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60話 輝夜の母が伝えたいこと


 ふたりきりになった健二と澄玲は、向かい合ってテーブルに着いた。

 すると、給仕の従業員がさりげなくやってきて、料理を新しいものに変えていく。湯気の立つできたてのスープを見て、澄玲は苦笑した。


「すっかりお店に目を付けられたわね」

「ぶぶ漬けを出された、ということでしょうか?」

「逆よ。『私たちはあなたのことを大切に思っているので、これからも長く付き合っていきたい』という意味よ。もしかしたら、今後もこんなやり取りが増えるかもしれないから、慣れておいた方がいいわ」


 健二の表情は変わらなかった。彼は深く頭を下げる。


「澄玲さん。今回は僕の相談相手になってくれて、ありがとうございます」

「お礼を言うのはこちらの方。輝夜の――娘の問題を解決してくれたのだもの。母親として、これくらいの恩返しは当然だわ」


 優雅に料理を口に運ぶ澄玲を、健二はじっと見つめた。


 高嶺澄玲。輝夜の実母で、高嶺家の一族直系である。

 夫で婿養子の雅範(まさのり)が一族の伝統を重んじるタカ派な一方、澄玲は穏健派である。

 彼女だからこそ、健二も協力関係を作ることができた。


 ステルス能力のため、澄玲と直接会って話をしたのは今日が5年振りのことだった。ただ、以前から健二は、輝夜の件でよく連絡を取っていたのだ。

 輝夜が天翔学園に転校したのも、健二がいる学校を澄玲が推薦したことが大きな決め手だったという。


「あなたが高嶺家を出てから5年か。今は佐藤健二と名前を変えているのね。少し変な言い方かもしれないけど、私も気持ちの整理がつけやすかったわ。もし、あなたがまだ黒薔薇耶倶矢という名前のままだったら、私ももっと警戒していたと思う。警戒心と――罪悪感の両方で」

「僕は、今でも恨まれているものだと思っていました」

「ふふ。それなのに堂々と協力を申し出るなんて、いくら娘のためとはいえ剛毅なものよね。だからこそ、私も腹を決めたのだけれど」


 名家の娘として染みついた所作なのだろう。座る姿、箸を動かす仕草、口の中に入れて飲み込むまでの間、どれをとっても気品を感じさせる。


「昔は、あなたを恨んでいたわ。健二君」


 澄玲は語り出した。

 5年前、輝夜が家出したとき、本家は大騒ぎになった。その中には、輝夜が高嶺家としての資質に欠けるといった声も一部あった。これまで良好だった輝夜の立場が、家出をきっかけに悪くなったのだ。

 輝夜が肩身の狭い思いをするようになったのは、家出をそそのかした健二のせい――娘を愛するからこそ将来に不安を抱いた澄玲は、原因が健二にあると考えてしまった。ましてや、健二は黒薔薇家から追い出されて、高嶺家に善意で迎え入れてもらった身だった。それなのに恩を仇で返したように感じてしまうのも、仕方がなかった。


「けれど、今は違う。あなたのおかげで、輝夜は前よりもずっと明るくなった。そして強くなったわ。特に最近はそう。あの子から服装の相談をされるなんて、初めてだったわ」


 あのときは本当に嬉しかった、と澄玲は箸の手を止めて天井を仰いだ。健二は言った。


「ぜひ、そのことをたかちゃん――輝夜さんにも直接伝えてください。あの子はずっと家のしがらみに苦しんできましたから。きっと、今よりもっと楽になると思います」

「そうね。ふふ……それにしても、仮にも高嶺本家の妻に堂々と意見できるなんて、大したものだわ。あなたとの出会いはとてもポジティブなこと。だから改めて言わせてちょうだい」


