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第7話「旅の始まり」

「トゥクーーントゥクトゥク!」


可愛らしい音を立てて弾む、プリン型の鉛。

女神スピンによれば、これでもしっかり意味のある言葉を話しているのだという。だが、ボイドにはただの奇妙な鳴き声にしか聞こえなかった。


ボイド、スピン、パウリの三人は、再び城の執務室へと戻っていた。


城裏の森は無惨に抉れたままだが、幸いにして、イストール王国の民や建造物に被害はなかった。

パウリが国王や民に「特殊な怪物を、二人の旅の魔法使いと協力して鎮めた」と説明してくれたおかげで、魔王や女神の降臨という大混乱は未然に防がれた。

事態を収束させたボイドとスピン、そして協力した羊羹ようかん屋の職人たちには、国王から金一封が授与された。


パウリの小部屋で、スピンは再びテルルフォンを取り出し、爺やへ連絡を入れていた。


『……では、グラは天界へ戻らず、スピン様と共に他の法則を回収する旅に同行すると?』


「ええ。グラが自分から行きたいって言ってるの。初めての地上で力の使い方が分からず暴走しちゃったけど、もう大丈夫だって!」


「トゥクトゥクトゥク!」と笑うように揺れる小さなグラを見て、ボイドは一抹の不安を覚えた。

だが、スピンによればグラには回収の旅に不可欠な能力があるという。

重力とは、この星のすべて、あるいは宇宙全体に偏在する力だ。グラのコアは時間をかければそのすべてと交信し、地上のどこに何があるかを探り当てることができる。

さらに、交信に力を使うことで余計なエネルギーが消費され、先ほどのような暴走も防げるというのだ。

若干の不信感は拭えないものの、ボイドはこれを受け入れるしかなかった。

テルルフォンから爺やの声が響く。


『それで、残りの二体……クジラの「ディーヨン」、ミミズの「マジックワーム」の所在は分かりましたかな?』


「今、グラちゃんが世界中と交信中。時間はかかるみたい。ずっとクルクルしてるわ」


部屋の真ん中でフワフワと回転し続けるグラ。データの読み込み中なのか、しばらくすると突然その目を緑色に発光させた。


「トゥクトゥクトゥーーー!」

「きたよ! 発見したって!」


スピンが弾んだ声で報告し、パウリがその内容を地図に落としていく。


「場所はこの大陸を遥か南西。ラドニ山を越え、サンロコ砂漠の先にあるエルフビーチ。……の、さらに先。海の底!? 海の底ですって!?」


驚愕するパウリ。ボイドが眉を寄せてスピンに尋ねた。


「クジラか。そこまで泳いでいったというのか」


「ディーヨンは次元を割れるから、一瞬でどこへでも行けるよ。多分、海の底が一番安心したんだわ。しかも、そこにマジックワームも一緒にいるって!」


残り二体が同じ場所に固まっている。

深海という環境は厄介だが、一括で回収できる可能性があるのは朗報だった。


『スピン様、魔王殿。いくらお二人の魔力をもってしても、海水を割って深海まで到達するのは不可能でしょう。これは難題ですな』


爺やの懸念に、スピンは明るく返した。


「向かってる間に方法を考えるわよ! じゃあまたね!」

『あ! スピン様、くれぐれもお気をつ――』


ブツリ。またもや強制的に通信は切られた。


(深海か。確かに俺の魔力でも、凄まじい水圧を押し戻し続けるのは厳しい。パウリのオッカムの剣にしても、射程は二メートル。深海を目指して振り続けられるはずもない。必ず途中で圧殺される瞬間が来る。……グラに重力を操らせるか? いや、あいつにそんな細かな制御は期待できん)


