67話 謝罪とともに
それから健二たちは、プレハブ小屋のそばにあるベンチに3人並んで腰掛けた。ベンチは少し狭かったため、お弁当を置くために用務員室から折りたたみテーブルを持ってきた。
キンモクセイの香りに、健二は目を細めた。花の香りに心が動かされるなんて、久しぶりのことだった。
失われた喜びの感情は、間違いなく蘇ってきている。
「はい、やっくん。あーん」
「クロバラくん、こっちも。あーん」
そんな健二の感傷を吹き飛ばすように、左右から箸が差し出される。
輝夜は卵焼き、千影は一口大のロールキャベツである。
「この卵焼きは、お手伝いの佐々木さんから教わったんだよ。勇気を出してお願いしたら、佐々木さん、泣きながら教えてくれたんだ」
「クロバラくんは、私が料理できないって思ってるかもだけど、こう見えて役作りで特訓したことあるんだよ。ロールキャベツは特訓で初めて覚えた料理。だからぜひクロバラくんに食べてもらいたくて」
そんなエピソードを聞いてしまった健二には、もう断るという選択肢はなかった。ふたりの努力を無駄にしたくないと考える彼は、とても真面目だった。
まず輝夜の卵焼きを口にし、きちんと食べきってから、千影のロールキャベツへ。両方をいっぺんに食べて味がごちゃ混ぜになるようなことは、無粋だと考えたのだ。
「おいしい」
穏やかな表情で健二は言った。無表情なことが多い彼が見せた横顔に、輝夜も千影もぞくりとした。
良い意味で羞恥心のない健二は、「あーん」と差し出されても照れることなく食べてくれる。その素直な反応が、ふたりの少女には嬉しかった。おかげで、彼女たちは健二に存分に尽くすことができた。
「……世界一可愛い小動物に餌付けしてるみたい」
「……ちょっと癖になるわね、これ」
食事中とは思えないほど輝夜と千影が興奮している様子に、健二は首を傾げた。
――餌付けに満足した輝夜たちが、自分たちも弁当を食べ始めたときである。
健二は、少し離れた木の陰からこちらを見ている人物に気付いた。
「九鬼怜奈さん?」
ぴく、と輝夜の箸が止まる。
気付かれたと思った怜奈は踵を返すが、健二は呼び止めた。
怜奈は立ち止まったまま、その場で逡巡している。
健二は立ち上がり、彼女の元まで近づいた。パッと顔を背ける怜奈を静かに見つめる。
「何か、言いたいことがあって来たんだよね?」
「……それは」
「今の君なら、きちんと言えるんじゃないかな。たかちゃんに」
怜奈を促すと、彼女は小さく頷いた。健二とともにベンチにやってくる。
輝夜は弁当箱を置き、背筋を伸ばして待ち構えた。緊張した表情だった。
怜奈は隣の健二をちらりと見た。彼と目が合うと、すぐに視線を逸らす。恥ずかしそうに唇を結んでいる怜奈を見て、輝夜と千影が揃って眉を上げた。
大きく深呼吸した怜奈が「本当に、ごめんなさい」と輝夜に向かって頭を下げた。頭頂部が見えるほど、深い謝罪だった。
「高嶺、輝夜さん。私はあなたに、とてもひどいことをした。すべては私の心が弱かったせい。あなたは何も悪くない。許して欲しいとは言わないけれど、せめて謝らせて。本当にごめんなさい」
これまでのイメージとはまったく違うしおらしさに、輝夜は目を丸くした。
「九鬼怜奈さんも、実は剣崎マネージャーの被害者のひとりなんだ。たかちゃん」
「え?」
「剣崎マネージャーの悪事の裏を取る中でわかった。自分の母親に認めてもらいたい一心だったのに、その母親から裏切られたんだ。剣崎への人身御供にされてね」
頭を下げたまま、怜奈が肩を震わせた。
千影が、長い足を組み直した。
「自分が辛い目にあったからと言って、他人を引きずり下ろす理由にはならないわよ」
「わかって、います。言い訳は、しません」
絞り出すように怜奈は答える。
健二は千影に黙礼した。おそらく千影は、当事者の輝夜が言いにくい言葉をあえてぶつけたのだ。輝夜への気遣いだろうと健二は思った。
実際、千影は肩をすくめると輝夜の肩に軽く手を置いた。輝夜もまた大きく深呼吸すると、強ばらせていた表情を緩めた。
「謝罪、受け入れました。同じ生徒会役員同士、これからは協力していきましょう」
「高嶺、さん。ありがとう……!」
「さしあたり、目の前の天翔祭ですね」
「そ、そうね。頑張るわ。今までの分も」
顔を上げた怜奈は、心底ホッとしたような顔になった。
それから、おずおずといった様子で健二を見上げる。
「あ、あの……あなたにも」
「俺への謝罪は、必要ないよ」
突き放されたと感じた怜奈が衝撃を受ける。以前、健二に叩かれた手を彼女は無意識に撫でた。
「最初は、余計なお世話かもしれないと思ったんだ」
「え……?」
「でも、今日の君を見てホッとした。君に手を差し伸べてよかったと思う。だから、ありがとう」
そう言って、健二は少しだけ笑った。
「……ッ!!」
途端に真っ赤になった怜奈は、そのまま何も言わずに走り去ってしまった。
怜奈の後ろ姿を見つめながら、健二は納得したように小さく頷く。
「今までのことがあって、居たたまれなくなったんだろう。もう彼女に、俺の力は必要なさそうだ」
「ふぅーん……へぇーえ」
「たかちゃん? どうした」
「クロバラくん、ずいぶん芸達者なのね。人の心を盗むなんて」
「俺は何も盗んでないぞ」
「わかってないね、やっくん」
「わかってないわよ、クロバラくん」
「んん……?」
きょとんとする健二に、美少女ふたりは大きくため息をついた。
「これからは、こういう事態も想定しないといけないんですね、千影さん……」
「そうね、輝夜ちゃん。彼の活躍を後押しするなら、避けられない副産物だわ」
「ふたりとも、何を言って――」
健二の口の中へ、ふたり揃ってお弁当のおかずを突っ込む輝夜と千影。
「私たちがいるからね」
念を押してくる恩人たちに、健二はただ頷くだけであった。




