拾壱
「くろ...かわ、さん?」
「そうですよサリン。おはよう」
耳元でいつもの声がした。
嗚呼、恐らくこれは現実だ。だってこの温もりは、黒川さんのものだから。
彼はベッドに座り、私の頭を自分の膝の上に乗せていた。
機嫌の良さそうな笑みを浮かべ、私の髪を優しく撫でる黒川さんの目には、淡い光が宿っているように見える。
そういえば、起きた時から首が痛い...私がそこに触れると、黒川さんは慌てて言った。
「あ、痣になってます。あまり触らない方が...」
「え゛...」
涼しい顔でそういうが、痣が出来る程首を強く絞めるのは如何なものだろうか。
それでも生きている私も、それなりに悪運が良いのかもしれない。
「サリン、私は反省なんてしてませんよ?」
「はい、分かってます」
黒川さんは反省なんてする人じゃないですからね、と私は目を閉じる。
すると、彼は私の頬を少し抓った。
「悪い子ですね。まぁ、貴女がより私の事を理解してくれたと思えば...良いものなのかもしれませんが」
「黒川さん、私ーー」
「何も言わなくて良い。悪い夢を見たんですね」
「何でわかるんですか? 悪いものだけじゃなかったですけど...」
私はふて腐れたようにつぶやいた。黒川さんは楽しそうに笑う。
「私も先ほど、悪い夢を見ました」
「どんな?」
「サリンが、私の元から去ってしまう夢ですよ」
彼はさぞ愛おしそうに頬を撫でる。
黒川さんが愛しているのは、抱き枕の私なのか、妹の私なのか。それはよく分からない。けれど、彼が私を必要としてくれている事だけはハッキリと分かる。
「私は、それ程まで貴女を愛している。約束はちゃんと守ってくださいね?」
「...」
「サリンはどんな夢を?」
「あ、えとーー」
私は小学校の頃、イジメを受けていた。
教科書を捨てられたり、水をかけられたり、髪を引っ張られたり...時には暴力もあった。私だった理由は特になかったと思う。イジメる事が出来るなら、きっと誰でも良かったんだ。
私は暴力が嫌いだったから仕返しはしなかったけれど、先生も見て見ぬ振りで、お父さんにも相談出来なくて、辛かった...まぁ、ある日イジメグループのリーダーで転校して、それっきりイジメなんでなくなったけどね。
でもあれだよ。
さっき、黒川さんの「我が物」発言頂きましたからね。
抱き枕でも妹でも、私に対する愛情が半端ない人の前でこんな事を言っちゃダメだよね。絶対にイジメグループの子達殺されるよ。
「ん? 何ですか?」
「そ、その...く、黒川さんが銃で撃たれてしまう夢を...っ」
あ、選択を間違えたかもしれない、
「...あぁ、なるほど」
黒川さんは微笑んだ。しかし、目が笑っていない。
「それは貴女の願望でしょうか? いやしかし...悪い夢、ですからね」
さっきとは正反対の、満面の笑みで彼は言う。
「サリンも私を想ってくれているのですね。嬉しいです。それなら、一生私に依存させても問題ないですね」
「え、いや...私は...」
「まぁまぁ。ゆっくりと時間をかけて依存していってくださいね」
*
ーー黒川 真人視点ーー
桜桃のいるクラブに行き、俺がホステスに囲まれた時、一番に考えたのはサリンの事だった。
後藤と肩を並べ、苦笑いを浮かべるサリンも可愛らしかったが、何か大きな勘違いをされていそうだったので、俺は慌てて訂正を入れる。
「違いますよサリン。勘違いしないでください。私は一途な人間ですよ?」
「もう〜其れは私の事ですかぁ? 黒川様ぁ」
「私ですよねぇ?」
「もう、カッコイイ人!」
何を言っているんだ、このメス豚達は。
全く、俺は女には興味はないんだがな...。
サリンは桜桃が相手をしてくれているようだ。そこらのホステスよりかは、ずっと信用の出来る人間。しばらくは任せて大丈夫だろう。
しばらく桜桃はサリンと話して、俺にも話を振ってきた。。
「黒川さんは、サリンちゃんは本当に可愛い子ですね」
「あぁ、当たり前だ。俺の妹なのだからな」
「え...?」
「どうしたんですか? サリン」
サリンにだけは、優しい人間でありたい。
猫を被らなかったら、俺はきっと、サリンを心無い言葉で傷つけてしまうから。だからサリンには敬語しか使わない。
「ねぇ黒川様、あの子がサリンちゃん?」
「そうだが」
「やだ可愛い〜、さっすが黒川さんの妹さんねん」
可愛いサリンは何かを言おうとしていたが、それをホステス共が遮ってしまった。
本当に邪魔だ。
俺とサリンを隔てるこのテーブルでさえも鬱陶しいというのに。
「ねぇ、ずっと敬語で『黒川さん』は兄と区別がつかないし...同い年なのに敬語はちょっと...だから、修くん、私の事佐凜って呼び捨てて。タメ口も使ってよ」
「え、でも...」
「私、友達がいないんだ。だから少しでも誰かと仲良くしたい...お願い」
「っ...オーケー、分かった」
桜桃がいなくなった途端、俺の目の前でこんなやり取りがなされた。
サリンが自分以外の男と仲良く喋っている...それを考えるだけで、自分の中から何か黒いものが湧き出てくるような感覚さえする。これは一体...何なんだ?
「ねぇサリン、サリンはどうして此処に?」
「分からない。何か連れて来られた。ホントは来たくなかったんだけど...本に釣られたんだ」
「本って...今日学校に来てなかったけど、具合でも悪かった?」
「あはは、そういう事にしておくよー」
「そ、そう...?」
物分かりの良い犬飼の弟は、俺の殺気を感じ取って店から出て行った。サリンのお仕置きは、家に戻ってからだ。
本を大量に買ってやったからか、サリンは家に帰っても上機嫌だった。この笑顔を壊すのは少々気が引けるが、仕方がない。
サリンはベッドに座り、嬉しそうに言った。
「ホント、ありがとうございます」
「いえいえ...サリンの笑顔が見れて、私も満足ですよ。しかし、人の心とは面白いものですねぇ...」
「え?」
「私を、こんな気持ちにさせるとは...」
もうこれ以上、俺は我慢出来ない。
何なんだ、何なんだこの気持ちは。胸が締め付けられる、苦しい...これが、「嫉妬」というものなのか? 犬飼の弟に、俺は嫉妬しているのか? ...そうだ。
俺はサリンをベッドに押し倒した。可愛い妹だ。別にやましい事をするつもりはない。
「あ、の...」
「貴女も随分と悪い子ですよ? こうやって人の気持ちを弄んで...楽しいですか?」
「え...? 其れは、どう、いう...」
「どういうもこういうも...」
サリンが俺の元から離れるくらいなら、逸そ殺してしまった方が良い。
殺してしまえば、もう誰の目にも触れずに、俺だけが愛でれる。俺だけが触れられる。
嗚呼...可愛い俺の妹。
俺はサリンの首を絞めた。苦しいだろうが、これはお前のためなんだーー