17話:毒と太陽
分厚い雲の切れ間から、弱々しい陽光が差し込み始めた。
レムリア公国の城門が、軋んだ音を立てて開かれる。
俺は馬上で欠伸を噛み殺しながら、その光景を眺めていた。
数百の帝国軍重装騎兵が、殿下の前後を挟むように陣形を組んでいる。
護衛という名目だが、実態は監視だ。いつでも拘束できる布陣。千人長ヴォルカスとやらも、なかなか腹黒い。
まあ、俺が同じ立場でも同じことをする。
殿下は濡れたマントを翻し、帝都グラディウムへの遠征を開始した。
傍らにはアラリックが愛馬の手綱を握り、背筋を伸ばしている。あの男、昨夜あれだけ感極まっていたくせに、今朝はもう完璧な騎士団長の顔だ。切り替えが早いというか、単純というか。
俺は殿下の馬に寄せ、周囲の帝国兵に聞かれぬよう声を落とした。
「殿下、後ろに連れている『連中』を見ましたか?」
殿下が軽く振り返る。
その視線の先には、明らかに異質な空気を纏う者たちがいた。
「ヴァインの爺さんも、なかなかの目利きだ。……あるいは、耄碌してヤケクソになったか」
「後者だろうな」
殿下が小さく笑った。珍しい。
◇◇◇
新王の護衛という名目で、実地試験としてこの遠征に組み込まれた志願者は三人。
どいつもこいつも、まともな神経じゃ近寄りたくない連中だ。
一人目。
全身をどす黒いローブで覆い、顔には鳥の嘴のような革仮面を被った男。
仮面の錬金術師、メフィスト。
薬品と腐敗臭が混じった匂いが、風向き次第でこちらまで届く。自分の体すら実験台にするという噂は本当らしい。殿下の右腕の侵食を「興味深い検体」と呼んだ時は、さすがに殴ろうかと思った。
二人目。
熊のような巨躯を持つ、隻眼の男。
ゴルガス。
全身が古傷だらけで、背負った大剣は鉄塊のように分厚い。かつて帝国軍の千人長だったが、上官を殴り殺して追放されたという札付き。
帝国の陣形や戦術を熟知しているという点だけで採用された。それ以外は、正直言って爆弾だ。
三人目。
目を閉じたまま、古びた竪琴を抱えて馬に揺られる女。
盲目の吟遊詩人、リラ。
存在感が希薄で、霧に溶け込みそうだ。だが、この女が一番厄介かもしれない。
歌ですべてを記憶するという。帝国貴族の醜聞、家系図、裏帳簿の数字まで、すべてを歌の旋律として脳内に収めている「生きた禁書目録」。
俺の帳簿と、どこまで情報が被るか。あるいは補完し合えるか。
毒を以て毒を制す。
殿下が選んだ道は、そういうことだ。
◇◇◇
数日の行軍を経て、一行はレムリアを離れ、帝国領内の深い森へと差し掛かった。
空を覆う巨木が日光を遮り、湿った腐葉土の匂いが鼻につく。冷たい霧が立ち込め、視界が悪い。
千人長ヴォルカスは、殿下の右腕を恐れるように、付かず離れずの距離を保っている。
だが、その態度は依然として硬い。兜の奥の視線が鋭いのは、隙あらば殿下を「災厄の元凶」として拘束し、手柄にしようという野心が透けているからだ。
わかりやすい男だ。扱いやすいとも言える。
殿下は何も言わない。ただ、時折右腕を押さえる仕草が増えてきた。
疼いているのだろう。だが、弱みは見せない。
この若造、本当に十七歳か?
◇◇◇
森の奥へ進むにつれ、殿下が馬を返し、三人の志願者たちへ寄せていった。
俺も距離を詰める。何を言うつもりだ。
「傭兵よ」
殿下の声に、ゴルガスが焚き火の準備の手を止めて顔を上げた。
「そなたから見て、アラリックは上官として合格だろうが、トップが腐っていたら意味がないだろう」
殿下の目が、ゴルガスを射抜いた。
「私が、お前が仕えるに足る『トップ』かどうか、この戦いでよく見ておけ」
ゴルガスは、背中の大剣の柄に手をかけた。その口元が歪む。
「……トップが腐っていれば、どんなに鋭い牙も共食いを始める。あんたがこの泥濘をどう歩むか、特等席で見せてもらうぜ、新王」
次に、殿下は仮面の男に向き直った。
「錬金術師よ。腕を直してほしいが、もしかすると実験体が手に入るかもしれないぞ。これから起こることは注視しておけ」
「クク……素晴らしい!」
メフィストは薬瓶の入った鞄を愛おしげに撫でた。
「陛下のその右腕の進行を止めるための『贄』として、役に立ってもらわねばなりませんからねぇ……!」
狂人め。だが、使えるなら使う。それが殿下の判断だ。
◇◇◇
最後に、殿下は盲目の吟遊詩人に声をかけた。
「吟遊詩人よ。戦いの前に、帝国についての情報を教えてくれ。敵を知らねば剣は振るえん」
リラが、古びた竪琴を静かに爪弾いた。
ポロン、と寂しげな音が響く。
「……帝国には今、三つの太陽がございます、陛下」
その声は、森の冷気よりも透き通った響きを持っていた。
「病床にあり、光を失いつつある『老いた太陽』、皇帝陛下。武功を焦り、北の禁忌に手を伸ばした『灼熱の太陽』、第一皇子。そして……帝都の帳簿を握り、財政という影から国を操る『冷たい太陽』、大蔵卿カストル」
リラの指が、不協和音を弾いた。
「輜重部隊の独断専行は、恐らく第一皇子の焦りの産物。ですが、大蔵卿カストルはそれを止める力がありながら、静かに見逃した……」
リラは、目を閉じたまま微笑んだ。
「……まるで、山が割れるのを、待っていたかのように」
俺は口笛を吹きそうになった。
この女、やはり只者じゃない。俺の帳簿にある情報と、ほぼ一致する。いや、一部は俺より詳しい。
大蔵卿カストル。
帳簿の裏に何度も名前が出てきた男だ。第一皇子の暴走を止めなかったのは、失敗させて権力を奪うため。そう読んでいたが、リラの言葉で確信に変わった。
三つの太陽。
そのうち二つは、互いを焼き尽くそうとしている。
殿下がどこに楔を打ち込むか。
この泥沼の博打、まだまだ降りられそうにない。
◇◇◇
その時だった。
殿下の右腕が、ドクンと跳ねた。
包帯の下で、何かが脈打っている。
森の奥から、風に乗って悲鳴が聞こえた。
夜が、牙を剥き始めたのだ。
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