19話:帝都の鼓動
森を抜けた安堵も束の間だった。
背後から、これまで聞いたこともないような地鳴りが響いた。
大地そのものが悲鳴を上げている。
振り返ると、俺たちがいた森の中心から、巨大な黒い塔のようなものが生えてきていた。
周囲の木々をへし折りながら、天を突き、雲を裂く。
塔というより、数千、数万の黒い蔓が編み合わさってできた大樹だ。
その頂点から、風に乗って不気味な旋律が響いてくる。
あの北のキャンプ地で聞いた聖歌。
レオンが歌っていた、狂った韻律だ。
「……あれは、何だ……」
ヴォルカスが声を震わせた。
答えられる者はいない。俺も、アラリックも、ゴルガスでさえ、言葉を失っていた。
◇◇◇
その瞬間、殿下が馬上でよろめいた。
「陛下ッ!?」
アラリックが慌てて体を支える。
殿下の顔から血の気が引いている。脂汗が額を伝い、右腕を押さえる手が震えていた。
包帯の下で、黒い蔓が脈打っているのが見える。
蒼白い光が、心臓の鼓動に合わせて明滅していた。
普通なら、あの光は不吉の象徴だ。
だが今、あの黒い大樹の聖歌に呼応するように、殿下の右腕も歌っている。
同じ旋律で。
「……帝都に……何かがいる……」
殿下が掠れた声で呟いた。
「……呼んでいる……俺の腕が……あの大樹と、帝都の闘に……応えている……」
俺は馬を寄せた。
「殿下、何が見えます」
「……二つの視界だ」
殿下の目が、どこか遠くを見ていた。
「一つは、ここ。お前たちの顔。もう一つは……帝都の地下。深い闇の中に、何かが眠っている。俺の右腕の鼓動に、そいつが応えた」
殿下の右腕が、ドクンと跳ねた。
同時に、背後の黒い大樹が一際大きく脈動する。
繋がっている。
殿下の腕と、あの大樹と、帝都の地下に眠る何かが。
◇◇◇
俺は頭を回転させた。
北の山脈で解き放たれた呪い。
それが殿下の右腕に宿り、今、帝都の地下にある「何か」と共鳴している。
偶然か?
いや、違う。
帝国の輜重部隊が北の禁忌を掘り起こしたのは、第一皇子の焦りだとリラは言った。
だが、大蔵卿カストルはそれを止めなかった。
まるで、山が割れるのを待っていたかのように。
点と点が繋がり始める。
帝都の地下に眠る「何か」を、カストルは知っていたのではないか。
北の禁忌と、帝都の闇。その二つを繋げるために、輜重部隊の暴走を黙認した。
だとすれば、殿下の右腕は——Loss
考えを中断した。
今は推測を重ねても仕方がない。情報が足りなすぎる。
◇◇◇
殿下が、ゆっくりと顔を上げた。
脂汗はまだ滲んでいるが、目には理性が戻っている。
「……すまん、取り乱した」
「いえ」
アラリックが首を振った。
「殿下が何を見たか、我々には分かりません。ですが、殿下がここにいる。それだけで十分です」
単純な男だ。だが、その単純さが今は救いになる。
殿下が苦笑した。
「……お前は本当に、眩しいな」
「は?」
「何でもない」
殿下は手綱を握り直し、前方を見据えた。
街道の先に、帝都グラディウムの巨大な外郭門が見えてきていた。
◇◇◇
雨に煙る帝都の輪郭が、徐々に鮮明になっていく。
分厚い城壁。無数の尖塔。そして、中央に聳える皇城。
大陸最大の都市。人口百万を超える巨大な迷宮。
ふと、隣を見た。
ゴルガスが、帝都の城壁を睨みつけている。その隻眼に、複雑な光が宿っていた。
「懐かしいか、傭兵」
俺が声をかけると、ゴルガスは鼻を鳴らした。
「懐かしい? 冗談じゃねえ。胸糞悪いだけだ」
「上官を殴り殺したんだったか。何をされた」
「……部下を見殺しにされた」
ゴルガスの声が低くなった。
「辺境の砦で、蛮族の襲撃があった。援軍を要請したが、上は動かなかった。『費用対効果が悪い』とよ。百二十人いた部下が、三日で十七人になった」
俺は黙って聞いていた。
「生き残って帰還したら、上官の野郎が言いやがった。『よく持ちこたえた。褒美をやろう』ってな。……気づいたら、そいつの顎を砕いてた」
「それで追放か」
「ああ。軍法会議にかけられて、不名誉除隊。まあ、殺さなかっただけマシだと思ってる」
ゴルガスは、血と泥にまみれた大剣を肩に担ぎ直した。
「あの上官は今、帝都の軍務局で出世してるらしい。名前はガリウス。……もし会ったら、今度こそ殺す」
「物騒だな」
「お前も似たようなもんだろ、元外交官」
図星だ。
俺も、かつてこの街で働いていた。貴族たちの醜聞を集め、弱みを握り、交渉を有利に進める。そういう仕事だ。
だが、追放された。
上司の不正を暴いたら、逆に俺が切り捨てられた。よくある話だ。
あれから五年。
まさか、こんな形でこの街に戻ることになるとはな。
「……まあ、否定はしねえよ」
俺は肩をすくめた。
「俺たちは、この街に捨てられた側だ。だからこそ、使える。殿下はそう判断したんだろう」
「捨てられた犬が、飼い主の喉笛を噛み千切りに行く。……悪くねえな」
ゴルガスが、獰猛に笑った。
殿下が、俺に視線を向けた。
「カイル。帝都に着いたら、お前の本領発揮だ」
「……ええ、分かってますよ」
俺は肩をすくめた。
「帳簿の『毒』を、どこに注ぐか。誰を味方につけ、誰を切り捨てるか。……久しぶりに、腕が鳴りますね」
「頼りにしている」
殿下の言葉に、皮肉を返そうとした。
だが、その目を見て、やめた。
信頼。
打算でも、利用でもない。純粋な信頼が、そこにあった。
……この若造、本当に厄介だ。
こういう目で見られると、裏切れなくなる。
「……やれやれ」
俺は前を向いた。
「まあ、退屈よりはマシですよ。せいぜい使い潰してください、殿下」
帝都の門が、ゆっくりと開き始めた。
呪いの終着点。三つの太陽が睨み合う、灼熱の戦場。
俺たちは、その喉元へ飛び込もうとしていた。
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