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リアライズ  作者: 伊勢之 剛
第一章 起動する運命
9/17

(9) 衝突

 一真達がいた部屋の窓からは、道路を隔てた向かい側にある、生命保険会社の社名を冠したビルが見えていた。

 同じく20階建てのそのビルの、手すりやフェンスのない屋上から下を覗くと、高所恐怖症でなくとも足がすくむ。

 そんなビルの端に、その少女は腰掛けていた。

 バランスを崩せば、100メートル下のアスファルトへダイビングしかねない状況にありながら、鼻歌交じりに体はリズムを取っている。

 時折吹く風が、頭の左右で栗色の髪をなびかせていた。


「ん?電話?」


 視界の右下に着信中のメッセージ。

 その下には、


   お姉ちゃん


の表示。

 少女は、聞いていたアイドルグループの新曲を一時停止して、電話に出た。


「何?お姉ちゃん。電話なんかしてきて」

『いや別に用事はないんだけど、どんな様子かなーと思ってさ』

「今はねー、四條通りのオフィス街にある例のビルの前にいるんだけど、中に入ったっきり出てこないんだよね」

『もう一人の女の子のことは何かわかった?』

「お姉ちゃんと同い年くらいで、洛央の制服ってことはわかったんだけど……」


 端から見れば、独り言を言っているようにしか見えないかもしれない。

 この時代、電話といえば思力ネットワークを介した個対個の通信手段を指す。

 アンプを身に付けていれば、基本的に何処でもネットワークにアクセスできるので、電話機というものは必要なくなっている。

 結果、町中至る所で独り言をつぶやいているような光景に出くわすが、99.9パーセントは、この少女と同じく、電話中の人々だ。

 年配者にとっては、この『独り言スタイル』の電話は抵抗があるらしいが、若い世代、特に物心ついたとき既に思力技術が広く普及していた20代から下の年代にとっては、至極当たり前のこととして受け止められている。

 もちろん、ネットワークに乗せて行き交うのは音声だけではない。

 データ通信についても、思力ネットワークが主流となって久しい。

 20年前、情報通信分野における主導権争いに敗れ、諸外国の後塵を拝していたところへ降ってわいたように登場した思力技術。

 当時の政府は、インフラ整備など思力技術普及策を積極的に推進し、その核として思力ネットワークの構築に力を入れた。

 その結果、誰でも何処でも簡単にアクセスできる利便性の高さから、当時普及しつつあった携帯電話やインターネットを駆逐し、一躍主役の座に躍り出た。

 今や思力ネットワークは世界中に広がり、情報通信網のスタンダードとなっている。

 少女が聞いていたのも、ネットワーク経由でストリーミング再生した曲であるし、身近な例では、視界の端に表示されている時刻もネットからのデータに基づくものだ。

 姉妹の会話も、思力ネットワークにより成立している。


『そうか、わかった。『ラボ』はその女の子に眼をつけてたのね。そして二人は昨日、偶然出会ってしまった訳ね。このままだと二人とも取られちゃう危険性があるわね、困ったなー』


 電話の向こうから聞こえる声は、言葉とは裏腹にあまり困った様子は感じられない。


「もうかれこれ1時間になるかな、ビルに入ってから」

『四條通りのビルって、確か…」

「うん、『ラボ』の別室があるんだよね、『非公然』だから確か会社の名前になってたはずだけど……えーとM&Aじゃない、T&Tでもない……」


 うーん、と唸りながら人差し指を額につけて思い出そうとする。


「T&Eコーポレーション」

「あっ、そうそう、それそれ……って、誰!?」


 背後から聞こえてきた三人目の声に、思わず少女は振り返る。


「あんた、こんなところで何こそこそやってんの?目障りなんだけど」


 金色に近い茶髪をポニーテールにした少女が、腕組みをしながら切れ長の目で睨みつけていた。

 着崩した制服が妙に似合っている。


「ああ、なんだ。はづきちゃんか」


 気の抜けた言葉に、はづきと呼ばれた少女は、あからさまに不機嫌な表情になる。


「あんたに馴れ馴れしく『ちゃん』付けで呼ばれる筋合いはないわ」

「いいじゃん、別に。それに、こそこそしてるわけじゃないんだから。仕事よシ・ゴ・ト」


 軽くウインクして答えたその態度によって、不機嫌さは更に増したようだった。


「ふーん、あんたがそんなに仕事熱心とは知らなかった。私も見習わなきゃね」


 そう言った刹那。

 右足が地を蹴る、その一挙動でおよそ10メートルの間合いを一瞬で詰める。

 勢いを乗せて突き出された拳は、しかし標的を捉えることなく空を切った。

 一連の動作は、常人はもとより、短距離のオリンピック金メダリストでもボクシングの世界チャンピオンでも到底実現不可能な人間離れしたスピードであるにもかかわらず、小柄な少女の体は片足を軸にしてクルリと一回転し、襲いかかる拳を紙一重でかわす。

