敵地侵入作戦1
アンドリューから任務の知らせがあった翌日。薄らと陽の光が差し始める頃に、ユリウスたちは学園を発った。 現在は帆船に乗り、穏やかな波に揺られている。
空は晴天。風も良好。船出には最適な気候だ。甲板から戯れるように波打つ海上を眺め、くつろぐユリウスの足元からはこの場にそぐわない音がする。まるで地を這うかのような苦痛に叫ぶ声。
「だ、だずげでぇ・・・死ぬ」
ユリウスの足元に大きな体を丸め、しゃがみ込む青年、バート・ケイン。彼は船に弱い。実は前回の任務に行く時も船に酔っていた。
しかし、任務に行く度このザマでは、どうしよもない。学園は島にあり、当然海に囲まれているのだから移動するには船に乗るしかない。
いい加減、慣れなくてどうするのか・・・永遠に船酔いと戦うつもりなのか?彼。
憐れみつつ馬鹿にもしている視線で、ユリウスはバートを見下ろす。
「・・・もうダメだ、お、降ろせぇー」
終いにはこんなことを言いだした彼に、ユリウスは小さく息を吐く。
「降ろすのは簡単だけど、ちゃんと泳いできてよ?」
「ユリウスの言うとおりです。泳いで追いついて来れないのなら、無駄な要望をしないでください。そんなに辛いのなら私が気絶でもなんでもさせてあげます」
船が出航してからずっと騒がしいバートに、どうにも苛立ちを隠せないレイチェルの語尾が荒い。というよりもほぼ脅しに近い。
だが、彼女の言うそれが一番手っ取り早いとユリウスも思う。となれば、すぐに行動を起こさねば。
ユリウスはバートの傍に屈み、ぽんっと彼の肩に手を置いた。ゾンビのように血の気のない、青白い顔で忌々しそうに見てくる彼に、ユリウスは囁いた。
「お休み。良い船旅を」
バートの苦しむ顔が、一瞬疑問を訴える表情になった。しかし、その後すぐにユリウスは彼の後頭部に手刀を放つ。バートは一声、くぐもった呻き声を上げ、そのまま気絶。おでこから甲板にめり込んだ。
鈍い音が、船に響く。
白目を剥いて横たわるバートを見下ろすユリウスは、口元を手で隠した。
これは大層立派なたんこぶが出来上がることだろう。と、彼が意識を取り戻した時のことを想像したユリウスは、内心爆笑中。
若干肩を震わせ、笑いを堪えていると、背後から何やら拍手の音が聞こえてくる。
「全く、君たちは見ていて本当に飽きない」
褒めているとも嫌味とも取れない感想を述べたのは、Aクラスのシルフ、エリアスだった。彼はマストにもたれ掛かり、終始自分たちのやり取りを眺めていたらしい。
今回の任務、俺達Dクラスは別行動と聞いていたのだが・・・何故、彼がこの船の乗っているのやら。
確か、人間と精霊は一日遅れで学園を発つはず。先に潜入する俺達と一緒にこの船に乗っているのは、どう考えてもおかしい。
訝しむユリウスは、視線をエリアスから横にずらした。
それと、おかしな人物がもう一人。エリアスの隣にいる、人間の男。
「退屈凌ぎのお役に立てて光栄だよ。それにしても、珍しい組み合わせだね」
「私たちかい?」
ユリウスの言葉に、少し眉を上げたエリアスは、自分と隣の男を交互に指さした。
「彼の名はウォーレン。同じAクラスだ。私たちはクラスメイトなのだから、別に一緒にいても珍しくない。珍しいのは、むしろ君たちといることの方だ」
笑って答えるエリアスに「では、何故ここにいる。」とDクラスの面々はツッコミたい衝動に駆られた。
そして、当然の如く、皆を代表してレイチェルが率直に尋ねる。
「今回の任務、私たちDクラスだけ別行動と指示を受けています。何故あなた達がこの船に乗っているのです?」
「本来は、私たちも明日出発する予定だったんだけどね。こっちの方が面白そうだったから、ついて来ただけさ」
爽やかな笑を讃えたエリアスが、あまりに勝手な理由を口にし、レイチェルの眉間は狭まった。
「ついて来たと簡単に言いますが、学園の先生に許可は取ったのですか?」
