7話:帰還の命令
斥候のルーク。それが僕だ。
騎士でも兵士でもない。ただ、誰よりも速く走り、誰よりも気配を消せる。それだけが取り柄の、平民上がりの小間使い。
なぜ、こんな場所に連れてこられたのか分からなかった。
謁見の間。
豪奢な絨毯、高い天井、壁を飾る紋章。僕のような人間が足を踏み入れる場所じゃない。
アラリック団長に「ついてこい」と言われ、訳も分からず連れてこられた。
「我が団で最も腕の立つ斥候、ルークです」
団長が僕を前に押し出した。
「平民の出で、礼儀作法など教えておりませんが……その腕は確かです」
玉座に座る人物を、僕は盗み見た。
若き王子。噂は聞いている。父王を呪いから救ったとか。
だが、それが僕に何の関係がある。
「彼は風の音だけで敵の数を知り、気配を消して城壁を越える術を持っています」
団長が僕の肩に手を置こうとした。反射的に避ける。触られるのは好きじゃない。
団長は気づかなかったふりをして続けた。
「彼には、カイルの護衛兼、監視として同行させるのがよろしいかと。あの男の手綱を握り、万一裏切った場合には、その喉を掻き切る役目として」
カイル。
さっき酒臭い男が衛兵に連れられて出ていくのを見た。あれが天才外交官とやらか。ただの酔っ払いにしか見えなかったが。
殿下が僕に視線を向けた。
値踏みするような目。僕も同じ目で見返した。
「……よろしく」
一言だけ口にした。敬語なんて知らない。
◇ ◇ ◇
その後、影から音もなく女が現れた。
侍女長リオラ。諜報を統括する人物だと聞いている。僕と同じ、影の世界の住人だ。
「殿下、城下の情報屋を通して、面白い『種』を見つけました」
リオラが何やら報告している。帝国から逃げてきた元兵士がいるとか、教皇国にも追われているとか。
僕には関係のない話だ。ただ壁際に立って、この場が終わるのを待っていた。
だが、次の殿下の言葉で、空気が変わった。
「アラリック、リオラ」
二人が姿勢を正す。
「私はお前たちに裏切られるようなら仕方ないと思っている。それくらい、お前たちの目を信頼している」
……何を言っている?
王族が、部下を「信頼している」?
聞き間違いかと思った。
「その忠臣が推薦するなら、全面的に信じよう」
殿下の視線が、僕に向いた。
「ルークにも伝えておけ。使い捨ての駒ではない。帰ってきたら重役でしっかり働いてもらうから、命を大切にするようにと」
僕は固まった。
使い捨てではない。帰ってこい。
今まで、そんなことを言われたことがなかった。「死んでこい」なら何度も聞いた。「行方不明になっても探さない」とも言われた。だが、「帰ってこい」は初めてだ。
何かの罠か。
そう思った。甘い言葉で油断させて、都合が悪くなったら切り捨てる。そういう手口は知っている。
だが、殿下の目には嘘の色がなかった。
少なくとも、僕の目にはそう見えた。
「カイルにも伝えろ。『守る命がもう一つ増えたが、頼む』と」
リオラが深く頭を下げ、何か命令を受けて消えていった。
僕はただ、その場に立ち尽くしていた。
なんだ、この人は。
◇ ◇ ◇
城門。
霧が晴れ始めた朝の光が、濡れた石畳を照らしていた。
木樽を山積みにした幌馬車が、出発を待っている。積み荷は王家秘蔵の酒だという。ドワーフへの手土産らしい。
カイルは御者台に座り、煙草を燻らせていた。
衛兵から殿下の伝言を聞くと、煙を吐き出しながら鼻で笑った。
「守る命がもう一つ、ねぇ。……自分の国を守るだけでも手一杯だろうに。面倒な荷物が増えたもんだ」
僕を見下ろす。
「おい、そこの不機嫌そうな小僧。私の護衛だか監視だか知らんが、足手まといになるなよ。死にたくなければ私の背中に隠れてろ」
僕は答えなかった。
代わりに、腰の短剣を鞘に収める音を鳴らした。カチリ、と。
余計な口を叩くなら、背中から刺す。それだけの意味だ。
カイルは肩をすくめた。
「はいはい、出発だ。地獄への観光旅行といこうぜ」
手綱が振るわれ、車輪が軋んだ。
僕は馬車の横を歩き始めた。
尖塔の方は振り返らなかった。
だが、足取りが少しだけ重くなっていることに気づいていた。
「帰ってこい」という言葉が、頭の中でずっと響いていた。
信じてはいない。信じるつもりもない。
それでも、あの言葉が嘘かどうか、確かめたいと思っている自分がいた。
馬車の轍が、霧の向こうへと続いていく。
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