表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【完結】隻腕の代理王 ~帝国と教皇国に挟まれた詰み盤面。俺は「ハッタリ」と「覚悟」だけで、二つの敵軍を撤退させる~  作者: Lihito


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

32/40

32話:眠れぬ者たちへ

 その夜。

 城の広間には、久方ぶりに、香ばしく焼ける肉の匂いと、暖炉の薪がはぜる音が満ちていた。


         ◇◇◇


 老書記官マティアスは、広間の隅で杯を握りしめていた。


 周囲には、若い十人長たち、影の部隊の者たち、そして自分と同じ老書記官たちがいる。

 皆、緊張した面持ちで、上座に座る側近四名をちらちらと見ている。


 宴が始まって間もなく、陛下が口を開いた。


「ヴァイン、アラリック、リオラ、ルーク。少し、席を外してくれ」


 四人が顔を上げた。


「お前たちの部下から、忖度のない本当の『仕事ぶり』を聞きたいのでな。上司がいると話しにくかろう」


 ヴァイン様が怪訝そうに白眉を寄せたが、王命には逆らえない。

 四人は、隣室へと下がっていった。


 広間に残されたのは、雲の上の存在である王と、私たち下っ端だけ。

 緊張で、誰もが震えていた。


 陛下が、玉座から降りてきた。

 私たちと同じ目線に立ち、静かに口を開く。


「無礼講だ。ありのままを話せ。私の側近たちは、今、どうなっている?」


 その真摯な言葉に、堰を切ったように言葉が溢れ出した。


「ヴァイン様は……昼食を三日連続で抜かれました」


 マティアスは、声を震わせた。


「我らが勧めても『陛下のペンが動いている間は、私の箸は動かせん』と……このままでは、陛下より先に倒れてしまわれます」


「アラリック団長は……」


 若い十人長ガレスが、声を詰まらせた。


「夜中の練兵場で、ご自身の右腕を縛り上げて、左腕一本だけで槍を振るう訓練を続けておられます。部下には『休め、明日死ぬぞ』と仰るのに、ご自身は眠ることなく……」


「リオラ様もルーク様も……」


 影の者ナギが、床に額を擦り付けた。


「最近はまばたきすら忘れたような、ガラスのような目をしておられます。陛下を守るためとはいえ、あの御方たちには『心』を休める場所がどこにもないのです」


 彼らの言葉は、報告ではなく、悲痛な訴えだった。


 陛下は、静かに立ち上がった。

 そして、跪く私たちに向かって、深く、深く頭を下げた。


 広間が、凍りついた。


「……すまない」


 陛下の声が、静寂に染み渡った。


「私の不徳ゆえ、彼らをそこまで追い詰めてしまった」


 マティアスは、息を呑んだ。王が謝罪するなど、あってはならないことだ。


「だから、王としてではなく、一人の友として、お前たちに頼む」


 陛下の目が、一人一人を真摯に見つめた。


「彼らの隙を見つけ、無理やりでも茶を飲ませ、くだらない話をし、背中を叩いてやってくれ。彼らを『役職』ではなく『人間』として繋ぎ止めるのは、私の権威ではなく、一番近くにいるお前たちの支えだ」


