58話 暴露と制裁の瞬間
「な、なんだ!? なんだ!?」
立ち上がって狼狽える剣崎の隣で、怜奈はゆっくりと顔を上げた。
パーティションを押しのけて、こちらのスペースに入ってきた数人の男女を見る。
直後、剣崎が「げぇっ!?」と汚い叫びを上げた。
「しゃ、社長!? どうしてここに!?」
「我々もここで大事な会合をしていたのだよ。剣崎君」
スーツ姿の壮年男性が答えた。剣崎が勤める芸能事務所クロノス・エージェンシーの社長だった。
剣崎が顔中に冷や汗を浮かべて呻く。
「そんなバカな。なんでこんな最悪なタイミングで社長と出くわすんだ。しかも、隣のスペースとか」
「会員制だからと油断したな。そんなことで事務所の子を守れるのかね。マネージャーの君が」
「うっ……」
後ずさる剣崎。いつもの人を小馬鹿にした態度はすっかり鳴りを潜めている。
剣崎の商談相手も、今の状況が不利だと感じているようだった。怜奈には意味のわからない言葉で悪態をつきながら、この場所から逃げ出すタイミングを探していた。
そのとき、サングラス姿の男がさりげなく入口を塞いだ。仕立ての良さそうな黒いスーツが長身に似合っている。おそらく、芸能事務所の社長が雇った警備要員なのだろう。
突然のことで、怜奈の頭は上手く回らない。
呆然とする彼女の前で、黒スーツの男がゆっくりとサングラスを外した。
「え?」
怜奈は無意識に呟いた。
黒スーツの男は、思ったよりもずっと若い青年だった。年齢は怜奈と大きく違わなそうだ。ただ、彼がまとっている雰囲気は、とても強い人のものだった。
剣崎も商談相手も、青年の視線に射すくめられて動きを止めていた。驚いたことに、青年は自分よりもずっと年上の男たちを鋭いまなざしだけで圧倒していたのだ。
(この感じ、どこかで覚えが。そうだ、あのときの……)
青年の身体から溢れる怒気で、怜奈は鳥肌が立った。彼から目が離せない。
青年と目が合った。
「……!!」
怜奈は背筋に電気が流れたような衝撃を受けた。
同じだった。生徒会室で、自分の卑怯な嫌がらせを暴露されたときに感じた、強烈な気配。
「あの、あなたの名前は」
気がつけば、青年に問いかけていた。すぐに、自分はなんて愚かなことを聞いてしまったのだろうと後悔した。以前、ひどい仕打ちをして怒らせた相手なのに、自分に名前なんて教えてくれるはずがない、と怜奈は思った。
青年はちらりと怜奈を見て、「健二。佐藤健二」と名乗った。名前を聞けたことをこんなに嬉しいと感じるのは初めてだった。
口の中で健二の名前を繰り返した怜奈を、剣崎が押しのける。
「これはどういうことですかね? オレを犯罪者扱いですか!? 入口を塞いでさ!」
黒スーツの青年――健二に詰め寄りながら、剣崎が喚いた。
「だいたい、おかしくないっすか。オレはただ友人に女の子を紹介していただけっすよ。それなのに立ち聞きして、話ぶった切るように邪魔してきて。ウチの事務所はプライベートって存在しないんですかね? ええ?」
社長に強い語気で不満を言う。まるで良く吠える犬だ。
大声を出していれば、体裁を気にした相手が引き下がると剣崎は考えたようだ。怜奈は「最悪」と呟いた。
「社長! さすがに不愉快なんで、今日はもう帰らせてもらっていいですか!? せっかく楽しい食事になるはずだったのに、これじゃ台無しだ!」
なおも顔を真っ赤にしてまくしたてる剣崎を前に、健二が動いた。途端、剣崎がびくりと肩を震わせる。虚勢を張っているのが見え見えだった。
健二は椅子に置かれていたビジネスバッグを手に取ると、そこから分厚い書類を取り出した。そして、剣崎たちのテーブルに歩み寄ると、書類の束をテーブルの上に叩き付けた。
「……あなたたちは帰さない。これがその理由です」
