69話 縁のある場所
――夕方。
「結局、この時間までかかっちゃったね」
「けれど、年に一度のお祭りだもの。準備から楽しむのはいいことよ。ちょっとクラスを覗いたけど、輝夜ちゃん、楽しそうだったじゃない」
「はい、すごく楽しかったです。子どもじゃないけど、今夜は楽しみすぎて眠れないかも」
楓華から早めの帰宅を促されていた健二たちだったが、結局、その後も学校に残っていた。
輝夜と千影はクラスの準備を手伝い、健二は資材や機具のトラブル対応を担当していたのだ。
作業に一区切りついた頃には、すでにいつもの下校時間になっていた。健二のリュックの中では、ネコマタが丸くなって眠っている。祭りの喧噪に疲れたようだ。
いつものように、運転手の安藤が送迎車の前で待っていた。スマホでどこかと連絡を取っていた彼は、健二たちの姿を見て会釈する。
「お疲れ様です、お嬢様。天翔祭のご準備はいかがでしたか」
「初めてのことばかりで、とても楽しかったです。本当に看板から手作りなんですね。杵築さん――友人に『塗りが遅い!』って怒られちゃいました」
「そうでしたか。ところでお嬢様。先ほど澄玲様よりご連絡がありました」
「お母様から?」
「はい。健二様たちとご一緒なら、高嶺家に招待したいとのことです。夕食をともにしながら語り合いたいとおっしゃっています。健二様に日課があるなら、その後でも構わないそうです」
いかがでしょうか、と安藤が健二を見る。その視線にわだかまりは一切ない。
(澄玲さんにも、きっと他意はない。純粋な厚意だ)
健二はそう考えたが、すぐに返事ができずにいた。
そのささいなためらいを、輝夜は見逃さなかった。
「やっくん? どうしたの。何か心配事?」
「いや、大丈夫」
「嘘。さっきのやっくん、少し表情が昔に戻ってたもの」
輝夜に指摘され、健二は自分の頬を撫でた。確かに、少し強ばっていると感じた。
「午後の時間、教職員の先生たちと話をしたんだ。今まで姿を見せなかったことをお詫びしたら、皆さん受け入れてくれた」
「よかったじゃない」
「そう。よかったんだ。『学校で今一番モテてるのは君だな』なんて冗談まで言ってくれて」
「冗談ではないと思う」
「むしろ冗談にはして欲しくないというか」
ふたりの少女から即座に指摘が入り、健二は肩をすくめた。
「みんなに受け入れられて、期待されているのがわかった。でも……それが今まで感じたことのないプレッシャーにもなっていたんだ。俺はただ、恩返しを続けたいだけなのに」
「そっか。いきなり周りの環境が変わって、戸惑ったんだね」
「私たちも煽ったところもあるわね。ごめんなさい、クロバラくん」
輝夜と千影が、それぞれ健二の手を握って言った。健二は首を振った。
「やっくん。私も千影さんも、やっくんはこれからたくさんの人に認められていくべきだと思ってる。けど、それはやっくんに苦しんでもらいたいわけじゃないよ」
「ええ。あなたには、自分の可能性をもっと信じてもらいたいの。そのためなら私たちは何でもするし、過剰なプレッシャーからあなたを守ってみせるわ。身を挺してでもね」
「ふたりとも……」
小さく微笑みを浮かべる輝夜と千影。
「ありがとう」と告げてから、健二は空を見上げた。澄んだ空が茜色に染まっている。
あのとき――雹の降る日に見た神様は、今も自分を見守ってくれているのだろうか。今の自分を見て、神様はどう思うだろう。歓迎してくれているだろうか、それとも「恩返しを忘れるな」と苦い顔をしているだろうか。
ふと、リュックの口からネコマタが顔を出し、「なー、なーお」と鳴いた。まるで、「そんなことに悩む必要はない」と言いたげであった。
「とにかく! やっくん、今日は疲れてるでしょ。日課のお掃除、私もお手伝いするよ」
「そうね。早めに終わらせて、夕食のご相伴にあずかりましょう。クロバラくんと一緒にテーブルを囲むの、ずっと楽しみにしていたんだから」
腕を引っ張られ、健二は後部座席に乗り込んだ。
(たかちゃんたちにも夕陽ノ万津神社を見てもらいたいな。俺が恩返しを誓った、大切な場所を)
スムーズに発進した車は、やがて健二の自宅アパート前にたどり着く。いつものように掃除道具を自宅から持ちだし、輝夜と千影を連れて草木の茂る小道へ入った。
やがて現れた池を前に、輝夜が感嘆する。
「うわぁ。こんなところに、こんな場所があったんだ。神秘的」
「ねえクロバラくん。もしかして、あの小舟を使うの? 途中で沈んだりしない?」
不安げな千影を励まして、健二は小舟に乗り込んだ。見た目に反し強固な作りの舟は、水漏れも転覆もなく、無事に神社のある島にたどり着いた。
「ここが、夕陽ノ万津神社だよ。俺にとって、とても縁のある場所だ」
池の中にある島だ。それほど大きくはない。
だから、神社の姿に輝夜たちはすぐに気がついた。
柱が朽ち、前のめりに崩れ落ちた無残な社を目にして、輝夜と千影は息を呑む。
掃除の前に、崩れた社の前で手を合わせる健二。
「5年前、高嶺家を出てから、俺はこの神社の前で『誰の迷惑にもならないように、人知れず恩返しを続けていきます』と誓ったんだ。そうしたら、不思議なことに、人に見つからない特異な体質に目覚めたんだ」
「そんな御利益が」
「だからクロバラくんにとって、特別な場所なんだね」
「そう。でもそれだけじゃない。この神社は、もともと俺たち家族と縁が深いんだ」
一緒に手を合わせていた輝夜と千影が、怪訝そうに顔を上げる。
「家族?」
健二は目を細めた。
「俺の妹が、ここで生まれたんだよ」




