53話 その瞬間
「ガーベラの花畑……綺麗」
「凪砂さんが初めてCDを手売りした日も、このガーベラが咲いていたそうよ。それで、挫けそうな心を奮い立たせたって」
「12年前と同じ光景なんですね。確かに、花咲さんにとって原点と言えますね」
輝夜はしゃがみ込んで、ガーベラの可憐な花をじっと見つめた。
咲いているガーベラの色は、赤、白、そして黄色の3色だった。そのとき、輝夜は千影が「凪砂さんらしい」と言った理由に気付いた。
「確か、色によって花言葉が違うんでしたよね。赤のガーベラの花言葉がチャレンジや限りない挑戦、白が希望や律儀、黄色が優しさ、親しみやすさ。なるほど、花咲さんのイメージどおりですね」
「凪砂さんも、このガーベラの花言葉を知っていたのね。だからこそ、心に刺さったんだわ。このガーベラに負けないように、ずっと頑張ってきた」
千影が隣にしゃがむ。スマホで写真を撮りながら、彼女は呟いた。
「私、改めて凪砂さんを目標にしてきて良かった。あのひとは、本当に芯の強い人。きっと今は、少し疲れているだけ。支える手が必要なんだわ」
「はい。そう思います」
輝夜は応じた。
(花咲さんは、きっとやっくんにとっての千影さんみたいな人なんだろうな)
輝夜とやっくん。
千影とクロバラくん。
千影と凪砂。
そして、輝夜と千影。
それぞれの関係性が、まるで柔らかな糸でしなやかにつながっているように感じた。輝夜は、この不思議な繋がりこそ『運命』なのかもしれない、と思った。
しばらくの間、千影は一心不乱に写真を撮り続けた。邪魔しては悪いと輝夜は場所を空ける。
そして、辺りを見渡した。
(それにしても、やっぱり見覚えがあるのよね。いつのことだったかしら)
腕を組んで考え込む輝夜。
そのとき、ひとりの小さな女の子が砂利に足を取られて転ぶ姿が目に入った。きょうだいなのか、友達なのか、近くにいた男の子が女の子に手を差し伸べる。
――初めての家出で、何もかも新しくて、楽しい!
「ああっ!?」
「な、なに!? どうしたの輝夜ちゃん」
突然大声を上げた輝夜に、千影が驚いて振り返る。子どもたちも目を丸くして輝夜を見ていた。
輝夜は駆け出す。
元来た道を辿りながら、周囲の景色と記憶を照合していく。
「間違いない。やっくんと一緒に家出をしたときに来た、あの場所だ!」
何という偶然だろうか。
凪砂にとって思い出の場所が、まさか自分にとっても大切な思い出の場所だったとは。
5年間で成長して目線が変わった分、すぐには気づけなかったのだ。
どうりで周りの景色が気になったわけである。
千影が駆け足で追いついてきた。
「輝夜ちゃん、急にどうしたの?」
「この公園、どこかで見覚えがあると思っていたんです。今、思い出しました。5年前に、やっくんとふたりで来た場所です」
「じゃあ、家出っていうのは?」
「それはその……若気の至りといいますか。私にとって大事な一歩だったといいますか」
輝夜は、もごもごと小さく呟いた。
「……やっくんは私の気持ちを理解してくれました。家出したいなんてワガママを無視せず、手を差し伸べてくれたんです」
千影はくすりと笑った。
「ねえ。クロバラくんとはここでどんなことをしたの? 参考までに教えて」
「ど、どんなことって」
「あら。凪砂さんの思い出をこれだけ探っておいて、自分だけ内緒なのはズルいと思わない?」
「そ、それって千影さんもじゃないですか!」
赤くなって叫ぶ。
それから辺りを見渡した輝夜は、ぽつりぽつりと話し出した。
「5年前、雹の降る日でした。私に外の世界を見せるために、やっくんは実家から私をこっそりと連れ出してくれたんです。たどり着いたのが、この公園で」
「へえ。そんな前からクロバラくんとデートしてたんだ」
「デ、デートだなんて。えへへ……」
野外ステージの場所まで戻りながら、輝夜は言った。
「当時は家のこともあって、私は塞ぎがちな人間でした。やっくんはそんな私を励ますために、この場所で……」
「この場所で?」
「踊ったんです」
「え?」
「踊ったんです。ポーズを決めて、すごく真剣な顔で。あとから調べたら、それがニュージーランドの伝統的な踊り、『ハカ』だったみたいで」
「あのハカを? ここで? しかも雹が降っているなかで?」
「私、最初は何のことか分からなくて、きょとんとしてしまいました」
「それも無理ないわね」
「でも、やっくんは言ってくれたんです。『これは、頑張るぞ、負けないぞ、っていう踊りなんだ』って。自分の恥ずかしさより、私を元気づけることを一番に考えてのことだったから、その優しさが嬉しくて、自然と笑ってしまいました。……今思い出しても、おかしくて。だってやっくん、ずっと真顔で一生懸命だったんですよ」
「なるほど。そのころからクロバラくんはクロバラくんだったってことか」
千影はガーベラの花畑に目をやった。
「それじゃあ、ここは凪砂さんにとっても、輝夜ちゃんにとっても大事な場所だったんだ。まるで運命みたい」
「本当にそう思います。あとは、ここにやっくんがいてくれたら、もっと嬉しいのに」
「クロバラくんは今も凪砂さんや私たちのためにがんばっているんだから、贅沢は言えないわよ」
でも、そうね――と千影が目を細めた。
「クロバラくんなら、もしかしたら今も私たちを見守っているかもしれないわね」
「はい。きっと」
輝夜は千影の隣で、ガーベラを見つめる。
ふと、可憐な花弁がぶるりと震えた。上空から降ってきた雨粒に打たれたのだ。
直後、雨脚が急に強くなった。
「わわっ!? いきなり!?」
「いけない、手帳が濡れちゃう」
「こんなことなら、運転手さんの忠告を聞いて傘を持ってくるんでした」
輝夜と千影は雨から身を守るように背中を丸める。
車まで駆け出そうとしたとき、雨粒の感触がふっと消えた。足元に薄らと、傘の影が見える。
輝夜は安堵と申し訳なさを感じながら振り返った。
「安藤さん。傘、ありがとうございま――」
「……うん」
短い、とても短い返事。なのに耳に残る声。
それは高嶺家の運転手の声ではなかった。あの運転手ならもっと丁寧で、こんな風に抑揚の少ない声で話す人ではない。
ひとりの青年が、輝夜と千影が濡れないよう大きめの傘を差しだしていた。
すらりと鍛えられた身体。
ちょっとボサッとした髪。
そして、優しく輝夜たちを見つめる瞳。
「やっ……くん?」
輝夜の呼びかけに、ぴくりと傘が動く。
「……うん」
その青年は、プレイベントで輝夜が見たときと同じように、柔らかく頷いた。やっくん――佐藤健二だった。




