第1話「和解から天界へ」(挿絵あり)
「おい! あれを見ろ!」
一万メートル上空。女神と一緒に落下しながら魔王は叫んだ。
遠くに見える巨大な山の頂きが、みるみる押しつぶされていく。
天界から逃げた「生きた物理法則」の一つ
ーー『重力』が暴れているのだ。
かつて、世界を恐怖させた魔王が、これから「重力」を回収しなければならない。
この能天気な女神とともに。
いったいなぜこんな事になったのか。
どこから話せば良いだろう。
そう、あれは人類軍との最終決戦前。
ゴド遺跡で、勇者と和解をするところから始まった。
◇
夕暮れの日が翳る中、ゴド遺跡の周りには長い戦いの日々をくぐり抜けてきた何百人もの戦士達が立ち並んでいた。
空気は、極限まで張り詰めている。
人間、エルフ、ドワーフ達の人類連合軍。
そして同規模の魔族の軍勢。
二つの集団が陣を取り、遺跡の入り口を固唾を飲んで見守っていた。
勇者と魔王が、一対一で遺跡に入ってから、かなりの時間が過ぎている。
果たして、どちらが戻ってくるのか。
ドーム状の古代遺跡ゴドの内部は天上から僅かに光の漏れる神聖な空間だった。
突き当たりの祭壇の前。世界の頂点に立つであろう二人の男女が、静かに向かい合っている。
一人は魔王ボイド。
漆黒の外套に銀の腕輪。黒髪のオールバックに闘牛の様な2本の角。丹精な顔立ちに薄紫色の肌は、魔族の長たる貫禄を漂わせている。
群青の瞳は冷たく、真っ直ぐに正面の女性を射抜いていた。
その視線の先に立つのは、人類最後の希望、勇者パウリ。銀色の鎧に燃える様な真紅の瞳と髪。若さを残す顔立ちだが、結ばれた後ろ髪が彼女の意志の強さを物語っている。
遺跡の外の緊張をよそに、広間は静寂に包まれていた。ボイドはゆっくり右手を上げ、パウリと握手を交わした。
和解ーー。
ボイドは勇者を残し、祭壇の階段を登った。祀られた石盤に刻まれた文字へ指で触れる。文字が怪しく青く光り出した。古代スピノリアスの文字だ。
『頂点の二つの意思が揃う時、永遠の時を得るであろう』
ボイドはその意味を知っている。
(……俺の求めるものは『永遠の命』ではない)
だが、女神を呼び出す為にはこの儀式が不可欠なのだ。
それで、魔族と人類の闘争は終わる。だからこそ、勇者パウリも説得に応じた。
ボイドは決意を新たにする。
戦いのためにあらゆる魔法を学んだ幼少期。肉親を奪われた憎しみ。膠着する戦況……。
それら全てを終わらせるために、彼は石盤を見つめた。
一方、後ろに立つパウリは、鋭い眼差しでその背を追っていた。
本当に女神など現れるのか。疑念を抱きながら、固唾を呑んで状況を見守る。
わずかな、しかし重い空白。
石盤から青い閃光が噴き上がり、ボイドの体を包み込んだ。
光は彼の頭上に留まると、中心が白く割れ、空間が裂け始める。
神々しい白金の光の中から、ゆっくりと美しい手がのび、身体が現れてくる。
女神だ。
靡く髪は一房ずつ色が違い、虹の様に輝いている。黄金の瞳と純白のドレス。
薄く笑った微笑みはまさしくこの世界の創造主そのものであったがーー。
「あれ?話し合いで解決したんだ。どちらかが勝って、相手の意思を強制的に奪うと思ってたんだけどね。」
やけに飄々と明るく喋る女神に、ボイドが怪訝な顔を向けた。
「あなたが、女神か?」
「それはそうでしょ。見たら分かりそうなもんじゃない?これで私が女神じゃなかったら、何なのよ。ここまで派手に出てきてさ!でも、まさか魔王に永遠の命、譲るとはね〜。勇者パウリだっけ?魔王に何か吹き込まれて騙されちゃった?それとも戦うのが怖くなっちゃったか?」
不躾な言葉に、二人は呆気にとられる。
「パウリはそんな人間ではない!」
思わず叫んだボイドだったが、元敵同士ということもあり、少しバツの悪い顔になる。
パウリは落ち着いて言った。
「私の望みは争いの終わりだ。彼はそれを約束した。私は彼を信じる。もう人を殺さないという誓いも。」
「魔王だよ?十中八九、嘘でしょ?そんなもの。まぁ人間もね、同じくらい嘘つきだとは思うけどねぇ。」
失礼な女神の態度にボイドの顔はだんだんとこわばる。彼は言葉を絞りだした。
「……女神よ。『永遠の命』は手に入るのか?」
「ああ!それね!もうあげたよ!最初の光に包まれた時に。でも魔王だとはねぇ。絶対勇者パウリが石盤の前にくると思ってたんだけどなぁ。可愛いしさぁ。魔王なんて不老不死になってもおじさんよ。永遠のおじさん。」
なんて失礼な女神だ。ボイドは眉をひそめた。
「……何も変わっていないではないか」
「私は女神なので、人は傷つけませんよ。自分で試してみなさい。そうすれば証明されるでしょ?」
ふむ、と思ったボイドは右手を挙げると爪に魔力を流し、己の左腕へ振り落とした。
ズバッ!
銀の腕輪の横から勢いよく流れる魔族の紫の血液。ギリギリで腕は繋がってはいるが、骨までスッパリと切れている。
同時に彼に強烈な衝撃が走った。
「ぐああ、い、痛いぞ!」
ボタボタと流れていく大量の血液。しかし、ゆっくり、確かにゆっくりだが皮膚が再生して治っていく。1分程。痛みに耐え、脂汗が頬を流れながらも確かに腕は元に戻った。
「ほら!ほら!すごいでしょ!治るのよ!痛みぐらいは我慢しなさいよ?魔王なんでしょ。後は、寿命の証明だけど、魔族の寿命ってどんくらいだっけ?500年くらい?あんたまだまだ先でしょ。その時がきたらね。ちゃんと分かるわよ。『あ、俺年とってないな』って。その時にね。」
不老不死。その響きとは裏腹の、あまりにリアルな激痛。
ボイドの中に疑念が湧く。
「ほんとなんだろうな?」
「あのねぇ。私を誰だと思っているの?女神スピンですよ。魔族や人間みたいに嘘はつかないんですよ!」
ニッコリと微笑む姿は、どこまでも軽薄だった。
二人はただ困惑し、言葉を失う。
「では、これにて。」
次元の隙間へ消えようとする女神。
その瞬間をボイドは見逃さなかった。
彼は己を強力な魔力で包み込むと宙に浮き、電光石火の早さで消えゆく女神の背後へ突進した。
次元の裂け目へ、滑り込む。
空中に電流が走り、青い光が消滅した。
ゴド遺跡は静寂を取り戻した。
石盤の光も消え、まるで今の出来事が夢であったかのよう。
一人残された勇者パウリは呆然と立ち尽くしていた。
だが、やがて魔王が「真の目的」に向かったのだと確信し、小さく安堵する。
「……頑張れよ、ボイド」
そう一人呟き、彼女は遺跡の外へと歩き出した。
一方、ボイドは――。
世界の根源、天界へと辿り着いていた。
己の目的を、成す為に。
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