 澄玲が居住まいを正し、おもむろに頭を下げた。


「5年前のあなたへの仕打ち、本当に申し訳なかった。そして、それにもかかわらず娘を支え続けてくれて、ありがとう。佐藤健二君」


 それが、今日伝えたかったことのひとつよ――と澄玲は言った。

 高嶺家の重鎮としての謝罪と感謝の言葉だと思った健二は、彼女の矜持を守るため、敢えて黙って受け入れた。


 静かな表情のままの健二を、澄玲が見つめる。不意に、悪戯っぽい笑みを彼女は浮かべた。


「こうして改めて見ると、やっぱりあなたはイケメンね。健二君。ウチの旦那よりも絵になるんじゃないかしら」

「え?」

「実は、あなたに伝えたいことはもうひとつあってね」


 たおやかな指先を自らの顎に当て、健二の目を少し見上げる。口元には笑みを、仕草には気品と艶を、そして細めた目には凡人を平伏させる圧をこめながら、澄玲は言った。


「健二君には、ぜひ輝夜の婿になってもらいたいのよね。どうかしら」


 いくら穏健派とはいえ、高嶺澄玲は本家を支える中心的存在だ。その実力と器の大きさからくる言葉には、従わざるを得ないほどの重みがある。

 けれど、健二は動じなかった。


「光栄です。けれど、僕にはまだ考えられません。輝夜さんに恩がある。その恩を返すため、これからも僕は彼女を支えていきます」

「それは、ほとんどプロポーズみたいなものじゃないかしら?」

「澄玲さんの手がける事業を継承するには、まだまだ僕の知識も経験も人脈も足りませんので」


 真剣な口調の健二に、澄玲は複雑な表情を浮かべた。口元は満足そうな笑みの弧を、眉は残念そうにハの字を描いた。


「私の目力は、お父様も太鼓判を押していたのだけど、一度も私から目をそらさず口ごもることもなく、しかも私の事業と絡めて答えるなんてね。ああ、ますます気に入ったわ」


 健二のためにお茶を注ぐ。


「5年前の自分を節穴だって叱ってやりたいわね。あなたがこれほどの男に成長するとわかっていたなら、何が何でも高嶺家に留め置いたのに」

「恐縮です」

「まあいいわ。婿入りの件、考えておいてね」

「……」

「あ、今ようやく困った顔をしたわね」


 今の悪戯っぽい澄玲さんの顔は、たかちゃんそっくりだ――と健二は思った。


「じゃあ最後にもうひとつ、伝えておくわね」

「まだ何か?」

「最近、私の耳に入ってきたことなんだけれど。あなたの実家である黒薔薇家が、ここのところ盛んに新たな人脈作りをしているみたいなの」


 茶を飲む手が止まった。

 黒薔薇家と聞いて、表情が硬くなるのが自分でもわかる。自分の中のトラウマがぬらりと鎌首をもたげるのを感じた。

 輝夜と千影の笑顔を思い出し、冷たい感情を押し殺す。

 澄玲の声が低くなった。


「詳細はわからない。けど、黒薔薇本家でこれまでにない動きが生まれたのは確かよ。健二君、もしかしたらあなたにも火の粉が降りかかってくるかも知れない。気をつけなさい」

「……ご忠告、ありがとうございます」

「困った時は、私を頼ってちょうだい。あなたがこれまでしてくれたこと、そして今ここで見せてくれた誠実な態度は、少なくとも私の心にしっかりと響いたわ」


 健二は黙礼した。

 パッと表情を明るくした澄玲は、「それじゃ、食事を楽しみましょ。輝夜には内緒でね」と言った。

 肉シューマイの旨味に舌鼓を打ちながら、健二は思った。


(剣崎氏の悪事を明らかにしたおかげで、千影さんには少し余裕が生まれた。今の自分にできるのは、ここまでだ)


 あとは、千影たちが凪砂を立ち直らせてくれることを信じよう。

 きっと、彼女たちの思いは届く。ずっと輝夜と千影を見てきた健二の、確信だった。



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