 マティアスの目から、涙が溢れた。


「……今夜は、彼らが戻ってきたら、身分など忘れて思い切り盛り上げてやってくれ。頼んだぞ」


 陛下は、足音を殺して隣室へと向かった。


         ◇◇◇


 隣室では、自分たち四人が直立不動で陛下を待っていた。


 ヴァインは杖を握りしめ、自分は拳を固く結んでいる。

 リオラとルークは影のように静かに立っている。

 空気は張り詰めていた。


 陛下が入ってきた。

 一人一人の顔を、射抜くような、しかし温かい目で見据える。


 そして、口を開いた。


「一生懸命に働くことと、己をすり減らすことは、似て非なるものだ」


 自分の背筋が、僅かに強張った。図星を突かれた子供のように。


「ヴァイン、アラリック、リオラ、ルーク」


 陛下は、一人一人の名を慈しむように呼んだ。


「お前たちは、私の一部だと言ったはずだ」


 陛下は、欠損した右肩を、左手で強く叩いた。


「私が腕を失った今、お前たちが心をすり減らして壊れてしまえば、私は二度と立ち上がれなくなる。それは敵に殺されるのと同じことだ」


 沈黙が落ちた。

 雨音だけが、窓の外で遠く響いている。


「私がこれから、この新しい呪いの腕を装着し、その苦痛に耐え抜くためには、私の周りの世界が『正気』でなければならん」


 陛下の声が、切々と響いた。


「お前たちがボロボロの状態で、どうして私が自分を保てると信じられる? お前たちの苦痛は、私の苦痛だ」


 ヴァインの手が、小刻みに震えた。

 自分の目が、激しく揺れた。

 リオラとルークの指が、互いを求めるように微かに動いた。


「いいか、これは命令だ」


 陛下の声が、鋭く、しかし優しくなった。


「私を安心させてくれ」


 その言葉に、四人の目が見開かれた。


「お前たちが自分を大切にすることが、今の私にとって最大の支えであり、最強の武器なのだ」


 陛下は、一拍置いた。


「……その覚悟ができたら、広間に戻ってこい。冷めた肉は不味いぞ」


 陛下は、そう言って微笑み、背を向けて隣室を出ていった。


 残された自分たちは、しばらく動けなかった。

 張り詰めていた糸が、プツリと切れたようだった。


 ヴァインは震える手で杖を握りしめ、皺だらけの頬に静かに涙を流していた。

 自分は唇を噛んで視線を落とし、握りしめた拳から血が滲んでいた。

 リオラとルークは、互いの手を固く握り合い、肩を震わせていた。


 自分たちの目に宿っていた「死を急ぐような鋭さ」が、陛下の言葉によって、雪解け水のようにゆっくりと溶けていった。


         ◇◇◇


 広間に戻ると、空気が変わっていた。


 部下たちの目が、涙に濡れている。

 だが、その目には、使命感のような光が宿っていた。


 老書記官マティアスが、杯を持って駆け寄ってきた。


「ヴァイン様! 今夜は無礼講と伺いました! 一杯、お付き合いください!」


 ヴァインが、驚いたように目を見開いた。


「マティアス、お前……」


「陛下のお許しです! 今夜だけは、書類のことは忘れてください!」


 若い十人長ガレスも、自分に駆け寄ってきた。


「団長! 昔の失敗談、聞かせてくださいよ!」


「失敗談だと?」


「あるでしょう! 絶対あるはずです!」


 自分は、思わず笑みを漏らした。

 こいつら、いつの間にこんなに図太くなった。


 宴は、騒がしいものとなった。


 ヴァインも、この夜ばかりは「飲み過ぎだ」と小言を言うのを止め、部下からの杯を干した。

 自分は、若い兵たちに囲まれて、昔の失敗談を語りながら照れくさそうに笑っていた。

 リオラとルークは、隅で静かに杯を傾けていたが、その目には、久しぶりに柔らかい光が宿っていた。


 宴の終盤。

 酒が回り、意識が霞んでいく。


 おかしい。自分はそこまで弱くない。

 だが、瞼が重い。抗えないほどに。


 最後に見たのは、陛下が自らの手で毛布をかけている姿だった。


         ◇◇◇


「……陛下、一滴残らず」


 陛下の影に潜んでいた者が、音もなく報告した。


 報告を受けた時、四人は既に、数年分の疲れを癒すような深い眠りに落ちていた。


 アラリックは、座ったまま豪快に。

 ヴァインは、机に突っ伏して安らかに。

 リオラとルークは、陛下の足元に近い影の中で、寄り添うように丸くなって、まるで赤子のように。


 陛下は、自らの手で彼らに毛布をかけさせた。

 そして、祭りの後のように静まり返った広間を、独り見つめた。


         ◇◇◇


 老書記官マティアスは、その光景を広間の隅から見ていた。


 四人が眠りに落ちた経緯を、マティアスは知らない。

 だが、陛下が自ら毛布をかけ、眠る側近たちを見守る姿に、胸が締め付けられた。


 窓の外では、雨音に代わって、星々が静かに輝いていた。

 北の空には、まだ不吉な黒い煙が細く立ち上っている。

 聖戦軍は、あと三日の距離に迫っている。


 だが、今夜だけは。

 今夜だけは、この人たちを眠らせてやりたかったのだ。


 マティアスは、静かに広間を後にした。


 明日から、また地獄のような戦いが始まる。

 だが、自分たちにも、できることがある。


 上官を「人間」として支えること。

 それが、陛下から与えられた使命だ。


お読みいただきありがとうございます!

もし「面白そう!」「続きが気になる!」と思っていただけたら、

広告の下にある【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にして応援していただけると、執筆(投稿)の励みになります!

ブックマークもぜひポチッとお願いします。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