あ、良い声だな――と怜奈は思った。
一方の剣崎は、書類を見て一瞬、怪訝そうにした。直後、一番上にあった書類にかじりつく。
「な! ど、どうしてこれが……!?」
「見覚えがあるんですね」
「し、知らない」
「そうですか。あなたはどうです?」
健二は商談相手に語りかけた。外国語だったので、怜奈には内容がわからない。しかし、顔面蒼白になる商談相手を見て、健二が決定的な証拠を突きつけているのだとわかった。
剣崎の狼狽え振りが、怜奈の確信を深くする。
「でたらめを言うな、部外者が!」
「部外者じゃないです。俺は、ここにいる社長さんたちの同意のもとにここにいます。剣崎狼牙さん、あなたの不正を暴くために」
静かだが、有無を言わさない口調だった。
「あなたはマネージャーの立場を悪用し、女優の紫月千影さんを『商品』として売り渡そうとしましたね。クロノス・エージェンシーの業務とは関係のない企業に」
「知らん」
「目的は、スポンサー契約の名を借りた不正な資金の移動。マネーロンダリングの隠蔽です」
「知らん!」
「そのために、あなたは千影さんや――ここにいる九鬼怜奈さんの弱味につけ込んで、彼女たちを生け贄にしようとした」
「知らんといったら知らん。何なんだお前は!」
喚く剣崎の隣で、怜奈は自分の名前が出たことに目を丸くしていた。そして、不覚にも泣きそうになった。
こんな惨めで、生きる気力を失った女を、見つけてもらえた気がしたから。
健二は、剣崎の剣幕に怯まない。剣崎の腕を掴むと、彼に見せつけるように資料を示す。
「これが、あなたが作成した契約書です。こちらは取引相手の企業情報で、いわゆるペーパーカンパニーでした。そしてこれが、直近3年間における、あなたが関与した収益の出ていない循環取引の記録です。剣崎さん、あなたはその男性と共謀して、広告事業を装った典型的なマネーロンダリングを行っていましたね」
「い、痛ぇ」
「最初はこっそりやっていたようですが、最近は味をしめたみたいですね。千影さんの出演料が事務所規定の金額を上回っている。差額は手数料として、あなたのポケットですか? ちなみに、すでに証拠はすべて保全済みです。言い逃れはできませんよ」
「は、離せっ。離せよ! くそ、何だこの力。ぜんぜんほどけない!」
「鍛えてますので。ジムの会員証を持ってるだけのあなたとは違う」
「なんでそんなことまで知って……痛っ」
怜奈は、健二の手のひらに血管が浮かぶのを見た。凄まじい力で剣崎の腕に指を食い込ませている。
剣崎の額に、脂汗が加わった。
健二が声を落とした。
「……犯罪者が、よくも千影さんたちに暴言を吐けたな」
「ぼ、暴言……? あぐっ!?」
「俺は怒っている」
剣崎が息を呑んだ。
次の瞬間、彼は顔に青筋を浮かべて怒鳴った。
「ふざけんじゃねえ! オレがどれだけ苦労して今のルートを開拓したと思ってる! おい、ガキ。この世界はな、綺麗事じゃ回らないんだよ!」
それは開き直った人間の台詞だった。
「のし上がることの何が悪い! 金を稼ぐことの何が悪い! 効率的なやり方があるのに、それに気付かない方が間抜けなんだ。芸能界には、女なんて掃いて捨てるほどいる。それを欲しいって顧客がいる。女はみんな道具だ! うまく転がせた奴が本当に賢い人間なんだよ!」
人として最悪の暴言。
怜奈は怒りよりも、喪失感を抱いた。無関心な母の横顔が脳裏をよぎる。
「……私は結局、誰かの道具にしかなれないんだ」
そんな呟きが零れた。
「違う」
健二が言った。
怜奈が顔を上げると、健二がこちらを見ていた。「よく見ていろ」と言わんばかりに、彼は頷く。
「剣崎さん」
「ああっ!?」
「歯を食いしばれ」
直後、健二は剣崎の頬を思いっきり平手打ちした。




