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リアライズ  作者: 伊勢之 剛
第一章 起動する運命
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(4) 予兆


 体育の授業では当然のことだが、トレーニングウェアに着替える必要がある。

 生徒達は体育館の1階にある更衣室へ向かって三々五々、教室を出て行く。


「池原、ナイスだ、助かった。恩に着る」


 まるで神を崇めるような口調で、一真は感謝の言葉を並べた。


「いいって、いいって。困ったときはお互い様だからな。今度、何かあったら助けてくれればいいさ」

「ああ、わかった」


 池原が席を離れるのと入れ替わりに、またもや友人の不幸を見損ねた忠典が近寄ってきた。


「またまた奇跡に助けられたんじゃねえの?」


 その言葉には、努力もしないのに危機的状況を紙一重ですり抜けていく、そんな悪運の強さに対する呆れたような響きが含まれていたが、当の本人は友人の皮肉には気付かずに、鼻の穴をふくらませて答える。


「二度あることは三度ある。今日の俺はもう一回くらい奇跡を起こせそうだな」

「そうだったらいいけどな。

 次の体育は『鬼ヶ谷』だから絶対遅れられないし、早く行こうぜ」

「先に行っててくれないか、俺、トイレ寄ってくから。もうヤバイくらい限界近いし」

「了解、了解。遅れるなよ」


 そう言いながら教室を出ようとした忠典は、ふと立ち止まって一真の方を振り返ると、口元に意地の悪い笑みを浮かべながら、何かを期待するような口振りで言った。


「三度目の正直ってのもあるからな」



・・・・・・・・・・・・・・・



 トイレから出てきた一真は、人もまばらな廊下を足早に進む。

 まだ次の授業に間に合うだけの余裕はあるが、『鬼』とあだ名される体育教師のことを考えると、自然と歩く速度が早くなる。

 そして廊下から階段へと曲がる瞬間。


「あっと、ごめん」 


 階段を上がってきた生徒と危うく出会い頭に正面衝突しそうになった一真は、飛ぶように横へ避けて難を逃れる。


「こちらこそ、ごめんなさい」


 ペコリと頭を下げたのは、顔に幼さが残る女子生徒だった。

 頭頂部が一真の肩辺りに位置するくらいの小柄な体は、ちょっと高校生には見えない。


(中等部の子か)


 一真が咄嗟にそう思ったのは、30センチ近い身長差だけが理由ではない。

 学校法人一条学園は、グループ内に小学校から大学までを擁しており、そのうち中学校と高校が同じ敷地内に所在している。

 校舎は別々だが、体育館やグラウンド、講堂などの施設は共用なので、校内で中高の生徒が顔を合わせる機会はいくらでもある。

 制服は共に同じ濃紺のブレザーだが、ネクタイの色が中学校はブルーのストライプ、高校はワインレッドであり、ハイソックスも中学校は白色だが高校は紺色が指定となっていることから、制服姿であれば中学生と高校生を外見で見分けることが可能だ。

 ぶつかりそうになった女子生徒は、中学校のフォーマットに則った制服を着用しており、一目でそれとわかる。


「失礼します」


 もう一度頭を下げると、左右で束ねた栗色のロングヘアーを揺らして廊下を遠ざかっていく。


(でも、あの子、どこへ行くんだ?)


 華奢な後ろ姿を何気なく見送りながら、一真はふと疑問に思った。

 廊下の先は高校1年生の教室が並んでいるだけであり、中高共用の体育館や講堂へ行くには方向がまるっきり反対である。


(兄ちゃんか姉ちゃんでもいるのかな)


 実際、一条学園では兄弟姉妹で通っている生徒は多く、一真のクラスにも弟妹が中学校に在学している者が数人いたはずだ。

 その時、一真の考えを授業開始5分前の予鈴が現実へと引き戻す。


(やべっ、遅れる!)


