6話:狂人の賭け
カイル。落ちぶれた元外交官。今の俺を一言で言えばそうなる。
衛兵二人に両脇を抱えられ、謁見の間とやらに引きずり出された。
サイコロの目が最高に乗ってたってのに、騎士様たちが野蛮に踏み込んできやがって台無しだ。あと一回振れば、一生遊んで暮らせる金が手に入ったはずなのに。
まあいい。どうせ勝っても負けても、明日には同じ酒場で同じ安酒を煽ってただろう。退屈な日常の繰り返しだ。
床に放り出されると、俺は大げさにへたり込んでみせた。
ふぁあ、と欠伸を一つ。周囲の空気が凍りつくのが分かる。
謁見の間には、見覚えのある顔が並んでいた。
老宰相ヴァイン。苦虫を噛み潰したような顔で俺を睨んでいる。あの爺さんとは昔、何度か仕事をした。俺のことが嫌いなくせに、俺の能力だけは認めている。だからこそ、ここに呼ばれたんだろう。
そして、玉座に座る若造。
濁った目で見上げてやった。敬意なんぞ欠片もない視線を、わざと向けてやる。
「で……次期公王様。俺のような『路地裏のゴミ』に、何の御用で?」
挑発だ。普通の王族なら、この時点で首が飛ぶ。
「説教なら、隣の牢屋にいるビショップ様にでもしてやってください。あの人、最近ずっと部屋で唸っててうるさかったんだ。やっと静かになったと思ったら、あんたが捕まえたって?」
マルクスが捕らえられた件は、酒場の噂で聞いていた。教皇国の司祭が禁忌の魔術を使って王を呪い、それを若造が暴いたと。
なかなかやるじゃねえか、と内心では思っている。だが、顔には出さない。
「まさか、ドワーフのところへ行け、とでも? あの偏屈な連中の住処に、また死にに行くような使いを送るつもりですか?」
若造の反応を窺う。怒るか、呆れるか、それとも——
「景気良く勝ってる最中に乱入させて、申し訳なかった」
謝罪だった。
開口一番、王族が路地裏のゴミに頭を下げた。
俺は欠伸を途中で止めた。
ほう。これは珍しい虫を見つけた気分だ。
「ただ急ぎの用だったので、許してほしい」
若造は淡々と続ける。
「話が早いが、私を見くびるな。初対面の若造にお願いされたからと言って、素直に従うような人物だと考えるほど馬鹿じゃない」
……鼻が利くな、このガキ。
俺の本性を見抜いている。媚びても脅しても、俺は動かない。それを理解している。
「私はお前が『面白い』と思う世界がどのような世界なのかを聞かせてもらうために呼んだのだ」
俺は立ち上がった。
衛兵が慌てて制止しようとするのを手で払い、近くの豪奢な椅子に勝手に座り込む。懐からスキットルを取り出し、一口煽った。
安酒の刺激が喉を焼く。神聖な謁見の間に、アルコールの臭いが漂う。
「……見くびるな、か。クク、若いくせに鼻が利く」
口の端が勝手に歪んだ。
「いいですよ、そういう『上から目線』じゃない物言いは嫌いじゃない。博打打ちに一番必要なのは、手持ちのカードの強さじゃなく、テーブルの空気を読む力ですから」
天井のフレスコ画を眺める。どこぞの神話の一場面だ。英雄が竜を屠る、ありきたりな絵。
「面白い世界、ねぇ……」
俺が面白いと思うのは何だ?
