16話:出立の誓い
レオンを預かったのは、昨夜のことだ。
斥候のルークが、城の秘密入口から戻ってきた。背中に、壊れた人形のようなレオンを背負って。
自分の右腕だった男。
今は虚空を見つめ、唇だけが動いている。声は出ない。だが、その呼吸のリズムが刻む韻律は、聞いているだけで頭の奥がざわつく。
殴りたかった。
誰を、とは言えない。ただ、この拳を何かに叩きつけなければ、気が狂いそうだった。
だが、殴る相手はいない。
レオンをこうしたのは、北の山脈に眠っていた「何か」だ。そして、それを掘り起こしたのは帝国の輜重部隊。
自分には、何もできなかった。
◇◇◇
新王宣言が終わり、帝国軍が「道」を開いた。
殿下は、出発前に側近たちを集めた。
広場の隅。両国の軍勢から離れた場所で、殿下は濡れたマントを翻して自分たちに向き直った。
その瞳には、先ほどの狂気的な熱はない。冷徹で静かな理性が戻っている。
「それでは、こちらも遠征の準備を始める故、しばし待たれよ」
殿下は千人長にそう告げ、自分たちへ視線を巡らせた。
「ヴァイン。この通り、隠居を決め込む暇もなく、忙しくなった。城を引き続き頼む」
「……御意。この老骨、粉になるまで城を支えましょう」
ヴァインの声は震えていた。だが、そこには覚悟がある。
「リオラの調査も問題ない一次通過者は、帝国への道のりで直接確認するので護衛隊に組み込め。追加の志願者が来る可能性もある。引き続き頼んだぞ」
ヴァインが深く頭を下げた。
「貴族の手綱も、リオラと協力して頼む。裏切り者の炙り出しと、日和見主義者への釘刺しだ」
「……帳簿に名のあった者たちですな。承知いたしました」
殿下は、影のように控えるリオラに視線を向けた。
「リオラ、ヴァインとともに城を頼んだぞ。教皇国の動きには特に目を光らせろ」
「承知いたしました。影より目を凝らします」
「それと、すぐにルークを寄こす。手足のように扱え」
リオラの目が、微かに見開かれた。
「厳しくしていい。私の『影』として育て上げろ」
殿下は、ルークを自らの手駒として鍛えるつもりだ。
自分は、その信頼の重みを見た。
「……畏まりました。必ずや、殿下の剣となり盾となる影に」
◇◇◇
殿下が、自分に向き直った。
「アラリック、同行を頼む。お前の武威がなければ、帝国の狐たちはすぐに牙を剥く」
「御意。この命、殿下の盾となりましょう」
声が震えなかったのは、意地だ。
「あと、謝らねばいけないことがあるので、出発前にカイルとルークと……限られた者たちだけで話をできるタイミングをくれ」
自分は、何かを察した。
拳を握り締め、頷いた。
◇◇◇
城内の薄暗い一室。
殿下は、自分とカイル、そしてルークを集めた。
部屋の隅には、簡易的な寝台がある。
そこに横たわっているのは、レオンだ。
虚空を見つめる目。動き続ける唇。声なき呼吸が刻む、あの不気味な韻律。
手足に焼き付いた黒い泥の痕は、洗っても落ちなかった。
自分は、殿下の前に進み出た。
膝をつく。鉄の籠手を外し、床に置く。
武装解除。絶対的な恭順の証だ。
「殿下」
声が震えた。抑えられなかった。
「レオンのことは、ルークから聞きました。自分の右腕である奴を救うために、殿下自らがその身を……あのような呪いに晒されたこと」
自分は、素手の拳を床に叩きつけた。
「将として、これほどの不徳はありません。部下の不始末で主君の御体を損なうなど……万死に値します」
沈黙が落ちた。
自分は、床を見つめていた。顔を上げられなかった。
殿下の声が、静かに響いた。
「謝らせてくれ」
顔を上げた。
カイルも、ルークも、同じように驚いた顔をしている。
「お前たちに、無茶をさせた。私の策のために、レオンをあんな状態にしてしまった。ウーゴは助けられなかった」
殿下の声には、王としての威厳ではなく、一人の人間としての苦悩が滲んでいた。
「アラリック。大事なお前の右腕を、こんな状態にしてすまない」
王が、部下に頭を下げる。
この大陸の常識では、あり得ない光景だ。
だが。
自分の中で、何かが変わった。
恐怖でも、利益でもない。もっと深いところで、魂が縛られた。
◇◇◇
カイルが、手遊びしていた短剣を鞘に収めた。
「……謝罪なんて、王様が口にするもんじゃありませんよ。安っぽくなる」
カイルは立ち上がり、窓の外を見た。
「だが、あんたがそういう『規格外』だからこそ、俺はこの泥沼の博打を降りられねぇんだ。普通の王なら、とっくに逃げ出してる」
カイルが振り返った。
「帝国までの道中、帳簿の『毒』をどう使うか、たっぷりと練り上げさせてもらいますよ。あんたのその右腕の代償、帝国には高く支払ってもらいましょう」
ルークは、殿下の包帯に巻かれた右腕を見つめていた。
そして、寝台のレオンへと視線を移す。
「……レオンは、僕が必ず元に戻す方法を見つけます」
その声は小さかったが、確かな決意が込められていた。
「だから殿下も、勝手に死なないでください。リオラ様のところで、死ぬ気で殿下の『影』になってきますから」
ルークは深く頭を下げ、部屋を出ていった。
◇◇◇
自分は、ようやく顔を上げた。
迷いは、もうない。
「……殿下」
声が、腹の底から出た。
「この命、レオンの分まで使い果たしてみせます。地獄の果てまで、御供いたします」
殿下が頷いた。
その目には、信頼があった。
自分は立ち上がり、籠手を嵌め直した。
レオンを一瞥する。
必ず、治す方法を見つける。
それまで、自分がこの主を守り抜く。
殿下が、窓の外を見た。
雨は止みつつある。だが、これから向かう先には、より激しい嵐が待っている。
「行くぞ。帝国の喉元へ」
自分は、剣の柄に手をかけた。
「御意」
短く答えた。それで十分だ。
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