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第9話「ボイドの過去、探究する魔王へ」

老魔王ギルはアビスを失っても、その力がボイドに宿ったと知ると、何ら悲しみを抱かなかった。

ギルにとって、子は駒だ。利用できる能力が失われていなければ、それで良いのである。


ボイドとベクトガルドは人類軍を脅かす魔族の二大将として成長していく。だが、二人は成長と共に、独裁を強めるギルに対して不満を募らせていった。

年老いて戦果を急ぐギルは、雑な作戦を喚き散らし、結果が出ないとすべてを息子たちの責任にした。

ボイドとベクトガルドは次第にギルの命令を無視し始め、それぞれ単独で動くようになる。


ボイドはまず、他種族を観察することから始めた。敵の勢力を見極めない限り、無益な戦いはしない。魔法であらゆる種族に化け、スパイのように世界を巡る。敵が「どういう者なのか」を知ろうと試みた。


一方、ベクトガルドは増殖させた魔族たちに独自の指示を与え、父の「操りの術」から外れた、自分の命令で動く勢力を増やしていった。


支配を急ぐギルの罵倒が極点に達した、ある日のこと。

不機嫌を露わに玉座に座る彼に、ついに凶刃が突き立てられた。

ベクトガルドと、彼が育てた精鋭たちの叛逆。老魔王ギルは、その場で命を落とした。


「力の無い王に従う必要など、もはやない。この男に魔族を任せることはできない」


それがベクトガルドの意志だった。


旅から戻ったボイドは、いつか起きるであろうことが起きたかと、冷静に事態を受け止めた。ベクトガルドはボイドに告げる。


「今後は兄上が魔王だ。アビスの力を持った兄上は、俺や、俺が操る魔族すべてより巨大な力を持つ」


力そのものを信仰するベクトガルドらしい発言だった。

ボイドは魔王の座を受け入れたが、彼はそこから二度と表舞台には立たなかった。


「真の敵がまだいる。それを調べなければ、人類を滅ぼしても苦しみの連鎖は終わらない」


最強の力を持ちながら、ボイドは魔城の小部屋に籠もる探究者となった。外の戦はすべてベクトガルドに任せ、自分は世界の構造を暴くための研究に没頭したのだ。


ボイドは旅の中で、様々なものを見た。

村で暮らす平和な人々、無邪気な人間の兄弟を見た時、アビスやベクトガルドの顔がよぎり、戸惑った。


(……人間たちも、俺たちと同じではないか)


各地の遺跡で古文書を読み漁り、可能性の液体「カレイド・スープ」の存在を知ったが、その在処はギルが墓場まで持っていってしまった。


(このままでは、魔王の血統は俺とベクトガルドで最後となる)


だが、それすらもボイドの関心を引かなかった。むしろ初代魔王はどこから現れたのか。あるいはこの世界を創ったという女神とやらはどこにいるのか。その「仕組み」を知ることこそが、ボイドにとって「自由に生きる」ということそのものだった。


数十年が過ぎ、あの勇者パウリが現れたことで、均衡は崩れた。


ベクトガルドの軍勢はことごとく敗れた。

すべてを斬るオッカムの剣を封じられる魔族など、どこにもいなかった。


敗色濃厚となったベクトガルドに救いを求められたボイドだが、彼は勇者と戦おうとはしなかった。

ボイドはその時、すでにゴド遺跡の碑文を解析し、女神の居場所を突き止めていたからだ。

人類を消し去ったところで、憎しみの構造は消えない。そして「カレイド・スープ」がない今、魔族は終わる。ならば――ボイドが狙うべきは、天界で微笑む女神ただ一人だった。


ボイドはまず、ベクトガルドを応接間に呼び、自分の得たすべてを伝えた。カレイド・スープのこと、天界への道筋のこと。そして、「永遠の命の儀式」を餌に天界へ渡り、構造を打破するという計画。

ベクトガルドは不信感をぶつけた。


「その遺跡の予言は信じられるのか? 仮に兄上が天界に行ったとして、戻れる保証もない。それは『死』とどう違うというのだ?」


ボイドは答える。


「天界がどうなっているかは分からん。俺が求める構造があるのか、ないのか。それすら、行ってみなければ分からぬのだ」


ベクトガルドは諦め混じりに言った。


「兄上よ。俺は魔族の存亡のために父さえ殺した。だが、パウリには勝てない。兄上が死ぬとすれば、それは魔族の終わりを意味する。……俺も死ぬであろうな」


「お前が死ぬことはない。私が戻らぬ時は、すべての魔族を『操りの術』から解き放て。そうすれば戦う意志を失った魔族たちは自由に生きるだろう。お前は、カレイド・スープを探す旅に出ろ。それが唯一残された道だ」


ベクトガルドは暫し沈黙した後、「兄上には勝てん」と、その提案を受け入れた。


次はパウリだ。

宿敵同士、いきなり話などできるはずもない。ボイドは段階を経る作戦を取った。


かつてのように、彼は人間の魔法使いに化けた。ボイドの擬態は、魔力の形すら書き換える完璧なものだった。

彼は「賢者」として勇者パーティに潜り込み、旅の中で彼女に世界の理を説いていった。星の動き、カレイド・スープ、天界の存在……。


そして数週間が経った晩、宿屋のロビーで二人きりになった際、彼は正体を明かした。


自分が魔王ボイドであると。


パウリは瞬時にオッカムの剣に手を伸ばしたが、ボイドの瞳を見て、剣を下ろした。


(――この男は、私を殺そうと思えばいつでも殺せた)


その事実が、魔王の言葉に嘘がないことを証明していた。

魔王は提案した。


「永遠の命は、お前が受け取っても構わない。パウリ。俺はただ、天界への道を辿りたいだけだ。女神が裂け目を作ってくれれば、それでいい」


パウリは真剣に聞いたが、永遠の命に何の魅力も感じなかった。家族や仲間が死に絶えた未来で、自分だけが生き続けることのどこに幸せがあるというのか。


「私は人として生き、人として死にたい。永遠の命などいらない。……魔王ボイド、お前に一つ尋ねたい」


パウリはボイドの目を見据えた。


「お前は賢者として、私に世界のことを教えてくれた。星の動きの話もしたね」


「うむ」


「五〇億年後には、この星すら太陽の中に消えるとお前は言った。仮に永遠の命を得て、お前はその時、どうするつもりだ?」


あまりに遠い、しかし極めて現実的な問い。ボイドは目を丸くした。


「空気のない苦しみの中、永遠にお前は彷徨うのか?」


少しの沈黙の後、ボイドは微笑んだ。


「確かにな。新しい地獄だ。絶望的な未来だな。……ただ、構造を考え続けることはできる。宇宙を漂いながら。それを受け入れるほかあるまい」


パウリは呆れて笑った。この魔王という男は、「構造を知りたい」「苦しみの連鎖を切りたい」という事以外本当に何の欲も無いことを知った。

二人は紅茶を飲みながら、女神に「永遠の命のキャンセル」が可能かどうかを和やかに話し合った。


それから、二人であのゴド遺跡へ向かったのだ。



スピンとグラの寝顔に、焚き火の光が当たり、穏やかに揺れる。

ボイドは不思議な心地で二人を見つめていた。


(俺は苦しみの構造を断つために動き続けた。だが、天界で破壊したものは俺自身のイメージが作り出した幻影に過ぎなかった。……そして今、俺は世界を崩壊から守るため、女神と法則を回収する旅をしている。……なんて皮肉な構造だ)


ボイドは小さく息をつき、軽く目を閉じ、眠りについた。

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