第2章 ひび割れた思い込み
山間部の魔石鉱山で小規模な崩落事故が起きたのは、リリィが商会の視察団として現地に赴いた翌日のことだった。
「下層の足場が落ちた! 連絡がつかねぇ!」
坑道に響く怒号。掘削作業に当たっていた獣人の労働者たちが複数人、まだ中に取り残されていた。
「獣人の隊は獣人で救え。人間が関わっても混乱するだけだ」
誰かがそう言い放った瞬間、空気が凍った。誰もが黙認するように、その言葉に従おうとしていた。リリィもまた、一歩引きかけた。
(……そうね。私たちが動いても、きっと彼らは感謝もしない。恩を仇で返されるかもしれない)
頭の奥に染みついた“常識”が、彼女を立ち止まらせる。けれど、次の瞬間、レオが坑道に飛び込んだ。
「ロープを! この傾斜なら滑り込める!」
「待て、無茶だ!」
「彼らは仲間です!」
レオの叫びが、鉄槌のようにリリィの胸を打った。
獣人同士の絆? いや、そんな言葉で済ませられるものじゃない。彼は迷いなく、命をかける判断をした。そこに“種族”の言い訳はなかった。
リリィは、無意識にレオの背中を追っていた。
結局、レオとリリィの迅速な行動で、取り残された鉱夫たちは全員無事救出された。だが現場の管理者は、リリィに冷ややかな視線を向ける。
「お嬢さん、感情で動かれても困りますな。獣人の処遇は獣人同士でやるのが筋ってもんだ」
「……だったら、彼らが死んでも“筋”を守るの?」
自分でも、なぜそんな言葉が口をついたのか分からなかった。ただ、心のどこかでぐらついた何かが、ようやく崩れ落ちた気がした。
その夜、リリィは静かな焚き火の前でレオと並んで座っていた。風は冷たく、星は凍えるほど澄んでいた。
「どうして、あんな無茶をしたの?」
「俺たち、互いに疑ってばかりいたら、何も築けない。俺はそれに疲れたんです」
言葉は静かだった。だが、その背に刻まれた火傷のような過去が、リリィには見える気がした。
「……私ね、思ってたの。獣人に何をしても、どうせ無駄だって。協力しようとしても、絶対うまくいかないって」
レオは笑わなかった。ただ、ゆっくりと彼女に視線を向けた。
「それでも、助けてくれた」
その一言に、リリィの胸の奥がふっと熱くなった。氷のように冷たかった“種族”という壁が、ほんの少し、溶けかけていた。