日々是好日
今日も生きていることに感謝しつつ・・・
雨が降っていた。
昨日は爽やかな五月の陽射しに街もきらきらしていたが、今朝早く降りだした雨はしとしと、しかし、しっかりと隣家の緑色の屋根を濡らし、その表面がみずみずしく光っていた。
今日は日曜日。明日からの日常生活に備えて英気を蓄えるのには、最適なお天気かもしれない。
隣家の屋根は、雨降りバロメータだった。普段は乾いて、少々古びた白っぽい緑のトタン屋根を、怪しい雲が広がり始め雨の心配をする時は、必ず見る。濡れた点々が出始めると、お、降りだした、とすぐ分かるのだった。点々はじきに水玉模様になり、徐々に、濡れた濃い緑色が、乾いた白っぽい部分を侵食し始め、そうして全部が濡れ緑色になる。その頃には、道を行く車のタイヤの音も、しっかり雨の中を進むそれに変わっているのだ。
私は、よくある普通の専業主婦である。
いや、今時、普通の専業主婦でいられるという事は大層恵まれているのだろう。大学のゼミの同窓会で、恩師が言っていた。
「ゼミ会に来られる人は皆幸せな人ですよ。」
その通りだ。私だって、今夫が失業したら、手に職もなし、なりふり構わずパートに出て、家族の生活の為に働かなければならない。しかも、バブル最後の時期に入った会社では、スタッフの一番下、良く言えばアシスタント、実際は使いっ走り、の経験しかない。スーパーのレジでさえ出来るか怪しい現在である。今の社会は本当に厳しいのだ。
今日の午後、夫は単身赴任先に行く。戻る、と言わないのは、自宅はあくまでこの家で、単身赴任先は仕事の為に仕方なく住んでいる部屋、という意味である。会話の中でも、これはなぜか家族全員意識しており、赴任先に行く、自宅に戻る、または帰る、と、最後のあがきのような暗黙の了解があった。
今日の日中は雨は弱いままらしい。荷物を持って赴任先に行く夫の為にも、その天気情報は当たってほしかった。
雨は相変わらず降り続いていた。私はCDを聴きながらぼんやりしている。
三時間程前、夫は単身赴任先に行き、娘と私はマンションの玄関と窓から手を振って「行ってらっしゃい」と見送った。その瞬間は少しだけ寂しい。だから、なるべく出発は突発的にしてもらう。今回も、昼食後にスーパーへ家族で買物に行き、帰宅するやいなや私は電車の時刻表を見て、直近の電車の時刻を伝えた。
素直な夫は、そんな私の気持ちを知ってか知らずか、それとも自分も同じ気持ちなのか、即座に用意してあった荷物を持ち、弱い雨の中を急いで出かけて行った。
それから私は、夕食の支度を早めにしてしまい、少しの寂しさと開放感の両方を味わいながら、こうしてリラックスしている。
雨はこの後、夜からひどくなるらしい。明日の朝、もしも大雨警報が出ていて、六時の時点で解除されていなかったら、学校は休校になる。
娘と私は、それを少し期待していた。
CDは嵐である。お天気ではない。アイドルの嵐。
嵐は、子供から私のようなおばさんにまで超人気だ。
私も、嵐を聴いて元気を出すという、ごくごく平凡な一主婦なのである。
六月に入ると、梅雨入りまでの日々は、太陽が光り輝き、湿度も低く最高のお天気が続く。
洗濯物も短時間でからりと乾くし、スーパーへの買物も、自転車で緑の街をすっとばすのは大変心地よく、主婦冥利につきる。
ある日曜日、私達家族は京橋の美術館へ印象派の展覧会に出かけた。
日本人の印象派好きは有名らしいが、平凡な私も同様である。モネ、ルノアール、ちょっと前になるがコロー。絵の趣味も平凡だ。
それは、この六月上旬の眩しいお天気に絶好に似合う展覧会鑑賞だった。
私達の住む海辺の行楽地から、電車で一時間。着いた東京駅では、駅中ショップで賑わう、以前とは大違いな「銀の鈴」の待合所辺りを、人混みをすり抜けつつ早足で歩く。地下中央改札を出て、空いている八重洲の地下街を歩き、最後の突き当りで階段を上って外に出ると、途端に眩しい陽射しが目を射る。
娘は、先程駅中の店で一目惚れし、父親におねだりして買ってもらった白い日傘を早速差す。はじける様な陽射しの中の白いパラソルは、初夏の紋白蝶のようで、それを持った娘は親馬鹿ながら本当に可愛らしい。
くるくる差した白い日傘と共に、交差点を渡ると、そこにはもうお目当ての美術館があった。
清潔で、しかし冷たさは感じられない、センスのある美術館。
学校で何度か、学校近くの県立近代美術館を訪れたことのある娘であるが、この印象派展はどうであろうか。
説明するのも野暮なので、放置しつつ、自分は展示物をゆっくりと鑑賞する。
丁度十一時過ぎに到着したせいか、人は適度に少なく、前の人が絵の前を離れると次に自分が一人で鑑賞できるという、最適な間隔であった。
娘は実際の絵よりも、資料室のDVDに興味を持ち、ヘッドホンを耳に当てて夢中になっている。
夫もその横で、パソコンをいじっていた。
私は、美術館のアンケート用紙に目が留まり、暇つぶしに鉛筆で記入する。サービス・・大満足、企画展について・・満足、四十才台、女性、主婦、等々。
この資料室にも、先程まで大人が二人いたが、今は我々の貸切状態だ。
小ぶりな美術館なので、見終わるのは早い。
