8話 中傷記事
用務員室に戻った健二は、パソコンを起動させた。
開いたファイルは、天翔祭関連の各種スケジュール。
天翔学園はこの文化祭にかなり力を入れている。当日に有名アーティストを呼ぶのはもちろん、2週間前には天翔祭プレイベントを行うほどだ。
学園が主催する天翔祭と異なり、プレイベントは生徒会が主催する。まずは生徒たちで機運を高め、中間試験を挟んで天翔祭本番という流れだ。
天翔祭を心から楽しみたかったら試験を頑張れ――という学園側からのメッセージである。なかなかにスパルタだ。
イベントが続く分、スケジュール管理は重要である。
生徒側、教師側、そして外部とのやり取り。それぞれにトラブルが起きていないか、全体を見渡してチェックしていく。
こうしたマネージャーのような役割も、健二はこれまでに何度も経験してきた。
「……ん?」
チェック作業を進める中、健二は思わず手を止めた。生徒や教師だけがアクセスできる、いわゆるイントラネットの掲示板が目に入る。
スレッド一覧に、気になるタイトルを見つけたのだ。
『【真実】高嶺輝夜って、ホントに完璧?』
掲示板の生徒会関連カテゴリー。
更新されたばかりのそのスレッドが不自然に伸びていた。
記事を開くと、本文はごく短め。
しかし、書かれている内容は陰湿だった。
『あの女、何?
生徒会での評価も人気も、ちょっとやりすぎ。
友達の話じゃ、あの子が来ると空気が変わって嫌なんだって。
そんな子がチヤホヤされるって絶対に何かあるじゃん。
家柄がすごいらしいけど、そういうのって関係あるのかな』
健二は画面をスクロールする。
授業中にもかかわらず、返信が一気に増えていた。
『わかる。なんか近寄りがたいよね』
『あのテンション、ほんとに素なの?って思っちゃう。知り合いの子もそう言ってた』
『パ○活的なアレで推薦取ったって聞いた』
『うわキモ』
『普通ないもんね、あの時期の転校って』
『華やかさって罪を地で行く女』
『ヒガミ乙 輝夜ちゃんかわいそーw』
『僻ませる方が悪い』
『プレイベで恥かかせてやろうよ』
『ヤバ。おもろそう』
(……何だこれは)
健二が目にしたのは、輝夜に対する誹謗中傷の記事だった。
匿名の立場を利用した生徒たちが、輝夜を話題にして残酷に盛り上がっている。
『あの女 いらなくない? どっかいってくれないかな』
この一文に、健二は静かに怒りを見せた。拳を握りしめたのである。
(たかちゃんが、どんな気持ちでこの学校にやってきたと思っている)
そのまま、握りしめた拳を振り上げたとき――。
「にゃあお!」
「……ネコマタ」
いつの間にか隣に来ていたネコマタの声で、健二は我に返った。
何度か深呼吸をして、気持ちを落ち着ける。喜びの感情はほとんど感じられないのに、怒りの感情だけは人並みにある。
自嘲している時間が惜しい。
健二はすぐにログを保存した。その上で、管理者権限を使って記事を削除する。健二のスキルを評価した楓華が与えた権限だった。
中傷記事には、プレイベントで輝夜に恥をかかせようというコメントもあった。どこまで本気かわからない。
だが、看過はできない。
誰が中傷記事を書き込んだのか突き止めるため、パソコンの操作を続ける健二。
凄まじい速度でタイピングをしながら、健二は考えていた。
輝夜には、ひとりの自由な生徒として、天翔祭を満喫して欲しい。
それが叶えば、彼女はこれまで以上に明るく笑えるようになるだろう。
その笑顔を見れば、自分もさらに感情を取り戻せるはずだ。きっとそうに違いない。
健二は、これまでに身につけたスキルをフル活用して作業を続けた。
だが結局、犯人を特定することはできなかった。
――放課後。
健二は校門の片隅で、下校する生徒たちを見守っていた。
やがて、生徒たちの視線を集めながら輝夜がやってくる。相変わらず凜とした立ち姿だった。
周囲の生徒たちは、男女や学年問わず、皆、羨望や憧れの目で輝夜を見ている。
少なくともここから見る限り、妬みや嫉み、嘲りの視線を向ける生徒はいなかった。
輝夜の表情もいつも通りだ。
「……ふぅ(どうやら、中傷記事は広がらずに済んだみたいだ)」
健二は呟く。
校門を出た輝夜は、すぐ近くに停められた黒塗り高級車に歩いていく。高嶺家の令嬢である彼女には、送迎用の車があるのだ。
ふと。
車に乗り込む瞬間、輝夜はスマホの画面に目を落とした。何か気になることでもあったのかと健二は思ったが、すぐに彼女はスマホをしまった。
そのまま、何事もなかったように車に乗り込む。
輝夜が送迎車に乗って学校を出たことを確認した健二は、用務員室に戻る。そこでいくつかの残務処理を済ませ、彼も帰宅する。
用務員室の脇に停めていた自転車にまたがると、かしゃんと自転車が揺れる。
振り返ると、後ろの荷台にネコマタが乗っかっていた。さあ帰ろうと言わんばかりに、彼女は尻尾を振る。
健二はゆっくりと自転車をこぎ始めた。
自転車をしばらく走らせた先に、健二の自宅がある。
築ウン十年の、古ぼけたアパートだ。ここで健二はひとり暮らしをしている。
壊れて閉まらない門扉を抜けると、荷台からネコマタがぴょんと門柱に飛び移った。にゃあ、と一声鳴いて、門柱の上で座り込むネコマタ。
「……ん(すぐ準備してくるから、待ってて)」
健二の意図を正確に理解しているのか、ネコマタは再び「にゃあ」と鳴いて応える。
彼女が座る門柱には、ひどく焼け焦げた跡が残っている。昔、この辺り一帯が大規模火災に見舞われたときの名残だった。
アパートは奇跡的に火災を免れた建物である。
その後、健二は自室に入り、着替えと準備を済ませて戻ってきた。手には清掃道具を持っている。
「……ん(さあ、行こうか)」
「なおん」
ネコマタと一緒に歩き出す健二。
これから、大事な『日課』を行うのだ。