答えは簡単だ。
「『絶対に起こり得ないはずの破滅』が起きる瞬間か、あるいは『絶対に詰んでいる盤面』がひっくり返る瞬間ですよ」
視線を若造に戻す。
「今のレムリアは、後者だ。帝国と教皇国、二つの巨獣が喉元に牙を立てている。普通なら、どっちかに尻尾を振って生き延びるのが『正解』だ」
だが、この若造は違う選択をした。
「あんたは両方の鼻面を殴りつけた。……最高に馬鹿げた、面白い一手だ」
ヴァインの顔が強張るのが見えた。あの爺さんは俺の言葉の意味を理解している。俺が本気で「面白い」と思っていることを。
「……四年前、あんたの親父さんは、北の『鉄の山脈』に三人の特使を送った」
苦い記憶だ。俺が関わった案件じゃないが、結末は知っている。
「一人は帝国の顔色を窺う臆病な文官。二人は『ドワーフなど野蛮な亜人だ』と見下していた高慢な騎士。彼らはドワーフの絶対的な掟を理解していなかった」
スキットルを指先で弄ぶ。
「ドワーフにとって、言葉は鉄と同じだ。一度叩けば、二度と形は変わらない。特使たちは適当な約束を並べ立て、その場しのぎの嘘をついた」
結果は惨憺たるものだった。
「彼らの首は、『三つが一つに繋げられた状態』で国境に放り出された。それ以来、あの山には誰も近づかない」
若造の目をまっすぐに見据えた。
「さて、殿下。俺を酒場から引きずり出して、そんな地獄へ送ろうっていうんだ。あんたは、あの頑固者たちに何を差し出す?」
金か。領地か。それとも——
「俺が動くかどうかは、あんたが提示する『チップ』次第だ。この退屈な世界を壊すに足る、最高のチップをね」
◇ ◇ ◇
若造は沈黙した。
長い沈黙だ。だが、揺らぎはない。
やがて、口を開いた。
「残念ながら、金も領地も出せないな」
やはりな。失望が胸を過ぎる。結局、この若造も——
「出せるのは、ドワーフが好きであろう大量の酒だけだ」
「……酒?」
「もうお前の言う通り、片方の鼻面を殴った後だ。もう一方の鼻面を殴りつけてきても構わない。帝国と教皇国、どちらも敵に回した今、私に失うものは少ない」
若造の目が、俺を正面から射抜いた。
「私から出せるチップは、ドワーフの喉を潤すための酒。死守すべきなのは、カイル、お前の無事な帰還。そして報酬は……この詰んでいる盤面をひっくり返す道のりを、私直属の部下として一番近い距離で味わうこと」
一拍、置いた。
「どうだ? 足りないか?」
沈黙。
俺は若造の顔を見つめた。
冗談を言っている顔じゃない。本気だ。
つまりこういうことか。ドワーフへの手土産は酒だけ。交渉のやり方は俺に任せる。ただし、死ぬな。生きて帰ってこい。報酬はその先にある。
縛りが少なすぎる。普通、もっと条件をつけるだろう。
……何だ、これは。
喉の奥から、何かがせり上がってきた。
笑いだ。腹の底からの、乾いた笑い。
「は……はははは!」
椅子の背もたれに身を預け、腹を抱えた。目尻に涙が浮かぶ。
「酒、だと? 大国の地図の書き換えを頼む相手に、金でも爵位でもなく、ただの酒と『特等席』だと! クハハハ……ッ!」
最高だ。最高に狂ってる。
大国の機嫌を伺い、保身に走る王族の退屈な演説を聞かされるよりは、よほど目が覚める。
俺は立ち上がった。足取りに、もう酔いはない。
「いいでしょう。気に入った」
口の端を裂いて笑う。
「……酒は、王家の地下にある『建国以来の秘蔵酒』をすべて吐き出してもらいますよ。ドワーフの鼻をひっくり返させるには、それぐらいの誠意……いや、『狂気』が必要だ」
俺は若造に向かって一礼した。酒臭い、だが宮廷作法に則った美しい礼だ。
昔取った杵柄ってやつだ。体が覚えている。
「承知いたしました、殿下。俺の命、あんたの盤面をひっくり返すために賭けてやる」
顔を上げ、不敵に笑った。
「……その代わり、俺が戻るまでこの国を潰さないでくださいよ。最高の舞台が瓦礫になってちゃ、報酬の受け取りようがない」
衛兵に案内されて、地下の酒蔵へ向かう。
背後で、ヴァインの爺さんが何か言いたそうな顔をしているのが分かった。「あの男を信用するな」とでも言いたいんだろう。
だが、もう遅い。
俺は賭けることを選んだ。この若造に。この狂った盤面に。
退屈な世界が、ようやく面白くなってきた。
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