 次の瞬間、今度は両足にため込んだ力を一気に解放し、まるでバレエを見ているような錯覚に陥るくらい華麗な身のこなしで空高く跳躍した。

 突き出した状態のまま右へ薙ぎ払った拳が再び空を切る。

 真上に上がったものは、そのまま真下に落ちてくるのが道理。

 しかし、少女の体は空中で運動方向を水平へと変え、相手の背後に着地した。

 間をおかずに再び地を蹴って、今度は横方向へと跳ぶ。

 回し蹴り気味に繰り出された足は、またしても空振りに終わる。

 攻守ともに人間業では無いスピードと、そして物理の法則に反した体の動き。

 二人の少女の可憐な外観からは想像できない世界が繰り広げられている。


「この、ちょこまかと逃げ回って」


 いらついた様子で、言葉を吐き捨てる。


「だって、はづきちゃんと違って腕に自信ないんだもん」

「だから名前で呼ぶなと、何度言えば!」


 振り下ろした右手には、いつのまにか長さ1メートルあまりの細長い物体が握られていた。

 その形状はまさしく刀。

 日が落ち、闇がその支配領域を拡大していく中、それは白く淡い光を放っていた。


「お姉ちゃん、どうしよう。はづきちゃん、本気だよー」


 電話はまだ繋がっていた。


『そろそろ潮時じゃないの?しっぽ巻いて逃げる方法はいくつか教えたでしょ。手に負えなくなる前に早く帰ってきてよー。お腹ペコペコで死にそうだからさー』


 電話の向こうから聞こえてくる声には、ノイズが混じっていた。

 それも到底デジタルとは言い難い音質のノイズが。


「お姉ちゃん、そんなこと言いながら、おせんべい食べながら話してるでしょ。しかもソファーに寝転がってテレビ見ながら」


 電話とはいえ、憮然とした表情は伝わったようだ。


「こっちは大変だっていうのに」

『だ、だってさー、本当に死にそうなんだから……』


 慌てて言い訳をする。

 姉妹以外に電話の向こうの言葉は聞こえないが、その内容はだいたい想像がついていた。


「ったく、あんた達の漫才聞いてるとやる気が失せるんだよ!」


 上段から斬りつけた切っ先は、わずかに鼻先に届かず、逃げ遅れた髪を数本、宙に舞わせたに過ぎない。

 もう一歩踏み込み、返す刀で今度は下段から斜め上方へ薙ぎ払うが、それを予想していたかのように、大きく後方へと跳んで間合いを開けた。


「ええと、じゃあパターンAでいこうかな」


 その場で屈み込むと、低い姿勢のまま胸の前でクロスした両腕を左右へ勢いよく振る。


「えい!」


 気合いというには気の抜けそうなかけ声と共に、足下から湧き起こった波動は、コンクリートの表面を削り取りながらはづきという少女へと向かってさざ波のように押し寄せる。

 タイミングを見計らって軽く跳躍し、ゆっくりと近づいてくるその波動を余裕を持ってかわすと、空中で姿勢を整え反撃へ移ろうとした。

 その瞬間、栗色の髪を揺らしながら屈み込んでいた小柄な体が勢いよく立ち上がり、オーケストラの指揮者よろしく、両手を天に向かって突き上げる。

 それを合図に波動は線から面へ、ベクトルを水平から垂直へと変化させた。

 薄くそがれ、砂よりも細かい灰色の粒子と化したコンクリートは、一気に上空へと舞い上がり、刀を手にした少女の体を包み込む。

 視界を失った少女は、気管へ容赦なく進入してくるコンクリート粉末にむせながら、バランスを崩して落下した。

 灰色の空間に囚われ、目を開けることさえままならない。

 咳き込みながら片手で鼻と口を覆い、かろうじてもう片方の手を頭上に挙げると、立てた人差し指をくるりと2回ほど回す。

 つむじ風、というより小型竜巻と言っても過言ではない大きさの空気の流れが巻き起こり、幾重にも重なる灰色のカーテンをきれいさっぱり吹き飛ばした。

 視界はクリアになったが、のどの粘膜にへばり付いたコンクリートの粉末を排除するには、数分を要した。

 咳き込む感覚がようやく収まり、落ち着きを取り戻す。

 周りを見回すが、人の気配は全く感じられない。

 どうやら言葉通り、しっぽを巻いて逃げたようだ。


「フン」


 軽く鼻を鳴らすと、ビルの端、あの少女が座っていた辺りまで歩いていく。

 視線を下方へと移すと、ちょうど向かい側にあるビルの出入り口から、一組の男女が出てくるところだった。


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