表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【完結】隻腕の代理王 ~帝国と教皇国に挟まれた詰み盤面。俺は「ハッタリ」と「覚悟」だけで、二つの敵軍を撤退させる~  作者: Lihito


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

35/40

35話:魂の試練

 暗闇から現れた男を、あたしは知っていた。


 脱走兵ウーゴ。

 北の地獄で、レオンと共に黒い泥の中に消えたはずの男。

 全身を黒い蔓に侵食されながら、その瞳には確かな理知が宿っている。


「ウーゴ……」


 殿下の声が、震えていた。

 あたしは、その背中を見つめた。殿下がこんな声を出すのは珍しい。


「ウーゴよ。約束を守れず、済まなかった」


 殿下が頭を下げた。

 王が、一人の脱走兵に頭を下げている。


 ウーゴは、微かに首を振った。


「……謝罪など、勿体なきお言葉です」


 その声は、枯れ木が擦れるような音だった。

 彼の体表を覆う黒い蔓は、この図書館の冷気と共鳴し、奇妙な安定を保っている。


「私は、陛下が帳簿を手にし、無事にあの地獄を去ったと知りました。風の噂と、この蔓の震えで」


 ウーゴの目が、微かに潤んだ。


「その時、初めて自分の命に意味があったのだと、そう思えました」


 あたしは、その言葉を聞いていた。

 この男は、ここで誰かが来るのをずっと待っていたのだ。

 変異をギリギリで食い止められながら、独りで。


 ウーゴが、震える手で背後の闇を指し示した。


「……来てくださったのですね。ですが、ここから先は、あなたの魂が試されます」


 ウーゴの背後の闇から、何かが浮き上がった。

 巨大な本のような石造りの魔導装置。

 それは殿下の義手と共鳴し、重々しい音を立てて開かれようとしている。


「魂の試練?」


 殿下が、その装置を見つめた。


「迷っている暇はない。受けさせてくれ」


 あたしは一歩踏み出しかけた。

 だが、殿下が振り返った。


「リオラ、ルーク。ここで待て」


「しかし——」


「命令だ」


 その目には、揺るぎない意志があった。

 あたしは、唇を噛んで頷いた。


         ◇◇◇


 殿下が懐から黄金の鍵を取り出した。

 第一皇子から預かった、あの鍵だ。


 それを装置の核にある鍵穴に差し込み、回した。


 カチャリ。


 その小さな音が、世界を変えた。


 凄まじい拍動と共に、周囲の景色が歪んだ。

 殿下の姿が、闇の中に溶けていく。


「殿下!」


 あたしは駆け寄ろうとした。

 だが、見えない壁に阻まれる。


 殿下の姿は、完全に消えていた。

 図書館の壁も、書架も、全てが漆黒の空間に飲み込まれている。


 ルークが弓を構えた。

 だが、撃つべき敵がいない。


「……待つしかない」


 ウーゴが、静かに言った。


「陛下は今、己の魂と向き合っておられます。我々にできることは、ただ待つこと」


 あたしは拳を握りしめた。

 待つことしかできない。それが、こんなにも苦しいとは。


         ◇◇◇


 どれほどの時間が経っただろう。

 数分か、数時間か。この闇の中では、時間の感覚が狂う。


 突然、闇の奥から声が響いた。


 殿下の声だ。


「全て論外だ!!」


 その叫びが、漆黒の空間を切り裂いた。


「到底飲むことはできん! それは王の道ではない、ただの畜生の所業だ!」


 あたしは、その声に耳を澄ませた。

 何を問われているのかは分からない。だが、殿下が何かを拒絶している。


「こんな欲望のままの結論を出すから、いつまで経っても闇は消えないのだ! 犠牲の上に成り立つ平和など、砂上の楼閣に過ぎん!」


 殿下の声が、さらに強くなった。


「俺は、こんなクソみたいな呪いに負けるほど、やわじゃない! 民も、記憶も、未来も、全て俺の手で掴み取る!」


 その瞬間。

 漆黒の空間に、亀裂が走った。


 パリーンッ!


 鏡が砕けるような音。

 闇が崩れ始める。


 ウーゴが、腹を抱えて笑い出した。


「……素晴らしい! 歴代の賢者も、聖人も、皆、最後には数を数え、妥協し、愛する者を天秤にかけた」


 その瞳から黒い涙が溢れ、石床を溶かしていく。


「だが、あなたは天秤そのものを叩き壊した! その傲慢こそ、この書が数千年の間、一度も記録できなかった答えだ!」


 あたしは、その言葉の意味を理解した。

 殿下は、試練に合格したのだ。

 誰もが選ばなかった答えを、選ぶことで。


         ◇◇◇


 地響きが始まった。

 図書館の天井が崩落し始める。


 闇が晴れ、殿下の姿が戻ってきた。

 だが、その顔は蒼白で、額には脂汗が浮かんでいる。

 義手が異常な熱を持ち、黒い蔓が激しく脈打っている。


「陛下!」


 あたしはルークと共に駆け寄り、殿下を支えた。


 地下から黒いタールが溢れ出し、書架を次々と飲み込んでいく。

 図書館が、崩壊しようとしている。


 ウーゴが、崩れゆく闘の中で静かに微笑んでいた。


「……陛下。あなたのそのわがままが、この腐った大陸をどう変えるのか、見たかった」


 ウーゴの体が、黒い泥に飲み込まれていく。


「さあ、行ってください」


 その目は、どこか誇らしげだった。


「あなたの帰る場所には、もう光の軍勢が迫っている。守ってやってください」


「ウーゴ……!」


 殿下が手を伸ばした。

 だが、ウーゴは首を振った。


「……私の役目は、ここで終わりです。陛下、どうかお元気で」


 ウーゴは、黒い泥の中に消えていった。

 最後まで、穏やかな笑みを浮かべたまま。


         ◇◇◇


 あたしたちは、崩壊する図書館から外へと飛び出した。


 殿下を支えながら走る。ルークが後方を警戒している。

 背後で、図書館が轟音と共に崩れ落ちていく。


 外に出た時、あたしは空を見上げた。


 北の地平線が、赤く染まっていた。

 レムリアの国境線に、無数の光の矢が降り注いでいる。


 教皇国の本隊が、総攻撃を開始したのだ。


「……始まったか」


 殿下が、その光景を見つめて呟いた。

 祖国が、燃えている。


 あたしは、殿下の横顔を見た。

 蒼白な顔。だが、その目は死んでいない。

 むしろ、静かな炎が燃えている。


「行くぞ」


 殿下が、馬に向かって歩き出した。


「祖国が呼んでいる」


 あたしは頷いた。

 今は、感傷に浸っている暇はない。


 殿下の手の中には、新たな力と真実が握られている。

 ウーゴの命と引き換えに得た、禁忌の知識が。


 それを、無駄にするわけにはいかない。


お読みいただきありがとうございます!

もし「面白そう!」「続きが気になる!」と思っていただけたら、

広告の下にある【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にして応援していただけると、執筆(投稿)の励みになります!

ブックマークもぜひポチッとお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