(3) 続・テクノロジー
『思力』という概念が世に公表されてから、ちょうど20年が経過しようとしていた。
その内容から言えば、オカルト系の雑誌が取り上げるか、せいぜいテレビの情報系バラエティ番組で、イロモノとして紹介される程度で終わるはずだった。
人々の記憶にも残らず、数多ある疑似科学の一つとしてマニアの間で語られる位が関の山。
しかし世間の反応は違っていた。
思力に関する一大論争が巻き起こったのである。
それは、思力を『発見』した早明浦教授が、国内最高峰の教育機関である国立西都大学において教鞭を執り、当時42歳の若さで工学部の学部長を務め、さらには次期西都大学総長候補の最右翼と目される気鋭の研究者であったことと無関係ではない。
親しみやすい人柄と、難解な科学技術をわかりやすく説明する語り口、そしてなによりルックスの良さからメディアでも引っ張りだこであり、学者でありながらテレビやラジオのレギュラー番組を持つほどの有名人でもあった。
それほどの人気を持つ科学者の言葉に、世論は真っ二つに割れた。
肯定論者は夢の技術ともてはやし、否定論者は似非科学とまでこき下ろした。
論争の結末はといえば、思力に関連する技術が急速な発展、拡大を遂げ、今や社会に無くてはならないものになっている現状から言わずもがな、である。
それまで電波や赤外線を利用してきたワイヤレスインターフェイスは、ほぼ全てが思力を利用したシステムへと取って代わられ、家庭からテレビやエアコンのリモコンが消えた。
例えばチャンネルを変えたいと思ったら、思力波によりテレビにアクセスして番組表を入手し、見たい番組を頭の中で選ぶだけで事足りる。
テレビから提供される番組表の画像は、データを視神経に直接送り込むことで視野に映し出される。
フルハイビジョン並の画質とまではいかないが、モニターやゴーグルといった機器を必要とせずに映像を『見る』ことが可能となった。
ありとあらゆる機械に思力を感知するセンサーが組み込まれ、人は頭の中で思い描くだけでそれらの機械を操作することが可能となり、それこそテレビのチャンネルからジェット機の操縦に至るまで、程度の差はあれ、思力による制御を用いない機械は無いと言い切れるほどそのテクノロジーは普及していた。
思力が社会に根付き生活に不可欠なものとなったことから、思力の使い方はもちろんのこと、付随する様々な事象や問題などに関して子供のうちから教育する必要があるとして、国の定める学習指導要領には思力関連の授業が盛り込まれた。
義務教育修了までに、基本的な思力制御の方法といった実技面や理論など、一通りの知識を身に付けるようになっている。
思力についてのカリキュラムを組んでいる高校も少なからず存在した。
一条学園では、1ヶ月に1回の割合で思力に関する授業が組まれており、技術論だけでなく、その歴史や背景といったところまで掘り下げる内容となっている。
一真達が見ているビデオも、そうした教育の一助として利用されているのだ。
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2時間目も残りわずかとなり、五十嵐は番組の途中であるがスクリーンをオフにし、教室の照明を点灯させる。
はっとして目が覚めた一真だが、覚られないようにあくびを噛み殺し、さも『ずっと起きていましたよ』と言わんばかりに机上端末を操作するフリをしていた。
「思力概論の授業はテストもないし、休憩時間と勘違いしている者もいるみたいだが……」
教壇に上がった五十嵐は、チラリと一真の方に視線を向けると言葉を続けた。
「担任の俺が教えているんだから、授業態度は平常点に加算されるということを忘れるなよ」
学内での成績は、定期テストの点数の他に生活態度などによる平常点が加味されて決定する。
テストで赤点を取ると追試だが、平常点が悪い場合はまたもや『レポート』である。
「じゃあ、授業を終わる前にビデオの内容について質問してみよう。ちゃんと見ていた者にとっては、簡単な質問だけどな」
口元に意地の悪い笑みを浮かべる。
(なんだよ、それ。まるっきり俺狙いじゃんか)
今度は早くチャイムが鳴ってくれと願う。
しかし、そうそう奇跡は起こらないだろう。
目が合わないよう端末のモニターに視線を落としていたが、そんな抵抗は無意味だと十二分に理解している。
教壇から教室内をわざとらしく一回見回した五十嵐は、さっきとは違い、はっきりと一真の顔を見据えた。
「じゃあ…」
三咲、と言おうとしたその瞬間、スピーカーからチャイムの音が鳴り響く。
あきらめの境地に片足を入れかけていた一真には、その音色が救世主の到来を告げる合図に感じられた。
「ん?もうそんな時間か?」
だが時計の表示では、2時限目の授業はあと3分残っている。
五十嵐が何か言おうと口を開きかけたが、それを遮るように一真の前の席に座っている日直の池原が間髪入れずに起立の号令をかけると、教室内の生徒が一斉に立ち上がる。
生徒達に気押されるように、五十嵐は首を捻りながらも授業を終わりにせざるを得なかった。
「次は…阿佐ヶ谷先生の体育だな。
お前達、遅れないように急いで行けよ」
教師としての対面を何とか保ちつつ、しかし釈然としないまま五十嵐は教室を出て行った。