ある書の前書きより
“シーベルエ建国暦1987年。彼の魔王はこの世界に再臨する。
世界に混沌をもたらし、喚び出した愚者をも滅ぼせし、魔王召喚。再びこの愚かな行為が繰り返される事をこの長き平和で満たされた世界に住まう者の誰が予期出来たであろうか?出来ようはずが無かった。しかし、一人だけは違った。
これからこの本で語るのは、その常人の枠を超えた遥かなる叡智から魔王の再来を先見した唯一人の男、真実の軌跡である。
如何にあの大英雄リンセン=ナールス、大魔導士レクスター=シークスを苦境に追い込んだ魔王で在ろうとも予期出来たで在ろうか?
再び舞い戻りしこの世界に、リンセン=ナールス以上の勇気と剣腕を持ちし勇者がいるという事を。そして、その勇者を正義の道へと教え導いた、あのレクスター=シークスを学術、魔術、戦術、全てに於いて凌駕する賢者が存在する事を……”
以上、マイス=ハウマー著『天空の賢者、真実の戦記』、著者前書きより一部抜粋。
あの高名な近現代史家ハウマー氏の記されたこの本を歴史家の端くれとして批評させて頂くと、大変面白かった。下手な喜劇よりずっと笑えましたよ。
しかし、歴史書としてはあまりにお粗末過ぎる。前書きだけで指摘すべき点がいくらでも見付かる。
まぁ、その賢者とやらの枕元にセレミス教最高神オシリスが降臨して使命を与えたとか、その賢者はあのレクスター=シークスの生まれ代わりだとかのぶっ飛んだ話よりは、随分と現実的に纏められている。
俺としてはより現実的に、虚実で纏められているからこそ質が悪いんだけど。
まあ、結局、あのハウマー氏も飛び交う流言に揉まれて真実の史実には辿り着け無かったのだろう。
と、偉そうに各言う俺もまた当事者にして真実の史実とやらには到底辿り着けそうに無いことを悟った。当事者でさえ、真の歴史とやらには辿り着けないのだ。誰かが客観的に真実だと思ったこと。案外、歴史なんてそんな物なのかもしれない。
だから、ここに書くのは俺による主観の賜物。真の歴史とやらを惑わす一筆。
これをどう取るのか、読み手次第。歴史書なんてそれで良い。
ここに記すはある少年の記録。小さな勇気を持った少年の記録。そして、その少年に付き従った愚かなる男と他の勇気ある者達の主観的記録である。
『Record of adveture with brave boys』前書きより