第5話「重力vs魔王」
日が高く昇る正午過ぎ。
「重力」は、ゆっくりと、だが確実にイストール王国へ近づいていた。このままいけばボイドの予想通り、夕刻には王国を飲み込み始めるだろう。
ボイドとスピンは勇者パウリの案内で登城し、赤絨毯の廊下を歩きながら対話を続けていた。
「生きた重力が、この国を飲み込むというの?」
さすがのパウリも、眉をひそめて聞き返さずにはいられない。
彼女が執務に使っている小部屋に着くと、ボイドとスピンは椅子に腰を下ろした。
パウリは引き出しから大きな地図を広げ、グラの現在地を確認する。
「ラドニ山を下りて、現在は森の中ね。数時間後にはここへ到達する……。民に知らせるべきか、だがパニックは避けられない。……それにしても、一体なぜこんな事態に?」
パウリの問いに、ボイドは重い口を開いた。遺跡の後の、天界での出来事。
理由があったとはいえ、自らの暴走が招いた結果だ。語るにつれ、魔王としてのプライドが、情けなさに塗り替えられていく。
話が終わり、部屋に重苦しい静寂が満ちた。
「世界中に、『生きた物理法則』がばら撒かれたって……!」
混乱を隠せないパウリの表情を見て、ボイドはいたたまれなくなった。普段なら口が裂けても言わない言葉が、思わず漏れる。
「……迷惑をかけて、すまない」
パウリは口元に手を当て、沈思した。
「これは、かつてない深刻な事態だね。……でも、私にも責任の一端はある。ボイドが天界へ行く案に、私も乗ったのだから」
しばらくの沈黙の後、パウリは顔を上げた。
「できることを、するしかない」
彼女は部屋の隅に立てかけてあった、オッカムの剣の柄を握る。
魔法をも切り裂き、分散させる。勇者パウリの力を最大限に引き出す特殊な剣だ。
「重力を、切れるか?」
ボイドの問いに、パウリは困ったように微笑んだ。
「中心の『コア』は物質なのでしょう? ならば切れるよ。けれど、周囲の重力そのものは切れないと思う。重力はどこにでもあるけれど、それを切った手応えなんて、一度も感じたことはないもの。……それに、私の射程は長くても二メートル。直径五十メートルの歪んだ空間が相手では、コアに届く前に私がペシャンコになっちゃう」
再び重い沈黙が流れる。
だが、スピンは空気を読まずに声を上げた。
「パウリも羊羹買ったの? そこに包みがあるじゃない」
棚の上に置かれた包みを、スピンが指差す。
「え、ええ。セールだったから二本買ったの。食べたければどうぞ」
一瞬、ボイドはスピンを阿呆かと思った。だが、思い直す。羊羹は魔力の回復を劇的に促進する。決戦に備えるには最高のアイテムだ。
「……俺にもくれ」
パクパクと羊羹を頬張る二人を見ながら、パウリはポツリと呟いた。
「……そんなにお腹が減っていたのね」
小部屋で作戦を練るものの、グラがこちらの攻撃にどう反応するのか、見当もつかない。
ボイドはまず自身が対峙し、隙を作れるかを試すことにした。パウリがどう動くかは、その結果次第だ。
「俺は、城の頂上から行く」
ボイドは足早に部屋を出た。
小部屋に残されたパウリとスピン。
パウリが剣を携えながら尋ねる。
「私は下から隙を伺います。女神様はどうなさるのですか?」
「私は地上での魔法にまだ慣れてなくてねぇ。そのまま突っ込んでも……ね。パウリ、ちょっと頼み事があるのだけれど……」
スピンがニッコリと微笑む。
その怪しげな笑顔に、パウリはキョトンと首をかしげた。
イストール城で最も高い塔。その頂にボイドは立っていた。
吹き荒れる風の下、城の屋上には衛兵たちが集まり始めている。パウリの報を受け、迫り来る脅威を確認しに来たのだ。
森の遠くで木々が次々と潰れ、土煙が舞う。空間の歪みは、いつの間にか直径百メートルほどにまで膨れ上がっていた。その中心に、不気味に蠢く円錐台の鉛がいる。
「信じられない……」
「あれが、ここに来るのか」
衛兵たちの不安な声が風に乗って聞こえてくる。
ボイドは塔の上で思案した。
(――なぜ、ここへ来る? この王国に何かあるのか。それとも、俺やスピンが目的なのか?)
