拾弐
明朝、黒川さんは仕事に出かけた。
いつもながら、私は部屋に一人。
学校に行けない。外出も出来ない。唯一の心の支えは本だけだ。
そうそう、先ほど、宅配便の人が段ボール五箱にビッチリ詰めた大量の本を持ってきてくれたんだ、嬉しい。
さて、相変わらず、黒川さんに反省の色はなかったな。
私は洗面所の鏡で自身の首を痕を見ていた。
「うわ...黒川さん握力いくつなの?」
クッキリと手を痕が残っている。これは酷いな。
私は、茶色がかった自分の髪を見た。黒川さんと同じ匂いがする。まぁ、シャンプーが一緒だから当たり前なんだけどね。
あの人は私の事を...愛してくれているんじゃないかと、此処数日で感じた。
抱き枕としてだけじゃない、妹としても、私を大切にしてくれている。この首の痣だって、軟禁状態だって、愛故の行為なのかもしれない。でも...違う。
「これは愛なの? 黒川さんは、何を考えているの?」
濁った自分の瞳を見つめる。
曇り空のような瞳だ。悲しげな、儚い光しか持たない瞳からは、今にも涙が溢れてきそうだった。
何処かあの人は歪んでいる。黒川さんは...愛の示し方を知らないのかな?
「私は...黒川さんの事...」
良い人だとは思っている。嫌いじゃない。家族だ。
嗚呼、何でこんな気持ちになるんだろう...やっぱり、ヤクザ組織の組長だからというのもあるんだろうけど...。複雑だ。
「分からないなあ」
*
夕方頃になると、外から声が聞こえた。後藤さんの声だ。面倒くさそうな、疲れていそうな声。
『サリン、何かお客さん』
「え...」
『眼鏡かけたガリ勉っぽいの。今此処にーー』
『黒川さん、いる?』
鍵のかけられていたドアが開いた。
外にいたのは、後藤さんと、眼鏡の制服少年ーークラスメイトと水羽くんだ。不味い、もしこんな所を黒川さんに見られたら...考えるだけで寒気がする。
「あ、水羽、くん...えと...」
私は混乱して急いでドアを閉めようとしたが、目の前の少年はそれを許さなかった。
足を隙間に入れられ、閉めようにも閉められない。
「水羽くん、君、殺されるよ!」
「大丈夫、先生の頼みで放課後、黒川さんの様子見てこいって。あと、父さんにもいってあるから」
「父さん?」
「僕の父さん、刑事だから。この組を追ってるから」
「そうなんだ...って、ちょーー」
水羽くんは私の許可も得ずに、無理矢理部屋の中に入ってきた。
それだけはどうか止めてほしい。
色々とプライベートなものもたくさんあるし、それに...。
「お邪魔します...っと、随分綺麗な部屋だね」
「水羽くん!」
後藤さんに、水羽くんを止めるような様子はなかった。ただ黙って見つめているだけ。
でも、何で後藤さんはドアを開けたの? 殺されるよ...私と喋ったり、目を合わせたり、触れたりして良いのは黒川さん、後藤さん、桜桃さんだけだ。
見つかったら確実に、水羽くんは殺される。
「へぇ、このスーツは組長のか...」
勝手に引き出しを開け、勝手にクローゼットを開け、勝手にベッドの匂いも嗅ぎ始めた。
「何? この部屋に二人で住んでるの?」
「この家に二人で住んでます」
多分この人、何言っても聞かないと思う。もう良いや。流石刑事の息子というべきか、メモ帳や手袋、カメラまで常備していたーーって、部屋の写真撮るな!
「止めてよ水羽くん!!」
「ねぇ黒川さん、可哀想だ。本当に可哀想」
「え...?」
「首に痣」
水羽くんの言葉に、咄嗟に首元を隠す。
「DVか。それに、慰み者にされているんでしょ? ベッド、君と黒川の匂いがする」
「何で分かるの?」
「君は、バニラみたいな甘い香りがするからね」
壮大過ぎる勘違いをしている水羽くんだったが、その嗅覚は褒めたい所だ。
確かに私はシャンプーは黒川さんと同じだが、リンスやトリートメントは「Vanilla」というバニラの香りのを使っている。黒川さんと一緒に使っているシャンプーの方が匂いがするのに、凄いなぁ。
「その犬並の嗅覚には関心する。けど、早く出て行きなさい。お互いのため」
「何で? 組長は仕事でしょ?」
途端、ドアの外から声が聞こえた。
『後藤、サリンは今何をしている?』
『く、組長?! 今日は、早いですね...』
『嫌な予感がしただけだ』
これは本当に、非常事態だ...。