ボイドが沈思に耽っていると、スピンがパウリの手を取った。


「パウリも一緒に行こうよ!」


「それは……」


パウリが言い淀んだ瞬間、執務室のドアが勢いよく開け放たれた。


「ママーーー!」


三歳ほどだろうか。小さな男の子が飛び込んできて、パウリに抱きついた。

驚くボイドたちの前で、パウリが苦笑いする。


「ルーフ! パパと外で待ってる約束でしょう。……すまない、私の子なんだ」


パウリは母親になっていたのだ。続いて、痩せ型の、眼鏡をかけた男が慌てて入ってきた。頼りなげに子供を追いかける彼は、パウリの夫だという。

ボイドは目を疑った。あの「人類最強の勇者」の伴侶が、これほどまでに弱そうな、一撃で事切れそうな男だとは。

パウリの夫は、ボイドににこやかに、かつ落ち着いた態度で語りかけた。


「パウリからいつも話を聞いていました。あなたは世界を探求する、偉大な魔王だと。私も天文学が趣味でしてね。……何かを探す事は地味な作業を繰り返しです。ついに女神への道を見つけたあなたの探求心に、敬意を表します。五年前、戦いを終わらせてくれて本当にありがとうございました。……民たちはまだ、あなたが決断した平和だとは認めていませんが、私たち一家は知っています。世界を救ったのは、あなたの意志だったと」


他人から感謝される。それは、ボイドの長い人生で初めての経験だった。

魔族たちからは畏怖され、人間たちからは憎まれてきた。誰も、彼自身の「心」など見てはいなかった。

目の前の男は、パウリ以外で初めて、自分という存在を理解しようとしてくれた人間だった。

ボイドは、この穏やかな男がパウリの夫であることに、深く納得した。


「……礼を言うのはこちらの方さ。今の世界を形にしたのは、パウリと俺の部下たちだ」


ボイドは、これまでにないほど穏やかな声で答えた。

パウリはスピンの誘いに、静かに首を振った。


「スピン様。やはり、ご一緒はできません。攻撃力だけでなく、睡眠や食事の必要量も、人間は魔族や女神様とは違いすぎます。長い旅になれば、私はあなたの足を引っ張ってしまうでしょう」


ボイドも頷いた。彼女には、守るべき大切な家族がある。


「……我々だけで行こう」


「そっかぁ、残念。でも仕方ないね!」


「すまない。けれど、もし私にしかできないことがあれば、いつでも呼んで。その時は、全力で協力する」


パウリが差し出した手を、ボイドは固く握り返した。遺跡以来、二度目の握手だった。


「連絡は任せて! もうパウリは『友達登録』したから!」


誇らしげに掲げられたテルルフォンには、パウリの写真が映し出されていた。



夜が訪れた。瞬く星々の下、月が銀色の光を大地に落としている。

抉れた森の端を、ボイドと、グラを肩に乗せたスピンが歩き出した。

城の屋上からは、パウリ一家が手を振っているのが見える。

ボイドは軽く手を挙げ、スピンは万歳をしながら元気にジャンプした。


旅が始まった。


「なぜ歩く? 飛んでいけば、エルフビーチなどすぐ着くだろう」


「すぐ着いてどうすんのさ。歩きながらこの地上をゆっくり見ようよ。私は地上が初めてなんだ。天界は、存在があるのかないのかも分からないくらい、ずっとフワフワしていたの。でも地上は確実な『ある』に満ちている。……大昔に私が創ったものだけど、こうして経験するのは初めてなんだ。もっとゆっくり、この世界を愛でたいじゃない」


「トゥクトゥクトゥク!」


スピンの言葉に、グラも笑うように跳ねた。

ボイドは周囲の景色を見渡した。

かつて魔王城で一人、天体を観測していた頃。彼はただ世界の「構造」を探していた。数式と仕組みで頭を満たし、この不条理な世界を呪いながら、冷徹に星を数えていた。

だが、今は違う。

構造が作り出す雄大な美しさに、心が震えている。

一人で見る景色と、騒がしい女神や奇妙な法則と共に歩く景色。

同じ星空のはずなのに、胸に流れる色が、あまりにも違っていた。


(……星とは、こんな色をしていたのか)


ボイドは、心一つで世界の色が変わる不思議を感じながら、静かな夜の道を進んでいった。

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