(11) 駆け引き
同じ『力』を持つ者達による組織、その組織への『勧誘』。
大げさに言えば人生の転換点、身近なところでは、明日からの放課後の過ごし方が変わるかもしれない、そんな決断を迫られている。
一条学園からほど近いファーストフード店の2階で、ポテトをつまみながら相談する高校生二人にとって、それは重くのしかかってくる問題だ。
「俺、実を言うと、まだ結論が出ないんだ。昨日の話では、嘘をついているようには感じなかったんだけど、何かを隠しているんじゃないか、って。その思いがどうしても消えないんだよな」
昨日は、なかなか寝付けないほど悩んで考えた末、結論まではたどり着けなかった。
「私はあの人達に協力してもいいかな、って思ってるんです。昨日も言ったように、悪い人たちには思えなかったし、それに自分のこの力について、少しでもいいから情報が欲しいんです。あの人達はその願いを叶えてくれるかもしれない」
時折、大きなあくびを漏らす寝不足の一真とは対照的に、すっきりとした表情の素子は、肯定的な意見を述べた。
「言ってることが本当かどうか、隠し事は無いのか。調査できたらいいんだけど、俺達にそんな探偵みたいなことは無理だしなー」
トレイの上からつまみ上げたポテトを3本ほど、まとめて口に放り込む。
一真達のような学生や親子連れで店内は混雑していた。
3歳くらいだろうか、テーブルの間を縦横無尽に走り回る男の子を追いかけて、若い母親が二人の横を走りすぎていった。
何とも言えない、重苦しい沈黙が続く。
それを破ったのは、素子の言葉だった。
「わかりました。じゃあ、次に会ったとき、私があの人達の心の中を探ります。その結果で判断するというのはどうですか?」
それは、意外な提案だった。
「蓮見さん、そんなことをして、大丈夫?」
他人の心を読むことが出来る。
過去に、その力でつらい思いをしてきた素子である。
かつて学校にも行くことが出来ず、自分の殻に閉じこもるしかなかった素子のことを思えば、他人のネガティブな感情に触れたとき、どれだけの苦痛を伴うのか想像に難くない。
だが、素子は力強く頷いた。
「大丈夫です」
そう言い切った顔は自信に満ちたものだった。
「私、傷つくのが嫌だから、この力を使わないようにしてきました。それが自分を守る唯一の方法だと信じていた。でも違うんですよね。今までの私は、現実から目をそらして逃げていただけなんです。そんな気持ちのままじゃ、いつかは同じことの繰り返しになる。もう、あのときのような思いはしたくない。だから……」
にこりと微笑んだ顔に、迷いは無かった。
「だから、決めました。私はもう逃げないって。この力を含めた自分自身と向き合おうって、決めたんです」
そこまで覚悟を決めているなら、反対する理由はない。
「わかった、そうすることにしよう。でも、苦しかったすぐにやめていいから」
「わかりました」
もう一度素子は頷いた。
頷き返した一真だったが、疑問が一つ、頭に浮かんだ。
「例えばさ、相手が嘘をついているかどうかって、はっきりとわかるものなの?」
考え事をするときの癖なのか、唇に人差し指を当てながら素子が答える。
「そうですね。嘘の向こうに本心が透けて見えるていうか……言葉で言い表すのは難しいんですけど、嘘だけが浮いた存在として感じるんです。だからわかるんですけど、でも……」
「でも?」
「何かで読んだことがあるんですけど、『下手な詐欺師は嘘で自分を装うからバレる。真の詐欺師は自分の嘘になりきるからバレない』って。つまり、嘘を嘘と思わない人の場合、私でもわからないかもしれません」
「今までにそんな事ってあった?」
その質問に、若干表情を曇らせる。
あまり思い出したくない事なのだろう。
「一人だけ、いました。すぐにバレるような嘘を平気でつく子だったんですけど、偶然、その子の心を見てしまったんです。でも、私には嘘をついていると感じられなかった。明らかな嘘だったにもかかわらず、です。つまり嘘を嘘と思っていなかったんです。その子の中では全部本当の事として口にしていた。だから私にはわからなかったんだと思います」
