38話:最後の王命
殿下が目を覚ました。
その報せを受けた時、自分は天幕の外で剣の手入れをしていた。
刃こぼれだらけの剣。この一日で、何本替えたか分からない。
天幕に駆け込むと、殿下は寝台の上で身を起こしていた。
顔色は蒼白だが、その瞳には確かな意志が宿っている。
「陛下……!」
自分は跪こうとした。
だが、殿下が手で制した。
「皆を呼べ。話がある」
その声には、覚悟が滲んでいた。
◇◇◇
天幕に、側近たちが集まった。
ヴァイン、カイル、リオラ、ルーク。そして自分。
皆、極限の疲労と、安堵と、そして何か言い淀むような表情を浮かべている。
勝利の喜びだけではない。殿下の消耗を見れば、何かが起こると分かっていた。
カイルが、血に濡れた書簡を差し出した。
「陛下。教皇国軍が撤退の際に、最後の置き土産を残していきました」
殿下がそれを受け取り、目を通した。
その顔が、さらに厳しくなる。
「聖櫃を自爆させ、黒い塔と国境を直結させる回廊を開いた、か」
カイルが頷いた。
「国境のあちこちから、帝都を滅ぼした黒いタールが溢れ出し始めています。死んだ教皇国の兵が光の亡者となって蘇っている。奴らは、この地を浄化できぬなら世界ごと呪いに沈める気です」
天幕に、重い沈黙が落ちた。
殿下は、義手を見つめた。
神喰いの右腕が、かつてないほど激しく熱を帯び、何かを察知するように震えている。
「皆、落ち着いてよく聞け」
殿下の声が、天幕の空気を支配した。
「俺は、人柱になる」
◇◇◇
その言葉に、天幕の時間が凍りついた。
自分は、信じられないものを見るように目を見開いた。
ヴァインが、杖を取り落としそうになり、よろめいた。
リオラとルークが、息を呑み、唇を震わせた。
カイルだけが、何かを悟ったように、静かに目を伏せた。
「前にも言った通り、負の感情で呪いは強くなる。俺が全ての呪いを引き受け、この地に封印する」
殿下は、静かに続けた。
「人柱中の痛みは感じるらしい……国を平定し、安定させ、民を笑顔にして、俺を安らかな人柱にしてくれよ? お前たちの笑顔だけが、俺の鎮痛剤だ」
自分の目から、堰を切ったように涙が溢れた。
止められない。止めようとも思わなかった。
「もう教皇国は何の力もない、ただの抜け殻だ。正しき正義を持った古儀式派と連携して、早急に争いを収めよ」
殿下は、一人一人を愛おしむように見つめた。
◇◇◇
「ルーク」
殿下が、最初に呼んだのは若い斥候だった。
ルークは、唇を噛み締めていた。
その目には、大粒の涙が溜まっている。
「重役を約束と言いながら、何も役職を与えられなかったな。嘘つきの王ですまない」
殿下は、微かに笑った。
「功績はたっぷり溜まっている。これからの国での重役登用ということで、勘弁してくれ」
ルークは、涙を流しながらも、毅然と顔を上げた。
「……陛下。僕は、あなたに拾われて、初めて生きる意味を知りました」
その声は、嗚咽で震えていた。
「ただの野良犬だった僕に、名前と居場所をくれた。その恩は、この国を守ることで返します。必ず、あなたが守ったこの国を、僕が守り抜きます」
◇◇◇
「カイル」
殿下が、稀代の博打打ちを見つめた。
カイルは、空のスキットルを握りしめていた。
「面白い世界を特等席で見る報酬は、払えたか?」
カイルは、自嘲気味に笑った。
「ああ。最高の見世物だった。高すぎてお釣りがくるくらいだ」
「上手くいけば、ここから平穏な時代が訪れる。酒とギャンブルはほどほどにな。たまには国のために、その悪知恵を貸してくれ」
カイルは、スキットルを懐にしまった。
そして、静かに、深く跪いた。
「陛下。あんたとの賭けは、俺の人生で一番の大博打だった。そして、俺の完敗だ」
その声は、微かに震えていた。
「この退屈になるかもしれない平穏な国で、あんたの勝ち分をきっちり守ってやるよ。地獄の底から、笑って見ていてくれ」
◇◇◇
「リオラ」
殿下が、影の女を見つめた。
リオラは、必死に無表情を保とうとしていた。
だが、その目からは止めどなく涙が溢れている。
「危険な橋を渡らせてしまったな。もう影に徹する必要はないぞ。これからは、表舞台で、陽の光の中で活躍してほしい」
リオラは、震える声で答えた。
「陛下。私は、あなたの影として生きることを選びました。それが、私の誇りでした」
リオラは、涙を拭い、毅然と顔を上げた。
「しかし、あなたがそう望むなら。私は、表舞台で、この国を守りましょう。あなたの影は、この国の光となります」
◇◇◇
「ヴァイン」
殿下が、老宰相を見つめた。
ヴァインは、杖を両手で握りしめ、体を支えるのがやっとだった。
「老体に鞭打ち続けて、すまなかったな。でも、もうひと頑張りしてくれ」
殿下の声が、静かになった。
「この国は、王政を廃止し、民が中心の国にする」
ヴァインの目が、驚きに見開かれた。
「制度構築や、反乱する貴族の押さえつけなど、大変だと思うが、頑張ってくれ」
ヴァインは、溢れる涙を拭おうともせず、深く、深く、人生で最も重い一礼を捧げた。
「陛下。私は、先代公王に仕え、そしてあなたに仕えました。その中で、あなたほど民を思う王を、私は知りません」
ヴァインは、顔を上げた。その顔は涙でぐしゃぐしゃだったが、決意に満ちていた。
「この老骨が朽ちるまで、あなたの遺志を必ず継ぎます。あなたが愛したこの国を、未来へ繋ぎます」
◇◇◇
「アラリック」
殿下が、最後に自分の前に立った。
自分は、鋼の籠手を外した素手で、殿下の残された左手を両手で包み込むように握りしめた。
その手の震えは、失われた右腕の温もりを探しているかのようだった。
「一番苦労をかけたな」
殿下の声が、柔らかく響いた。
「だが、お前がいたから、短い間だったが、安心して王として振る舞えた。背中を預けられるのは、お前だけだった」
自分の目から、大粒の涙が溢れ、殿下の手に落ちた。
「この国を任せたぞ。これからの大転換を迎える国の、背骨として、盾として、矛として、支えてほしい」
自分は、言葉にならなかった。
悲しみと、誇りと、燃え尽きることのない決意が入り混じっていた。
「陛下」
自分の声は、嗚咽で途切れ途切れだった。
「私は、あなたの剣であり、盾であり、失われた右腕の代わりでした。その役目は、これからも変わりません」
自分は、殿下の手を、壊れ物を扱うように、しかし強く握りしめた。
「この国があなたの遺志を継ぐ限り、私はその守護者であり続けます。御身が眠りにつくその場所を、永遠に守り抜きます」
◇◇◇
殿下は、涙に濡れる側近たち全員を見渡した。
「最後に、国民の前で、勝利と王政廃止の演説をする。その後、人柱になる。あとは頼んだぞ」
殿下は、微かに、晴れやかに笑った。
「そして、最後の王命だ」
自分たちは、涙をこらえて顔を上げた。
「皆、働くのもほどほどに、長生きしろよ。……幸せになれ」
その言葉に、新たな涙が溢れた。
天幕の外では、夜明けの光が差し込み始めていた。
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