 着替えの時間を考えるとギリギリだ。忠典の言うとおり、3度目の正直になりかねない。

 いつも苦虫を噛みつぶしたような顔をしている体育教師を思い浮かべながら、一真は体育館へ向かって階段を駆け下りていった。



・・・・・・・・・・・・・・・



 放課後の校内は、授業中とは違う、ある種の活気に満ちている。

 残って友人とおしゃべりに興じる者、クラブ活動へと急ぐ者、頭を抱えながら補習を受ける者、連れだって帰宅する者………。

 いわゆる『帰宅部』の一真は、ホームルームが終わると帰り支度もそこそこに教室を出ようとしたが、寸前で忠典に呼び止められた。


「三咲、今日ヒマ?俺、買い物行くんだけどさ、付き合ってくれないかな」

「あれ?クラブはないのか?」

「土日と連チャンで練習試合があったから、今日はその代休なんだ」


 忠典の所属するサッカー部は、全国大会の出場経験こそないが、県内ではベスト8の常連校で、結構な数の練習試合をこなしている。


「別に用事も無いし、いいけど」

「それでさあ、俺、五十嵐のとこに用事があって職員室へ行かなきゃなんないんだ。すぐに終わるから、ちょっと待っててくれよ」

「ああ、わかった。一人で待ってるのもヒマだし、一緒に行くよ」


 用事はすぐに済んだが、ついて行っただけの一真が捕まってしまった。

 たっぷり一時間近い説教を聞くハメになったので、こんなことなら外で待ってればよかったと後悔する。

 やっと解放された二人が校舎を出ると、辺りにはボールを弾き返す小気味いい金属音が響いていた。


「悪かったな、俺のせいで遅くなっちまって」

「まあ、いいさ。急ぐことでもないし」


 二人は、野球部が練習するグラウンドの横を通って正門へと向かう。


「買い物って、何処行くんだ?…っていうか何買うつもり?」


 連れだって歩きながら質問した正にその時。


「危ない!!」


 反射的に振り向いた一真の目は、一直線に向かってくる飛翔物体を捉える。

 打ちそこないとはいえ、硬球が頭に当たればかすり傷では済まない。


(当たったら痛いだろうな。痛いのは嫌だな。)


 0.1秒に満たないわずかな一瞬に、一真は驚くくらい冷静な自分がいることを感じた。


(どっかへ飛んでけばいいのに)


 そう思った時、二度あることの三度目が起こった。

 真っ直ぐ自分の頭めがけて飛んでくるボールの縫い目まで見えた気がした瞬間、ボールは急角度でその進行方向を変えると、校舎と校舎の間にある中庭の方へと消えていく。

 しゃがみ込んで避けようとした忠典が袖を掴んだので、二人はその場に尻餅をついて倒れた。

 血相を変えた野球部員達が駆け寄ってくる。

 3年生らしき一人が焦った口調で訊く。


「大丈夫か、怪我してないか」

「い、いえ、大丈夫です。どこにもぶつかってないみたいですから…」


 念のため、頭や肩を触ってみたが、特に痛みを感じるところはなかった。


「そうか、それならよかった。急にボールが飛んでいく角度が変わったから、てっきり頭かどこかにぶつかったのかと思った」


 ほっとした表情を浮かべた隣で、別の3年生が怒鳴り声を上げる。


「おい1年!ネットに隙間が開いてるじゃないか!」


 グラウンドの外周には等間隔で支柱が立てられ、その間に張られたワイヤーにカーテン状のネットがつり下げられているが、その合わせ目に2メートルほどの隙間が生じていた。


「お前らがちゃんと閉めとかないから、こんな事になったんだぞ!」


 項垂れる1年生達へ容赦ない叱責が飛ぶ。

 何人かの部員が、ボールを探してこいと言われて中庭の方へ散っていった。

 三年生数人に抱え起こされた二人は、謝罪の言葉を掛けられて、逆に恐縮しながらその場を離れる。

 周りには騒ぎを聞きつけた十数人の生徒が集まってきていたが、何事もなかったことがわかると急に興味を失って立ち去っていく。


 ただし、二人の例外を除いて。


「ねっ、お姉ちゃん。あの人だよ、昨日話したのは」

「可能性はありそうね。まだ確定ってわけじゃないけど」


 その二人は、中庭の植え込みの陰から一部始終を見ていた。

 一人は校内で一真にぶつかりそうになった、あの子だ。

 小柄な体で精一杯背伸びをして、騒ぎの様子を見ようとしている。

 もう一人、『お姉ちゃん』と呼ばれた女子生徒は、対照的に170センチ近い長身に整った顔立ち、胸にかかった艶やかな黒髪を右手でかき上げる仕草が、どことなく大人びて見える。 実年齢よりも年上に見られるであろう外観に比べ、頭につけている、リボンをあしらった可愛いデザインのカチューシャが、ややアンバランスな印象を与える。


