋敷。
少々建設会社を間違えたようだ。費用は組に打撃を与える程ではなかったが、安くもなかった。正直、いらない部屋だってたくさんある。俺は、サリンと二人で住めれば、1LDKでもボロ屋敷でも何でも良い。
まぁ、組の関係者や幹部もいるから、大きい事に損はないがな。
急いでサリンのいる部屋のある階まで駆け上がると、ドアの前の後藤の姿が見えた。
信用の出来る部下は、何故だか苦笑を浮かべている。また本を読了して暴れているのか?
まぁ...嫌な予感が的中したのかもしれんな。
俺はギョッとした顔の後藤を押しのけ、中に向かって話しかける。
「サリン? 中にいますよねぇ?」
いない、という事はないだろう。
だが、何かあったという事は確かなようだ。
『はい...いますよ』
「では...」
若干震えた可愛らしい声。確実に何かを隠している。
だが、それが分かるまでは怒るのは止めよう。傷つけて、あまり嫌われたくはない。
俺は部屋の中に入り、辺りを見回した。
何の変化もない俺の癒しの場所。ただ部屋の真ん中に、心配そうな表情のサリンが突っ立っているだけだ。もしかすると、聞いていた以上に早く帰ってきた俺に、驚いているだけかもしれない。
「おや、私の予感は外れたようですね。今まで一度も外れた事などないのですが」
俺はサリンに微笑みながら歩み寄り、長い滑らかなシルクのような黒髪を撫でた。
「そ、そうですか...」
「...声が震えていますね。何かありましたか?」
「ビックリしただけです」
「ふーん...」
笑顔で嘘をつくサリンに、少し苛立ちを覚える。
隠し事はされたくない。
俺は笑みを消し去り、この子は強く抱きしめた。最初の頃のように、驚いてビクッと震える事もなくなってしまった。面白くないな。
どんな反応をするのか気になって、俺はサリンの首に指を絡ませ、そのまま耳の裏を舐めた。
凍えた仔猫のように縮こまり、俺の腕の中により一層収まったサリン。首筋に小さく鳥肌が立っているのが見えたが、嫌がってはいなさそうだ。
あぁ、もっと苛めたい...考えるだけで呼吸が荒くなってしまう。
その時に気がついた、俺以外の匂い。
「他の人間の匂いがする」
「気の所為では?」
「部屋からは出ていませんよね? 一歩も」
「はい」
その言葉にだけは、嘘はないように感じた。部屋から出ていないとなると、考えられるのは後藤だけだがーー
「そう...気の所為かもしれませんね。私についたものかもしれませんし」
「...」
「ねぇサリン、私はもう...今日は仕事をしない事にしました。他の人間の匂いは...私が消してあげますから。安心して」
「はぁ...」
「本買ってあげーー」
「喜んで!」
本当にこの子は純粋だ。
笑顔で、俺は言葉を言い終わる前に返事をしてくれた。何て可愛いんだ...。
恐らく、本を買ってあげると言ったら、何だって言う事をきくだろう。
例えば...一日中俺にくっ付いて離れないとか、頬や額にキスをするとか、あんな事をこんな事をするとか...あぁ、考えるだけで妄想が広がる。だが、今は匂いについて追求しなくては。
サリンには確実に誰かの匂いがついている。俺の鼻はそう言っている。後藤ではない、俺でもない、別の誰かの匂い。
そんな事を考えた途端、無意識に殺意が湧いてきた。
後藤は忠誠心の高い男だ。決してサリンを部屋から出そうなんざ考えまい。...少し、様子を見てみるか。
「じゃあ、ちょっとシャワー浴びてきます」
俺は風呂場に入ると、寝室の音に聞き耳を立てた。
サリンは知らない。俺の五感が、人知を軽く超えているという事に。鼻や目は特に良い。サリンは何かを床に落としたようで、広いざまにこう呟いた。
「最低一日はでられない。しばらくはそこからでないで」
興味も、関心も、全て失せた。裏切られたような気分だ。信じたくはない。
もしかすると、サリンが誰かを部屋に招き入れたのかもしれない。もしくは、無理矢理入ってきたのかもしれない。あの子は庇うという事は、それなりに情のある人物...知り合い、か?
今は、考える事を止めよう。
シャワーを浴びて、一日の疲れを流すんだ。
後はサリンを抱きしめて、悦びと癒しに浸るだけ。
俺は風呂場から出て、ベッドの上で無心となっているサリンに、笑顔でタオルを渡した。
*
夜になり、サリンは眠りに落ちていった。日中は寝ていなかったのか、すぐに夢の中へ。
さて、俺にはやらなくてはならない事がある。
俺はベッドから立ち上がると、懐から銃を取り出した。
そして今日着ていたスーツの中から銃声を抑えるサプレッサーを取り出し、銃に取り付ける。そしてそのままベッドの下に手を突っ込み、引き金を引いた。
ヒュッという音と共に、中からは呻き声が聞こえた。
そして、嫌な気配を感じたのか、サリンはビクッとして飛び起き、怯えた顔で銃を持った俺を見る。
「なに...か、しましたか?」
「起こしてしまってすみません。どうやら、害虫が潜んでいたようですのでね」
「えっ...」