第17話「時間の女神」
ベクトガルドの腕に漆黒のエネルギーが凝集し、銀の電流が激しくのたうつ。
ボイドは怪訝な顔を崩さず、弟を凝視した。
「ベクトガルド、一体どういうつもりだ……!?」
「父ギルは間違いを犯した。魔族の血統は唯一無二の一人に託されるべきであり、兄弟などという『不完全な分割』はあり得ないのだ!」
ベクトガルドの手から、容赦のない「ゼロドラ」が放たれた。広間の空気が爆ぜ、漆黒の砲撃は正面にいたボイドを真っ向から捉えた。
ボイドは弾き飛ばされ、背後の石壁に激突する。崩れ落ちる瓦礫に手をかけ、吐血しながらも、彼はなんとか立ち上がった。
衝撃の瞬間、反射的に魔力の盾を展開したが、ベクトガルドのゼロドラはそれを容易く粉砕し、ボイドの肉体までをも削り取っていた。
「ボイド!」
スピンが悲鳴を上げる。
ボイドの体は血に染まっていた。だが、傷口はゆっくりと塞がり始める。女神スピンから与えられた「永遠の命」の加護による再生だ。
「それが、兄上が女神からもらった回復力か。……随分とまどろっこしいな。そんな速度で、俺の次の一撃に耐えられるかな?」
ベクトガルドは両手に、さらに圧縮されたゼロドラを二つ生成した。その威力は先ほどの比ではない。
(まずい……まともに受ければ、再生が追いつく前に粉々にされるぞ)
ボイドは重い体を引きずり、なんとか構えをとった。
「兄上を塵にして、私と同化させよう。そうすれば、その『永遠の命』さえ、私の完全な一部となる」
「……ベクトガルド。貴様、その魔力をどこで手に入れた。五年前とは明らかに違う」
ボイドは鋭い眼光で問いかけた。
「兄上と同じさ。私も『女神』から授かったのだよ。……つい、この間な。私が出会ったのは『時間の女神』だ」
「……時間の女神だと?」
唐突に告げられた未知の存在。ボイドは混乱し、背後のスピンを振り返った。だが、彼女もまた驚愕に目を見開いている。
「時間の女神!? 私、そんなの知らないわよ! 誰!!?」
この世界の創造主であるはずのスピンさえ知らない神。
困惑する二人を、ベクトガルドは嘲笑った。
「何だ、同じ神同士で面識もないのか。ならば教えてやろう。俺がこの五年間、何を支えに闇の中で生きてきたかをな……」
五年前。ゴド遺跡で勇者パウリとボイドが姿を消した後。
ベクトガルドは魔族の「操りの呪い」を解き、自らは闇へと消えた。だが、彼は遺跡を去ってはいなかった。
歓喜に沸く地上の喧騒を余所に、彼は祭壇の隠し通路を開け、父ギルのメモを頼りに遺跡の地下迷宮へと潜った。
たどり着いた最後の部屋。そこには古びた鉄の棺が置かれていた。
蓋を開けると、底には七色に揺らめく液体がひたひたと満ちている。可能性の源泉――『カレイド・スープ』だ。
(見つけたぞ……ギルのメモ通りだ)
だが、液体の量はまだ不十分だった。
メモによれば、この棺が満ちるには約四百年の歳月を要するという。
棺の奥にある次元の裂け目から、天界の雫が漏れ続ける時間。
歴代の魔王は四百歳でこのスープと己の魔力を混ぜ、完璧なコピーを次代として誕生させてきた。それが魔王の血統の「儀式」だった。
ベクトガルドはスープを独占し、いつか来る継承の時のため、遺跡に見張り役として居を構えた。
だが、その心は常に焦燥に焼かれていた。
(俺は『三分の一』だ。兄上が消えた今、このままでは最強の魔王の力を次代へ繋ぐことができない……)
そんな彼の前に、三日前。謎の女性が姿を現した。
七色の髪の房を持ち、瑠璃色のドレスを纏ったその女性は、自らを「時間の女神ロピン」と名乗った。
「その棺のスープをグラス一杯分、私に譲れば、お前の望みを叶えてやろう」
圧倒的な神威を放つ彼女を、ベクトガルドは疑わなかった。そして、グラス一杯なぞ安いものだった。それぐらいならまた数年で溜まる。
「俺の願いは、俺自身が『完全な魔王』になることだ。兄上を、ボイドを上回る力を……!」
女神ロピンは穏やかに微笑むと、指揮者のように手を挙げた。
光の渦の中から、一つの影が具現化する。それは、アビス、ボイド、ベクトガルドの三要素が一つも欠けることなく融合した、「完璧な魔王」の形をしたエネルギー体だった。
「お前の父親が、もしもカレイド•スープを三分割しなかったら……。これは別の時間軸に存在する、お前の『本来の姿』だ。この魔力と同化すれば、お前の望みは成就する」
「……素晴らしい……!」
ベクトガルドは悦喜し、その光に手を伸ばし、吸い込んだ。
かつてボイドがアビスと同化したように、ベクトガルドは「時間軸を超えた完成体」と融合。真魔王となったのだ。
「……と、いう話さ」
ベクトガルドが冷酷に微笑む。
ボイドは血を拭いながら、天界が崩壊したあの瞬間を思い出していた。
鎖が断たれ、法則が解放されたあの瞬間。穴へと吸い込まれていったのは、クジラとグラ、そして――人影だった。
今にして思えば、あのとき姿が見えなかったミミズのマジックワームは、おそらくクジラの頭にへばりついていて共に消えたのだろう。
「三体の法則」以外の者がいた。
あの時、穴の向こうへ消えた人影。
それこそが、時間の女神ロピン。
だが、なぜスピンはその存在を把握していないのか。
「ちょっと待って! 爺やに聞いてみるわ!!」
スピンは慌てて、震える手でテルルフォンを取り出した。