「じゃあ、例えば昨日会ったあの人達に同じようにされたら、蓮見さんでも相手の本心を見抜けないってこと?」
「そういうことになりますね」
そう言うと、ちょっと考えた後に言葉を続けた。
「でも、方法が無い訳じゃないと思います。その、嘘つきの子にも一人だけ味方になって庇ってくれる友達がいたんですけど、ある時、その友達の堪忍袋の緒が切れて、『もう絶交だ』って言われたんです。よほどショックだったんでしょうね、絶交と言われた瞬間、涙をぽろぽろこぼしながら、『ごめんなさい、ごめんなさい』って何度も繰り返して……その時、本心が見えたんです。嘘で出来た壁が崩れて、中から本当の心が姿を現した、そんな感じでした」
「と言うことは、相手を動揺させたらいいのか……」
だが、昨日会ったばかりで何も知らないに等しい相手を動揺させるセリフなど、思いもつかない。
うーん、と唸りながら、ああでもないこうでもないと考えている横を、グラスを乗せたトレイを手にしたOLが通る。
空いた席を探しているその足元に、さっきから走り回っていた男の子がトップスピードで衝突した。
「あっ!」
トレイから飛び出したグラスが宙を舞う。
空中に放たれた褐色の液体は、一真の胸元へ一直線に向かっていったが、その直前できれいに左右に分かれ、床に落ちた。
「ごめんなさい!」
OLと男の子の母親の二人が異口同音に謝罪する。
「あ、いや、奇跡的に一滴もかからなかったみたいなので、大丈夫です」
実際、白いカッターシャツにはシミ一つ見あたらなかった。
頭を下げながら、衝突事故の当事者達は階下へと去っていく。
「今の、蓮見さんが?」
床を拭き終えた店員が行ってしまうのを待って尋ねてみた。
「あ、はい。とっさにやってしまいました」
物理の法則をねじ曲げて、液体の進行方向を変えたのだ。
おかげで、制服がコーヒー染めにならなくて済んだ。
「ありがとう。でもビックリしたなー。あの男の子、走り回って危ないなとは思ってたけど、まさか自分が被害を受けそうになるなんて考えなかったからなー」
そこまで口にすると、ある考えが閃いた。
「そうか、何も言葉にこだわることはないんだ。要は相手の想像もつかないようなことをすれば……」
「何のことですか?」
「いや、例えばさ……」
そこで、考えついた『例え』を話してみた。
「でも、そんなことをして本当に大丈夫なんですか?万が一、怪我でもさせたら……」
「大丈夫……だと、思う。多分……」
徐々にトーンダウンしていく言葉が、素子を若干不安にさせたが、
「でも、あの進藤さんって人、ベテランというか何かの達人って雰囲気だったし、それくらいのことをしても平気かな……」
昨日も間近に見た引き締まった体躯や颯爽とした身のこなし、自信にあふれた表情を思い浮かべて、納得することにした」
「じゃあ、決まりだね」
「返事はいつしますか?」
そうだな、と腕組みをしながらしばらく考えていた。
「善は急げ、じゃないけど今すぐに返事をするのはどうかな。昨日の今日で決めてくるとは思っていないだろうから、ある意味不意打ちになるし。それで、いい?」
素子は頷いて同意した。
これで順調に事が運べば、遅くとも数時間後には結論が出ていることになる。
そう思うと、急にプレッシャーを感じて、一真は身震いした。
「蓮見さんは、不安じゃない?」
思わずそう訊いてしまうのは、自分が不安で一杯なことの裏返しだ。
「それを言い出したらきりがないですから……大丈夫です、きっと」
笑顔で答える様子を見ながら、
(本当は芯が強い子なんだな)
対比して自分の弱さを恥ずかしく思う。
(変わらなきゃ、な。俺も)
自分を変える、その鍵を握っているのは何なのか。
一真には、まだ、わからない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「ありがとう。一度に二人も仲間が増えることになって、私も嬉しいわ」
三人がいるのは、昨日と同じ喫茶店。
あれから素子が電話をすると、瑠美は待ち合わせに1時間後の時刻とこの場所を指定してきた。
