21話:冷たい太陽
門が開いた。
だが、その向こうから現れたのは歓迎の使者ではなかった。
軍靴の音と共に、抜剣した千人規模の帝都常駐軍が、俺たちを包囲するように整列した。
威圧的な「死の回廊」だ。
「……入れ。だが、武装は解いてもらう」
常駐軍の指揮官が、感情のない声で告げた。
「新王とヴォルカス、そして数名の従者以外は、外郭の練兵場で待機となる。これは帝都の安全を守るための決定事項だ」
分断。
古典的だが、効果的な手だ。殿下を孤立させ、交渉力を削ぐ。
俺は殿下の横顔を見た。
蒼白だ。脂汗が額を伝っている。右腕を押さえる手が、微かに震えていた。
だが、その目は別のものを見ている。
俺には見えない何かを、睨みつけている。
「……陛下、気分が悪いのですか?」
俺は馬を寄せ、周囲に聞こえぬよう囁いた。
「……二重の視界だ」
殿下が掠れた声で答えた。
「帝都の地下に、黒い蔓が張り巡らされている。都市全体を苗床にするように。そして、すべてが宮殿の地下へ収束している」
俺は息を呑んだ。
北の異変は、ここから始まっていたのか。あるいは、ここへ繋がろうとしているのか。
「メフィストが面白いことを見つけました」
俺は話題を変えた。殿下の意識を現実に繋ぎ止めるために。
「この黒い泥、人間の『野心』や『魔力』に反応して増殖するそうです」
俺は帝都の街並みを見渡した。
雨に濡れた白い石畳。天を突く尖塔群。金箔で飾られた商店の看板。
「この帝都のような、欲と陰謀が煮詰まった場所は、奴らにとって最高の餌場でしょうね」
その時、盲目の吟遊詩人リラが、竪琴を短く鳴らした。
「……聞こえます、陛下」
リラの声が震えていた。
「皇帝陛下のおわす宮殿の奥深くから、あの歌が……何千人もの合唱となって、地下から響いています」
レオンが歌っていた、あの狂った韻律。
俺には聞こえない。だが、リラの恐怖は本物だ。
◇◇◇
殿下が馬首を巡らせ、常駐軍の指揮官を見据えた。
「なぜ罪人のような扱いを受けないといけない?」
その声は静かだが、鞭のように鋭かった。
「ヴォルカス千人長のいう通り、貴国の失態の抗議に来た身だぞ? 賓客として迎えるのが礼儀であろう」
指揮官の顔が強張った。
「我らは全員でこのまま宮殿へ向かわせていただく」
殿下の目が、指揮官を射抜いた。
「もし分断するというなら、ここまで皇帝を連れてこい」
周囲を包囲していた常駐軍の間に、凍りつくような緊張が走った。
「貴様……! 分をわきまえろ! 属国の王風情が!」
指揮官が抜剣し、怒号を上げた。
「ここは帝都グラディウムだぞ! 貴様の首など——」
しかし、殿下が馬を一歩進め、マントの下で脈動する黒い右腕を僅かに晒すと、最前列の兵士たちが本能的な恐怖で後退した。
一触即発の沈黙が、広場を支配した。
◇◇◇
その沈黙を破ったのは、門の奥から響いた拍手の音だった。
「……素晴らしい」
穏やかで、それゆえに冷徹な声。
「小国の若き獅子が、これほどまでの牙をお持ちとは」
常駐軍の兵たちが左右に分かれ、一両の黒塗りの馬車が姿を現した。
降り立ったのは、白髪を完璧に整え、深い紺色の官服に身を包んだ老人。
その目は爬虫類のように冷たく、感情が読めない。
リラが歌っていた「冷たい太陽」。
大蔵卿カストル。
俺は背筋が粟立つのを感じた。
帳簿の裏に何度も名前が出てきた男が、目の前にいる。
カストルは従僕に傘を差しかけさせながら、殿下の右腕を値踏みするような目で見つめた。
「新王よ。我が軍の『不手際』という言葉、聞き捨てなりませんな」
氷の刃のような声。
「北の山脈は我が帝国の管理下にあり、そこで起きたことはすべて帝国の内政事項。貴国の領分ではない」
カストルは、微かに唇の端を吊り上げた。
「……ですが、貴殿がその身を呈して『何か』を抑え込んでいることも、また事実のようだ。その右腕……興味深い」
興味深い、だと。
この男、北の禁忌を知っている。いや、利用しようとしている。
カストルは俺たちを一瞥した。
「よろしい。皇帝陛下は現在、御不例により直接お会いすることは叶いません。代わって、第一皇子殿下がお待ちだ」
カストルは冷たい笑みを深めた。
「武装解除は求めまい。だが、宮殿へ連れて行くのは側近と護衛数名のみ。残りの兵は、このカストルが責任を持って、貴殿に相応しい『賓客の宿舎』へ案内させよう」
◇◇◇
殿下が、馬を僅かにヴォルカスへ寄せた。
俺には聞こえない声で、何かを問いかけている。
ヴォルカスの顔が強張った。唇がほとんど動かず、何かを答えている。
賓客の宿舎。
俺は足元の地面を見た。雨水が、吸い込まれるように消えている。
地下に巨大な空洞がある証拠だ。奴の言う「宿舎」は、俺たちを分断し閉じ込めるための檻だろう。
殿下とヴォルカスのやり取りが続いている。
ヴォルカスの目が、一瞬だけ揺れた。何か重要なことを伝えたらしい。
やがて、殿下が小さく頷いた。
◇◇◇
殿下がカストルに向き直った。
「カストル殿」
「何かな、新王よ。案内を拒むと?」
カストルは薄く笑っている。絶対的な権力への自信が、その余裕から漂っていた。
