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con melancolia




同じところを、千年もの間ぐるぐると回って。




「おはよう、ユト。昨晩はご苦労だったね。」

「……。」

「つれないね。」

「…読書中。」


ユトが読書に没頭するのは大抵機嫌の悪い時だが今日の彼女は特に機嫌が悪いらしい。

別段読書が好きなわけでもないのに、それでも本から視線を外そうとしない彼女の頑固さに苦笑を浮かべる。

「返事くらい返してくれたっていいじゃないか。せっかく労いの言葉をかけてやってるんだからさ。」

「あんな仕事労ってもらったってこれっぽっちもうれしくないわ。」

普段よりも一際低い声。ページを捲る手つきは酷く荒々しい。これは重症だ。

何かあったのかと思考をめぐらすうちに、ある可能性に思い当たった。

「あぁ――…昨日は、満月だったもんな。」


その、瞬間。


今まで何を言っても反応の無かった彼女の体が、おもしろいくらいにビクリと跳ねた。

――図星か。

きつく噛み締められた彼女の唇に、ページの端を掴んだまま止まった手に。彼は薄く笑って、続ける。

「でも大分良くなったな。あの頃は満月だってだけで暴れ出してさ。――本当、大変だったよ。それでなくても、」

「ヴァルツェ、」

ユトはきつく遮ったつもりだったのだろう。けれど震えて頼りないその声。

「分かってるんなら出てって。…今この瞬間だって私はあんたを殺したくて仕様がないの。」

「それは大変だ。でも、いつも言ってるだろう、ユト?」

彼女の背後から腕を伸ばし、優しくその中に閉じ込める。強張り身を捩る細い肩すら愛おしい。

彼女を自分の元に留めておくためなら何だってする。何にだってなる。悪魔にでも、何でも。


この世界でたった一人の理解者。…彼女さえいれば、他に何もいらない。



耳に吹き込む。それはまるで睦言のように。

――お前に、俺は、殺せないよ?

その言葉にユトは泣きそうに顔をくしゃりと歪めた。悔しいのだろう。

「出てって…!!」

滲む声音。ああ、可哀相に。



「所詮“歌姫”の呪縛からは逃れられないんだよ…お前も、俺も。」

お前の魂の半分は、“歌姫”を愛した、グリフォンのもので。

俺の中に流れる血は、その魔物を従えた“歌姫”のものなのだから。




ティラナ・セクエンツィア。

それが、この国では知らぬ者はいない“歌姫”の、名前。

千年も昔に歌を以って魔物を率いた、伝説の歌姫。


そう彼女が、全ての始まりだった。



出身、年齢等生涯のほとんどが謎に包まれた、セクエンツィア家の始祖とされる人物。

幼い頃より魔物を統べる――「操曲」の力を有していたが故に蔑まれ。

ところが他国の侵略を魔物とともに撃破するや否や、彼女は英雄として祭り上げられた。

そこからセクエンツィア家は代々王に仕え――そして今に至る。

”歌姫”の血を引く”操者”たるヴァルツェと。

魔物の魂を宿した”奏者”、ユトと。

千年昔と同じように歌でもって魔物を制し国を守る。…いや、今では専ら暗殺しかしていないけれど。





「“歌姫”が今の俺達を見たらどう思うだろうな?」

変わらずユトをその腕に抱きこんだまま、ヴァルツェが口を開いた。

「防国の英雄の子孫が暗殺家業だなんて知ったら、さ。」

「…くだらないこと言ってないで、離して。」

「なぁ、どう思う?」

答えるまで離さないよと付け加えてると、ユトはますますにその柳眉を寄せた。

「いい加減にして。――『もしも』の話なんてする気ないわ。」



もしも“歌姫”が英雄となることなく、一生を終えていてくれたならば。

もしもヴァルツェが“操曲”の能力など持たぬ人間だったなら。

もしも自分が魔物の魂など持たぬ普通の女だったなら。


…もしもこの場で今すぐ、この男を殺せるなら。



―――キリがない。

憂鬱(コン・メランコリーア)になるほど続いてゆく、仮定の螺旋。



「…やれやれ。本当にご機嫌ナナメなんだな。」

離れていく温度にユトが張り詰めた息を吐く。震える吐息は安堵か寂寥か。ああきっとどちらもだ。

彼女の思考はいつだって人の身と獣の魂の板ばさみなのだから。ああ本当に、可哀相に。

「ここのところ立て続けだったから。…今日はゆっくり休むといい。」

ドアノブに手をかけ振り向くと、愛おしさの滲む声で言う。

「…また来るよ。」



静寂の訪れた部屋にユトは、

「…大嫌い。」

苦虫を噛み潰したような顔をしてそう吐き捨て、本を閉じた。




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