けれども、充実した内容に満足しつつ、ミュージアムショップで絵葉書など物色する。娘がまたしても父親に、ルノアールの絵のついた缶入りのいちごみるくキャンディをせがみ、買ってもらっているのを横目に、気に入った絵葉書を八枚購入した。
私は、中学生位から美術館巡りの楽しみを見つけ、といっても年に一、二回の鑑賞であるが、展覧会の帰りはいつも絵葉書を買うことにしている。
私なりの美術コレクションというわけである。
今回、中学生の頃、別の美術館で見たことのある絵と再開した。
藤島武二の「黒扇」。手に黒い扇を持ち、黒髪の頭に白いヴェールをかぶり、すこし気だるげにこちらを見ている黒い大きな濡れた眼差し。三十年近くの時を経て再開したその絵は、今回も私を美しい瞳で歓迎してくれた。
美術館の後、近くのデパートに寄った。
老舗の重厚な建物。建築として見るだけでも、寄るにふさわしい。
さすが老舗の東京店。サービスも、他の支店とは格が違い、ウィンドウショッピングしているだけでも気分が上等になる。
最近、ファストファッションや、海外ブランド、はたまた巨大手作り用品店の出店の相次ぐ銀座と比べると、日本橋は古き良き東京をまだまだ味わえる。
これからは日本橋にも来よう、と心の中で思って、お向かいの本屋に寄る。
そこで、娘は、図書カードを使って、赤毛のアンシリーズの途中の一巻を購入した。近所の本屋との違いは、小娘にも分かったらしく、かしこまってレジから出てきた姿を見て、思わず微笑む。
「あなたには子育てはできません。このままいくと、絶対に赤ちゃんと一緒にマンションから飛び降ります。」
忘れられない台詞が、たまに頭によみがえる。
あれは今から十一年前。
東京で、生まれたばかりの娘と孤独な昼間を過ごしていた頃であった。
つわりもなく、毎日お腹の子供と一緒に図書館でアルバイトをしていた恵まれた妊娠時代。それが、産んだ途端に世界が一変した。
具体的に一つ挙げると、病院での呼ばれ方。陣痛室では「お嬢様」だったのが、産んだ途端いきなり「お母様」になる。何事も赤ちゃん様々で、それまでの「お嬢様」は、赤ちゃんの為の「お母様」ならぬ大切な「乳母」に、いきなり変身させられた。ついでにいうと、私の母も、「お母様」から「おばあさま」に突然変わり、戸惑っていたが・・・。
とにかく、これまでのマイペースな日々は完全に消えた。
赤ちゃんのペースに全て支配される生活は、怠惰な私にはしんどすぎた。
しかも、初めて尽くしの子育て。怠惰なくせに、根は完璧主義な私は、病院の看護師さん、助産師さんの予言通り、しっかりどっぷり産後鬱病になってしまった。
退院後、実家にひと月滞在してから東京に戻った後も、母が二、三日おきに様子を見に来て、世話もしてくれたが、産後の体の疲れ、育児の緊張、そして何より授乳が不可能だった事は、心身共に私を疲弊させた。
ある時、とうとう涙が止まらなくなり、びっくりした夫が実家に連絡し、実家直送になった。
孤独な育児ほど辛いものはない。
直送された実家では、両親との何気ないやりとり、会話が、何よりありがたかった。
東京では、娘が三ヶ月になった時、近所の分譲マンションに引越しをした。たかが二、三丁目の違いであったが、当時の私には違いが非常に大きく、娘をまだ自転車に乗せられなかった為、元の地区に簡単に行く事も出来ず、夫が帰宅するまで、朝から大人と一言も口をきかずに夜を迎える毎日だった。
窓から毎日、近所の幼稚園のお母さん方が楽しそうに喋っているのを眺めていた。毎日定時にリハビリで歩行訓練をしていたおじいさんとヘルパーさん...。
娘は可愛かったが、私は寂しくてたまらなかった。
そこにきて、この言葉である。
心療内科医による決定的なこの言葉によって、しばらくじっくり実家で静養することになった。娘が六ヶ月の時である。
結局、「しばらく」は二年もかかり、とうとう東京のマンションを売り払い、実家のあるこの海辺の行楽地に都落ちしてきたのだ。
今、ここまで育った娘を見ると、あの時の心療内科医に「どうだ、まだ生きてるぞ」と言いに行きたくなってしまう。
それとも、あの一言があったからこそ、ここまで無事に母子共生き延びられた、と感謝しなければならないのか。
出産祝いに、友人から、娘のイニシャル入りの銀のコーヒースプーンをもらっていた。誕生日がくる度に買い足していくと、お嫁入り道具になるわよ、という言葉を添えて。
毎年買い与えるのも増え過ぎてしまうので、六年毎に買うことにした。
六歳の時に二本目を買い、十二歳になる今年は三本目を用意しなければならない。
丁度、日本橋の老舗デパートにその店が入っていた。
美術館の帰りに、そのお店で話をしたら、快諾してくれた。ただし、イニシャルの位置、向きを確認するために、今度現物を持参しなければならない。
しかし、私は何度でも喜んで行くであろう。
今年十二歳になる娘。手も離れて、大人への階段を上りつつある娘。初夏の陽射しの下、白い日傘をくるくる回すほど、元気に大きくなってくれた。多大なる周りの協力のおかげで。
こんな親でも、子供は無事に大きく育ってくれるのだ。
まさに「親はあっても子は育つ」。
私にも、マイペースに過ごす日々が戻ってきてくれた。
さあ、嵐を聴きながら、週末、夫が帰って来るのを待つことにしよう。
読んで下さってありがとう♪