第6話「巨大竜巻攻防戦」(挿絵あり)
ボイドのあらゆる魔法が通用しない――その残酷な事実を突きつけられ、城の屋上から戦況を見守っていた衛兵たちは震え上がった。
「だ、だめだ! 通用していない!」
「早く逃げろ! この国は終わりだ!」
悲鳴が上がる中、逃げ惑う人々の流れに逆らい、悠然とグラへと歩み寄る一人の女性がいた。
眼鏡の奥に鋭い光を宿し、オッカムの剣を携えた英雄。勇者パウリである。
「パウリ様!」
衛兵たちの視線が釘付けになる。この国には、すべてを斬り裂く勇者がいる。
だが、いかに彼女が最強の剣士といえど、相手は巨大な物理法則の化身。あまりにも未知であり、あまりにも巨大だった。
「パウリ様、危険です!」
制止の声を背に、パウリは重力の歪む空間の境界線へと肉薄した。
彼女は大きく剣を振りかぶり、半球の端へと銀光を突き刺す。
刹那――。
オッカムの剣は猛烈な重力に捕らわれ、強引にパウリの手から奪い去られた。
剣は歪んだ空間を回転しながら地面へ叩きつけられ、無残にひしゃげ、折れた。
「……やはり、物理的には斬れないね」
パウリは事も無げに呟いた。
事前の予測通り、重力とは歪んだ空間そのものであり、実体を持つ物質ではない。法則の壁を前にしては、彼女の剣技とて振るう術がなかった。
パウリは一度後退し、街へと続く街道を走り始める。
一方、空中のボイドは急旋回し、王国とグラの間に再び陣取った。
(なんとかして、まずは動きを止めねばならん。だが、あらゆる攻撃魔法はあの空間に入った瞬間、圧殺される……。どうすればいい!)
絶望の淵で、魔王の思考が高速回転する。
「ならば……これならどうだ!」
ボイドの両手から、鋭利な風の刃が撃ち出された。
だが、それはグラに向けられたものではない。グラが踏みしめている地面――空間の歪みの、わずかに「外側」の地面をナイフのように切り裂いていく。
地面を深く抉り、重力が及んでいる範囲ごと、島のように切り出したのだ。
ボイドは風の魔法で、グラを乗せたその「巨大な土塊」を丸ごと上空へ持ち上げた。
城を背にしたボイドは、両手の風をさらに加速させる。
宙でバランスを崩しながらも、なお前進しようとするグラ。ボイドはその島に、猛烈な回転を加え始めた。
地上ではパウリや衛兵たちが、空中で荒れ狂う巨大な島を見上げ、その圧倒的な光景に言葉を失っている。
(ここからどうする? 目を回させるか? いや、そんな小細工は通用しない。ならば……遠心力でコアを分離させる!)
風の魔力は限界を超え、回転はさらに加速する。
高速回転する島、歪んだ空間、そして中心に座すグラ。
その回転は巨大な竜巻を作りだす。暴風が森を震わせ、大地を揺らした。
だが、ボイドの期待に反して変化は起きない。コアを分離させるほどの遠心力には届かず、逆にボイドの膨大な魔力が底を突き始めていた。
「ボイド! 島が崩れている!」
下からパウリの叫びが響く。
重力に抗う遠心力の負荷に耐えきれず、グラではなく「土台の土」の方が崩落を始めていたのだ。
(……ここまでか)
滲む汗と共に、風の魔力が弱まっていく。もはや限界だ。
その時、城下の通りから不釣り合いなほど陽気な声が響いた。
「おーーい! 羊羹だよぉーーーーー!」
数人の職人たちを引き連れ、山のような羊羹を運んでくる女神スピンの姿があった。
ボイドは呆れ、思わず微かな苦笑を漏らした。
(なんと能天気な奴だ……)
だが、状況は依然として絶望的だ。羊羹で魔力を回復させ、風の魔法を維持できたとしても、土台が崩れれば終わる。グラを分散させる手段にはなり得ない。
しかし、その羊羹はボイドのためのものではなかった。
パウリがスピンのもとへ駆け寄り、衛兵から受け取った予備の剣を抜く。
「いくよ!」
銀光が瞬いた。
パウリは山積みの羊羹を、瞬きする間もなく一刀両断にする。さらに、超一流の料理人のごとく、それらを極薄の「スライス羊羹」へと高速で加工していく。世界最高の剣士による、神業の羊羹製造。
スピンはそれを受け取り、魔法でボイドの背後へと浮遊させた。
「ボイド、そのまま風でゆっくり回転させ続けて!」
「何を……するつもりだ?」
僅かに残された魔力で風を維持するボイド。その横を、無数の羊羹の破片が通り抜けていく。
勢いを落とした風に乗り、羊羹の群れが歪んだ空間の外周をくるくると周回し始めた。
すると、信じがたいことが起きた。
あれほど強固だったグラの鉛のコアが、端からボロボロと崩れ始め、風に舞う羊羹に向かって飛び散り始めたのだ。それに伴い、禍々しく歪んでいた空間がみるみる縮小していく。
「なんだ、これは……!?」
穏やかな風を操りながら、ボイドは困惑の表情でその光景を見守った。
舞い散る羊羹の破片。それを追うように、分離して「小さな可愛い姿」に戻ったグラの群れが、パクパクと幸せそうに羊羹を食べている。
分散したことで重力の半球は消滅し、グラたちは満足したように霧散していった。
最後に残った、手のひらサイズの「本体」が、スピンの元へトテトテと跳ねていく。
スピンが手持ちの羊羹を差し出すと、グラは嬉しそうに目をパチクリさせ、それを夢中で頬張り始めた。
「この子が、グラのコアね」
スピンは愛おしそうにグラの頭を撫でる。
魔力の尽きたボイドが、ふらりと地面に降り立った。
衛兵たち、そしてパウリ。全員が、王国が救われたことに深い安堵の息をつく。
「……知っていたのか? こいつが羊羹を求めて進撃していたことを」
ボイドの問いに、スピンは胸を張った。
「ううん、知らないわよ! でも、私が好きなものは、みんな好きでしょ? そこで閃いたのよ!」
なんという独善的、かつ自己中心的な女神か。
だが、その言葉には逆らえない真理があった。彼女はこの世界を創った創造主なのだから。
ボイドはやれやれと首を振り、無邪気にじゃれ合うスピンとグラを、穏やかな眼差しで見つめていた。




