65話 きっとすぐ有名に
天翔学園に到着した。健二はリュックに入り込んでいたネコマタに声をかける。
「ネコマタ。人が多いから、先に用務員室に行って」
「な」
「そんなわかりやすく拒否しなくても」
健二はわずかに眉を下げた。ぷいと顔を背けたネコマタは、リュックから飛び出して健二の足元で待機した。
健二の意志を無視したのはネコマタだけではない。
「千影さん」
「ええ、輝夜ちゃん」
車から降りた輝夜と千影は、何やら真剣な表情で頷き合った。
そして、同じく車から降りた健二の両側に立つ。健二が困惑するのも構わず、ふたりはしっかりと両脇を固め、胸を張った。
まるで「私たちはこの人と親しい仲です」と生徒たちにアピールするようである。「そこまでしなくていいよ」という健二の主張は笑顔で却下された。
「やっくんはきっとすぐに有名になる。変な人たちが近づいてこないよう、私たちが守らないと」
「そういうことよ、クロバラくん。舞台でもよく言うでしょ。最初が肝心って」
「うーん……」
このときの健二は、正直半信半疑だった。
たとえステルス能力がなくなっても、自分はあまり目立つタイプではないと思っている。そのため、健二には輝夜たちの心配や意気込みが実感できなかった。
しかし、数分後には輝夜と千影の言葉が正しかったことを痛感した。
学園でも有名な美少女二人を両脇に、さらに足元には可愛い三毛猫を連れていた健二は、たちまち周囲の注目を集めた。
「高嶺さんと紫月先輩が一緒に登校なんて珍しい……って、間にいる男は誰だ!?」
「やだ。めっちゃカッコよくない? どこのクラスの人? それとも転入生?」
「な、何かオーラがすげぇ。わかった! 紫月さんが連れてきた芸能人だろ。きっとそうだ」
天翔祭に向けて準備が進む校庭を歩いていると、次々と生徒たちが振り返る。祭りに浮つく空気が、さらにざわめいた。
皆の視線が輝夜や千影ではなく自分に向けられていると気づき、健二は居心地の悪さを感じた。どう振る舞えばよいかわからず、ただ前を向いて歩く。その姿が生徒たちには「凜々しく」映ったようだった。
助けを求めてこっそり左右の少女に目を向けるが、輝夜も千影もまったく気にしていない様子だった。むしろ誇らしげに口元が緩んでいる。
校舎の玄関前で、ようやく輝夜と千影が離れた。
「それじゃ、やっくん。また後でね」
「今日はほとんど天翔祭の準備日だから、時間が空き次第様子を見に行くわ」
笑顔で手を振って校舎の中に入っていくふたり。彼女らを見送り、健二はため息をひとつ。
「にゃお」
「なんだい、ネコマタ――」
鳴き声に振り返ると、目を輝かせた生徒たちがずらりと並んでいた。
ひとりの女生徒がおずおずと声をかけてくる。
「あの。お名前は」
「……。用務員の佐藤です。仕事があるので、これで失礼」
「ネコちゃん連れてお仕事って……?」
そう聞かれると答えづらい。
こそこそすることは、かえって輝夜たちの評価を下げるだけだと考えた健二は、堂々と胸を張って用務員室に向かった。もともとステルス能力があった頃から、そうやって行動していたのだ。
今は天翔祭直前。用務員としてやるべきことは山のようにある。
気持ちを切り替え、健二は仕事に取りかかった。
校内の清掃といった通常業務に加えて、天翔祭用の物品管理、機材のトラブル対応や使い方のアドバイス、さらには資材運搬業者とのやりとりなど、内容は多岐にわたった。
黙々と仕事をこなす健二を、生徒たちは人垣を作って見つめている。
「あんなイケメンがウチの学校に!?」
「私、さっき助けてもらった。超スマート!」
「あの機材って直るもんなの? すげ。プロだな」
「やだ。やっぱめっちゃカッコいい……!」
「あんた、こんなとこで寄り道してていいの? クラスの連中、激怒してたけど」
(無心、無心。俺にできるのは、皆が天翔祭を楽しめるように陰ながら支えること)
内心でブツブツとつぶやきながら、今までどおりてきぱきと作業をしていく。
(今は、物珍しさと祭りの興奮で浮き足立ってるだけ。きっとすぐ飽きるさ)
だが、健二の目論見通りにはいかなかった。
健二が仕事に集中すればするほど、注目度は下がるどころか上がる一方だったのだ。
輝夜と千影の行動も影響した。彼女らは休み時間ごとに代わる代わる健二の元を訪れて、飲み物を差し入れたり、甲斐甲斐しくタオルで汗を拭いたり、廊下の窓から手を振ってエールを送ったりしていた。
しかも、当の輝夜たちは「それが当然」という顔で世話を焼くので、余計に目立った。
「ふーっ……」
用務員室のデスクで、珍しく精神的疲労から深いため息をつく健二。
「まさか、たかちゃんの言うとおりになるなんてなあ。俺みたいな日陰者を見ても、面白くないだろうに」
「なお。にゃんにゃん」
「なんだいネコマタ。お前まで『それは違う』って言うつもりかい」
膝の上に乗ったネコマタの背を撫でる。
これはしばらく大人しくしたほうがいいかなと、健二は思った。
用務員室にこもっていても、できる仕事はある。
PCを操作しながら、ネコマタにおやつをあげた。しかし、彼女はもそりと一口食べただけで、また丸まってしまう。
(やっぱり、あの雹の日から少し元気がないよな)
健二の脳裏には、崩れてしまった神社が浮かんだ。霊感はないものの、霊的な存在を信じている彼は、神社の崩壊とネコマタの体調不良との間に何か関係があるのではないかと考えていた。
それだけじゃない。5年間続いたステルス体質についても、夕陽ノ万津神社の力があってこそではないのか。
健二がここまでやってこられたのは、あの神社が心の拠り所になってくれたから。恩も思い入れもある場所が、あのような無残な姿のまま放置されるのは、どうにも我慢できなかった。
健二はいったん作業画面を閉じると、ネット検索を始めた。
健二が調べたのは、「古い神社の再建費用」だった。
しばらく画面の情報を追っていた健二は、天を仰いだ。
「最低でも500万……。夕陽ノ万津神社が特殊な立地で在ることも考えると、1000万以上かかるかもしれない」
とても自費では賄えない額だ。
さらに、再建にかかわる行政手続きのことも考えると、専門家を雇う費用も必要になってくるだろう。
しばらく腕を組んで考え込んでいた健二は、検索画面を閉じた。
「別の手段で稼ぐしかない。副業ができるかどうか、楓華さんに相談してみよう」
神社の再建は、あくまで自分の恩返し。誰かに頼るわけにはいかない。
健二はそう考えていた。
――この決意が、後の健二に大きな決断を迫ることになる。




