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拾参

 



『サリン? 中にいますよねぇ?』


 ドアの外から響いてくる、悪魔の声。

 もし水羽くんが見つかれば、私も彼も、問答無用で殺される。この状態は、非常にまずい。

 一先ず水羽くんを隠そうと、私は無言で彼をベッドの下に押し込もうとした。刑事の息子だからか勘は良いようで、すぐに彼も隠れてくれた。

 さて、問題は黒川さんだ。

 彼は、声のトーンからでも何かあったのかを読み取る事が出来る、チートだ。心を落ち着かせて、平常心で...。


「はい...いますよ」

「では...」


 満面の笑みで部屋に入ってくる黒川さん。

 しかし、目は口程に物を言う、というか...その眼差しは氷のように冷たい。この表情は何度も見た事がある。疑いの笑みだ。まだ怒ってはいないだろう...だが、少しでも彼の逆鱗に触れた瞬間、それが私の最期となる。

 彼は部屋の中を見回しながら、私の元へやってくる。

 ハァ、黒川さんもどれだけ勘が良いんですか。「嫌な予感」、当たってはいますけど、仕事を優先しいぇほしいなうん。


「おや、私の予感は外れたようですね。今まで一度も外れた事などないのですが」


 黒川さんは、笑みを浮かべたまま私の長い髪を撫でた。

 その視線は、私の心の中を見透かそうとしているようにも見える。


「そ、そうですか...」

「...声が震えていますね。何かありましたか?」

「ビックリしただけです。突然帰ってくるんですもん」

「ふーん...」


 彼は私の言葉を聞くと、笑みを消して私を強く抱きしめた。

 唐突な出来事に驚きはしたが、慣れているので別に構わない。

 すると、黒川さんは細い指で私の首を撫で、耳の後ろを舐めた。身体中に寒気が走り、鳥肌が立つ。悪寒のような気持ち悪さにゾッとするが、抵抗するわけにもいかない。


「他の人間の、匂いがする」

「気の所為では?」

「部屋からは出ていませんよね? 一歩も」

「はい」


 私の言葉に嘘はない。本当に部屋からは出ていない。

 いや、ちょっと顔は出したけど...ただそれだけだ。というか、匂いって何だよ匂いって。犬かよ。


「そう...気の所為かもしれませんね。私についた匂いかもしれませんし」

「...」

「ねぇサリン、私はもう...今日は仕事をしない事にしました。他の人間の匂いは...私が消してあげますから。安心して」

「はぁ...」

「本買ってあげーー」

「喜んで!」


 クソっ...卑怯者め。

 本で釣られるのは人間としてどうかとも思うが、尊厳なんてとうの昔にティッシュに包んで捨てている。暇は地獄だ。拷問に等しい。救いを与えてくれるのは本しかないんだよ。

 もしかしたら、テレビ見れば良いじゃない、ずっと部屋にいられるなんて最高じゃない、と言う輩もいるかもしれないが、私は元々、アウトドア派なんですよ。


「じゃあ、ちょっとシャワー浴びてきます」


 黒川さんはそう言うと、部屋にある風呂場に入って行ってしまった。

 さて、一体どうしたものか。

 中から出るには、所謂「指紋認証」が必要だ。そうでなければ、外から開けるしかない。つまり、部屋の中からは黒川さんがいないとドアを開けられないのだ。

 そうは言っても、後藤さんが開けてくれれば問題なんてないんだけどね。けどなぁ、あの人が開けてくれるかどうか。

 つまり、水羽くんは明日まで、この部屋から出られないという事だ。今のタイミングで後藤さんに頼むのは命取り。黒川さんは耳が良すぎる。


 トイレも水道も風呂場も完備されており、キッチンまであるこの部屋は、一ヶ月程なら出なくても普通に過ごせる。しかし、動かないから普通に体が鈍るし...マイ剣道がなぁ...。

 閑話休題。

 水羽くんに状況を伝えなければならないので、私はベッドの近くの床にわざと紙を落とし、拾う振りをして水羽くんに対してこう語りかけた。


「最低一日はでられない。しばらくはそこから出ないで」


 その言葉が、彼に届いたかは分からない。

 だが、黒川さんが見ている可能性も無きにしも非ず。堂々と言うわけにはいかない。彼を死なせたくない。私も、死にたくない。


 しばらくすると、黒川さんが薄手のワイシャツにズボンを履いて、湿った髪をタオルで拭きながら戻ってきた。


「サリン、拭いてください」


 ドライヤー使えよ、とは言わない。かくいう私もタオルドライ派だし。

 私は、もう何時間か前に既に風呂には入っている。

 黒川さんが帰ってきてからだと、彼がしつこく抱きついてきて時間がないのだ。一緒に入ろうとまで抜かしやがる。


 黒川さんは私にタオルを渡し、ベッドに腰掛けた。

 私はベッドの腕に座り、黒川さんの髪に触れる。真っ黒な髪...まるで、黒川さんの心を表しているみたい。彼は、私にとっては良い人でも、周りにとってはただの極悪人なんだ。黒川さんの所業は私も知っている。加担はしなかったものの、目の前で見てきたからだ。

 まぁ、世論がそれを悪としても、彼はそれを悪い事と感じていないのかもしれない。

 いつも楽しそうに仕事に出かける。たくさんの人に信頼されて、頼られて...でも、本当は一人。心は孤独で、冷たい。それを温め癒やす存在が私だと、桜桃サクラさんが言っていた。

 何故だろう...それが嬉しいんだ。


「ねぇサリン、何を考えているのですか?」

「...黒川さんにとって、私は何なんだろうなって」

「サリンが? ...フフ、簡単な事ですよ」


 彼は後ろを振り向いて、タオルを持つ私の頭をポンポンと叩いた。


「生きがい、です。サリンとこうやって会う事が、喋る事が、触れる事が、微笑む事が...私の一番の生きる目的なんです」

「黒川さん...」

「愛、というものですね。唯一の家族ですから」

「家族?」

「そう。サリンは私の妹。黒川 佐凜は、私の妹です」



 ったく、何なんだよこの人はーー

 どうにも掴めない。読めない。


 心の中でそんな事を思いながらも、目には何故だか、熱いものが溜まっていた。

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