「私は間違いないと思うんだけどな。

 今日も校内で偶然のふりして接触してみたけど、ピンとくるものがあったしね」

「でも、『共振』した訳じゃないんだ」

「うん……そこまでは感じとれなかったなー」

「どっちにしても手順通り調査する必要があるわね。『香寿美さん』には私から言っとくから、『ストーカー』お願いね」

「その言い方、やめて欲しいんだけど」

「ほら、早くしないと彼、行っちゃうよ。見失ったら大変」

「はいはい、わかりました。じゃあ今日は遅くなるかもしれないから、先にご飯食べててね」


 言い残して走り出そうとした『妹』を慌てて『姉』が呼び止める。


「あ、ちょっと、今日の晩ご飯ってどうしたらいいの?」


 それまでの態度が一変し、ここから『姉妹』の立場が逆転した。


「昨日の内にビーフシチューを作っておいたからって、言ったでしょ?」


 ちょっとあきれたような口調で答える。


「え?ああ、そうだっけ?」

「しっかりしてよ。キッチンに置いてあるから適当に温めて食べてよね。あと、ダイニングのテーブルにバゲットが置いてあるから」

「えー、パンなの?私、夜はごはんがいいんだけどなー」

「もう、お姉ちゃんはいつもわがままなんだから。……んー、じゃあラップしたご飯が冷凍してあるから、レンジで解凍して。それぐらいお姉ちゃんでも出来るでしょ?」

「う、うん。多分…」

「わかんなくなったら電話して。出来る限りでるようにするから。

 そうそう、火の扱いには注意してよ、ウチのコンロはIHじゃないんだからさ」


 まるで母親のような台詞を残して、長い髪を揺らしながら走っていく。

 残された『姉』は、その後ろ姿を不安げな表情で見送っていたが、やがてくるりと向きを変えて歩き出そうとした。

 その足下に、一真を襲った硬球が転がっていた。

 立ち止まって、すっ、と右手をかざす。

 ボールは地面を離れ、重力に逆らいながら吸い付くように右の手の平に収まる。

 顔を上げると、きょろきょろと辺りを見回しながらボールを探している、ユニホーム姿の1年生が目に入る。

 握ったボールを頭上で左右に大きく振りながら、大声で呼びかけた。


「ねーえ、もしかしてこれ探してる?」


 彼はこのときほど先輩に怒られたことを感謝したことはなかった。

 さっきは閉めたはずのネットが知らない間に開いていて理不尽に怒鳴られるし、そのあおりでボールを探しに行かされるし。

 しかし、そのおかげでかわいい女の子との出会いが転がり込んできた。

 しかも、あの子は確か……


「あ、サンキュー、助かったー。今、取りに行くから」


 ニヤニヤしそうな顔を無理矢理引き締めながら走り出そうとしたが、それを押しとどめるような返事が返ってきた。


「来なくてもいいわよ、投げるから受け取ってね」


 そんなことされたら、せっかくお近づきのチャンスがフイになるじゃないか、一瞬そう思ったが、多分、投げ損なって足下に叩きつけられるのがオチだろう。そうなってから受け取りにいっても遅くない。

 そう考えておざなり構えたグラブに向かって、女の子にありがちな、ぎこちないフォームで投げられたボールは、しかし予想に反してストライクの返球で帰ってきた。

 お互いの距離は30メートルは超えている。

 驚いて思わずグラブに入ったボールを見るが、当然ながら何の変哲もない、ただのボールだ。

 何はともあれ、もう一度礼を言おうと顔を上げたときには少女の姿はきれいさっぱり消えていた。


「あ、あれ?」


 辺りを見回してみたが、結果は変わらない。

 幻でも見ていたのか、首をかしげながら立ち尽くすしかなかった。

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