きっかり1時間後に三人は落ち合い、一真と素子は瑠美の組織に協力することを告げたのだった。
「昨日の今日で返事がもらえるとは思っていなかったから、電話をもらったときはちょっとビックリしたけどね」
カップを手に取ると、レモンティーを口にする。
「じゃあ、これからの予定を説明しておこうかな。前にも言ったけど、謝礼金の支払いなんかが発生するから、書類を作ってもらわないといけないし」
「あ、じゃあ、メモしとこう」
鞄の中から手の平サイズのメモ帳と、ノック式のボールペンを取り出す。
それを見た瑠美は、以外といった表情を浮かべる。
「ペンなんて持ち歩いてるの?若いのに珍しいわね」
紙で出来たメモ帳を備忘録として使っているのは年配者くらいのものだ。
普通は、頭に思い浮かべたことを記録するアンプの機能を使うのが一般的だ。
照れ笑いを浮かべながら、一真が説明する。
「実は、学校でレポート書かされることが多くて、それで普段からペンで紙に字を書く練習をしようかなと思って」
「私も優等生とはいえなかったから、ずいぶんと書かされた覚えがあるわ」
そう言って過去を懐かしむかのような表情をみせていた。
一真はメモ帳の表紙をめくり、ペンを走らせる。
「あっとっとっ」
手からこぼれ落ちたペンは、床を転がってテーブルの下へ入り込んだ。
その様子を見て、笑みを浮かべながら瑠美が言った。
「持ち方から練習しないといけないようね」
再度照れ笑いをした一真は、テーブルの下へ屈み込んだ。
そのタイミングで、ミニスカートから伸びた足が組み替えられる。
(いかん、いかん)
目の前で繰り広げられた光景に思わず見とれてしまった自分に渇を入れると、床に落ちているペンを拾い上げた。
先端が手の平から出るようにして軸をしっかりと握る。
一度、大きく深呼吸をする。
「見つかった?」
「あ、はい」
返事をしながらゆっくりと体を起こしていく。
瑠美の視線が自分から外れた瞬間、ペンを握った右手に力を込めて、整った横顔めがけて思い切り突き出す。
ナイフで人を刺すかのごとく、ありったけの敵意を込めて。
「何のつもり?」
詰問の声が冷たく響く。
さっきまでのにこやかな笑顔は微塵も残らずに消え去り、鋭い視線が真正面から一真の目に突き刺さる。
突き出したペンの先端は、眉間まであと数センチの位置で停止していた。
「う、くっ!」
動かそうともがいても、右腕はびくともしない。
腕の周りの空間が、まるでプラスチックみたいに固まってしまったかのようだ。
瑠美は、両手をテーブルの上に置いた姿勢を崩していない。
「冗談にしてはやりすぎね」
うら若き女性とは思えない、凄みのある声だ。
しかし一真は、その声を聞き流し、隣に座っている少女の様子を横目で探る。
その視線を辿った瑠美も気が付いたようだった。
芝居じみた行動の真の意図を。
「……だめ…できない……」
小柄な体が細かく震えていた。
両腕で胸を抱きしめ、その震えを止めようとしているが、体はいうことをきかない。
うつむいた横顔は、まるで陶器のように白かった。
「ごめんなさい……あなた達と一緒には行けない……」
血の気が引いた唇からそれだけを絞り出すように言うと、素子の体は大きく傾いた。
倒れかかる肩を一真の両手が掴む。
「大丈夫か?」
抱きかかえるようにして支えていると、少しずつだが震えが収まってくる。
「ごめんなさい、もう大丈夫」
ようやく顔にも血の気が戻ってきた。
二人は視線を合わせると、無言のまま頷き合った。
「そういうことで、俺達二人、あなた達の仲間にはなれません。期待させて悪かったけど」
無表情のまま瑠美は二人をじっと見比べていたが、
「そう。残念だけど、仕方がないわね」
つぶやくように言った。
「じゃあ、これで」
二人は席を立った。
足がふらつく素子を、一真が支える。
「送って行かなくて大丈夫?」
「大丈夫です。俺が家までついて行きますから」
二人は軽く頭を下げると、瑠美から視線を外さないようにして店を出て行く。
「さよなら。気を付けてね」
最後に投げかけられた抑揚の無い声が、二人の心の奥底に不気味に響いた。