「もちろん。学園長には許可を取ったさ」
彼の「には」という発言に不信感を覚えたが、しかし、今更どうこうなるものでもない。ついて来た以上、しっかり働いてもらうだけのこと。
レイチェルにとって、任務の成功率が上がるであろうこの状況は、ある意味美味しいのだ。他のDクラスメンバーも満更ではないだろう。
ただ、よろしく思っていない様子の人物が約二名。
一人はあからさまに態度に示しているトラヴィス。彼は、集まりから離れた場所で微動だにしない。全くつるむ気がないようだ。
もう一人は笑っているが、実は大変迷惑しているユリウス。どう考えても、彼がこの船に便乗した過程に自分が関係しているのは明らかだった。
どういう訳か、彼はユリウスに興味を持っている。
能力の高い彼は非常に扱いづらい。ただ強いだけなら別にどうでもいいのだが、彼は頭が切れる。そして最も厄介な点は、彼が自分に興味を示していることだ。ああいう類は納得いくまで追求するだろうから始末に負えない。
故に、ユリウスにとって、エリアスは邪魔な存在でしかないのだ。
おかげでこの任務、下手に動けない。
変に勘ぐられても困るワケで・・・今回は、大人しくしていようと心に決めたユリウスであった。
――ちなみにこの時、ユリウスの足にすり寄る黒猫は、エリアスを睨みつけていた。
「おっ?なあなあっ!港が見えてきたぞー」
いつの間にか、マストの上の見張り台に登っていたラルスが大きな声で叫ぶ。
十時の方向に視線を向けると、彼の言うとおり港が見える。
「結構、船が留まっているな―― ん?君たち、何をしているんだ?」
港から船内に視線を戻したエリアスは、Dクラスの面々を見て疑問を抱く。彼らは、準備していたマントを纏い、全身をすっぽり隠していた。
「この方が行動しやすいのです」
レイチェルは、やや溜息混じりに言う。彼らの外見と立場を、半ば忘れていたエリアスはすぐに納得した。
「ああ、そうか。・・・おや、君は着ないのかい?」
一人、神々しい姿を全く隠そうとしないユリウスに、エリアスは首を傾げた。
「別に、俺は隠す必要がないからね」
笑って答えるユリウスをジッと見つめてエリアスは、思った。
確かに、悪魔や悪魔混じりには到底見えないが、その容姿では別の意味で動きづらくなると考えないのか?
これはエリアスだけでなく、ここにいる大半が思っていたのだが、誰も何も言わなかった。彼は今までそうやってきたのだから、特に問題はないのだろう。
「あ、そうだ。そこの気絶してる奴叩き起さないとなっ」
軽やかに上から降りてきたラルスが、どこか張り切った様子でバートに近づく。
「おおおおおおおおーーーーーいいっ!!おーーーきーーーろーーーっ」
海上に響く大きな声で叫ぶラルスは、バートの胸ぐらを掴み、揺すって揺すって揺すって、頬を叩いて叩いて叩いて、トドメに腕をガブリ。ラルスの鋭く健康的な八重歯が、バートの腕に容赦なく食い込んだ。
「!!!???っい、痛てぇえええええええええええっっーーーーー」
目をカッと見開いて、勢いよく起き上がったバートは、ラルスを腕から引っペがし思い切りブン投げた。
「うぎゃっ!コラーーー何すんだよッ」
「そりゃこっちのセリフだっ!」
凄まじい形相で拳を震わせるバートの目には涙が滲んでいる。また、激しく甲板に体を打ち付けたラルスも目に雫を溜めていた。
バチバチと火花を散らしてしばらく睨み合う二人に、エリアスが声をかける。
「取り込み中のところ悪いが、皆すでに船を降りたけど、君たちはいいのか?」
彼の言葉に、二人はハッと周りを見渡す。船はいつの間にか港についており、船にはバートとラルス、そして降りる直前、一応声をかけたエリアスだけが残っていた。
「アイツ等っ!さっさと行っちまいやがってっ」
「置いてくなんてひでぇーっ!ルイスまでいねぇしっ」
二人は同じように歯をぎりぎりと鳴らし、エリアスの後に続いて船を降りた。