「皇帝陛下が会えないというのは、仕方あるまい。先日、我が国でヴォルカス千人長が訪れた際、私も同じ対応をして門前で待たせた。故に、その無礼は受け入れよう」
カストルの白眉が、ピクリと動いた。
若造が癇癪を起こすと思っていたのだろう。予想外の譲歩に、計算がわずかに狂った。
「だが」
殿下の声が、研ぎ澄まされた刃のように鋭くなった。
「なんといったか、貴国の兵站に関する日記だか帳簿だかが原因で、北から脱走した兵から聞いたんだが」
帳簿。
その単語が出た瞬間、俺は息を呑んだ。
何を言い出す、この若造は。
「彼が死に際に遺した言葉があってな。『大蔵卿カストルだけは信じるな』と。……唯一それだけ、助言を聞いてな」
その言葉が放たれた瞬間。
カストルの端正な老人の顔から、張り付いたような余裕の笑みが消え失せた。
眼が細まり、爬虫類めいた瞳の奥に宿る冷酷な計算が、一瞬だけ剥き出しの殺意へと変貌した。
獲物を前にした蛇が鎌首をもたげる瞬間のような、生理的な恐怖を煽る殺気。
だが、彼はそれを即座に、凍てつくような能面の無表情の下へと隠した。
「……脱走兵が、自らの保身のために自国の上官を責めることはよくある話です。聡明な新王陛下が、そのような戯言を信じているとは思いませんが」
殿下は首を横に振った。
「信じてはいないさ。だが、疑われるような場所に自ら飛び込むほど、私は愚かではない」
殿下の顔が苦痛に歪んだ。右腕を押さえる手に、力が籠もる。
「そのままついていくことはできないな」
カストルの声が、絶対零度まで冷たくなった。
「……ほう。脱走兵の戯言を真に受け、我が帝国の法と、私の好意に抗うと? 陛下、それは一国の王としては、あまりに幼く、無謀な判断ではありませんかな」
背後の常駐軍が一斉に剣の柄に手をかける音が、ジャラリと響いた。
一触即発。
だが、殿下は一歩も引かなかった。
「我が国でも、ヴォルカス千人長には外で待たせていた。礼儀には礼儀を、無礼には無礼を」
殿下は傲然と言い放った。
「我が国同様、第一皇子殿下にここに来てもらおうか。……そうだな、外郭の練兵場ででも待たせてもらおう。兵も含めて全員でな。あそこならば、軍事演習のついでに会見もできよう」
◇◇◇
カストルの笑みが、僅かに引きつった。
「……練兵場? あのような泥臭い場所に、一国の王が?」
「構わん。我が国の城も似たようなものだ」
カストルは一瞬、殿下を値踏みするように見つめた。
そして、冷たく呟いた。
「……ヴォルカス」
その声に、ヴォルカスの肩が強張った。
「貴殿の処遇については、後ほど軍事法廷で決める。今は、その新王を宮殿へ案内する義務を果たせ」
宮殿へ。練兵場ではなく。
カストルの言葉は、明確な命令だった。
ヴォルカスの顔に、苦悶が走った。
帝国の将として、上官の命令に従うべきか。それとも——
殿下が、静かにヴォルカスを見た。
「ヴォルカス千人長」
その声は穏やかだが、鋼のような芯があった。
「わかっているな?」
ヴォルカスの目が、一瞬だけ揺れた。
帝国への忠誠。将としての誇り。そして、北の地獄で見た真実。
彼の拳が、手綱を握りしめて白くなった。
そして——
「——道を開けろッ! 陛下をご案内する!」
ヴォルカスの、血を吐くような怒声が響いた。
それは帝国への反逆。だが、同時に、武人としての矜持を貫く咆哮だった。
気圧された兵士たちが、道を譲りかける。
彼らは大蔵卿の指示を仰ぐように、カストルを一斉に振り返った。
斬り捨てろ、と命じられれば、ここで泥沼の乱戦になる。
しかし。
カストルはただ、雨に濡れる殿下の背中を、毒蛇のような執念深い、ねっとりとした目で見つめているだけだった。
ここで強硬手段に出れば、「帳簿」の中身が公になるリスクを計算したのか。あるいは、練兵場に行こうとも、盤面は揺るがないという自信か。
「……よろしい」
カストルの声が、氷のように響いた。
「そこまで仰るなら、練兵場の泥の中で、第一皇子の『慈悲』を待たれるがいい。……後悔なさらぬよう」
それは許可ではなく、宣告だった。
殿下は振り返らなかった。
ただ、包帯の下にある右腕が、カストルの方向に向かって、ドクン、ドクンと激しく脈動しているのが見えた。
まるで、右腕そのものが、目の前の老人を明確な「敵」として認識し、威嚇しているかのように。
俺は殿下の後に続きながら、肩をすくめた。
何が起きているのか、全貌はまだ見えない。だが、殿下とヴォルカスの間で、俺の知らない何かが動いている。
カストルが馬車に戻りながら、俺たちを一瞥した。
その目には、獲物を見定める蛇の冷徹さがあった。
だが、俺たちも蛇だ。
この泥沼で、どちらが先に噛みつくか。勝負はこれからだ。
お読みいただきありがとうございます!
もし「面白そう!」「続きが気になる!」と思っていただけたら、
広告の下にある【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にして応援していただけると、執筆(投稿)の励みになります!
ブックマークもぜひポチッとお願いします。