だが、考えるより動くのが先だ。試さなければ状況は見えてこない。
太陽が西に傾き始めた。
王国到達まで、あと数時間。まずは先手だ。
ボイドの両腕から紫の稲光が走る。掌に集束した魔力は、鋭いレーザー光線となって放たれた。
一直線に突き進む光が、グラの歪む空間へと侵入する。
刹那、レーザーの軌道は重力に捕らわれ、強引に地面へと叩きつけられた。大地が爆散する。中心のコアには、かすりもしない。
「あの半球内だけ、下へのとてつもない重力が働いている。ならば……」
ボイドは空へ舞い、グラとの距離を詰めた。
眼下では直径百メートルの半球に飲み込まれた森が完全に抉れ、木々は塵と化し、剥き出しの土砂が広がっている。巨大な鉄球が転がった後のようだ。
ボイドは魔力を右手に赤く、左手に青く溜めていく。
「これならどうだ!」
彼は上空から、二つの魔力球を放り投げた。グラの真上。そこからコアを狙い撃つ算段だ。
放物線を描き、歪んだ空間の頂点から侵入した炎球は、重力の力が加わり猛烈に加速した。
ドォォォォォンッ!
直撃。爆発と共に火の粉が舞い、円錐台の頭部がわずかに砕ける。グラがよろめいた。
畳みかけるように、真上から氷球が落下。激突と同時にコアの一部が氷化して砕け、グラの動きが鈍る。
「効いたぞ!」
確かな手応え。だが、歓喜は一瞬で凍りついた。
飛び散った破片は地面に落ちることなく、磁石に吸い寄せられるようにコアへ戻り、瞬時に再生したのだ。
そればかりか、攻撃に憤慨したのか、グラは速度を上げて王国へと進撃を開始した。
上空にいるボイドの足元を、あっという間に通り過ぎていく。
(まずい、刺激しただけか……!)
このままでは数十分で王国が飲み込まれる。
ボイドは焦燥と共に、両腕に全身の魔力を集中させた。
「一撃で、塵も残さずバラバラにしてやる」
魔王最強の破壊魔法「ゼロドラ」。
天界を崩壊させたあの魔法を、広範囲ではなく、手に収まるまでに圧縮する。この撃ち方こそ、地上における最大級の破壊エネルギーだ。
砕けたコアが再生する暇も与えぬほどの、圧倒的な粉砕。
「喰らえッ!!」
狙いは、半球中心の真上。
「圧縮ゼロドラ」が、咆哮と共に撃ち出された。
唸りを上げて進む漆黒の球体は、鮮やかな放物線を描き、グラの真上にある空間の歪みへ飛び込もうとした。
直撃――そう確信した次の瞬間、恐るべき事態が起きた。
円錐台のコアが、ぐんと反転したのだ。
上下が逆さまになった途端、空間に踏み込んだゼロドラが、目に見えて速度を落としていく。
「……馬鹿な!」
ボイドは絶句した。
静止したゼロドラの球体は、逆に空へ向かって放り出された。
攻撃を認識したグラが、重力そのものを「反転」させたのだ。自らへの魔法を空間の歪みに沿わせて、外へと弾き飛ばした。
ボイドは言葉を失い、滞空したまま動けなかった。
魔力をぶつけて倒す。その手段が完全に断たれたことを、彼は理解した。




