5話 健二のお仕事
『そろそろ戻りますので、これをどうぞ』
「あ、やった。いつもごめんなさいね」
健二は、持参していた弁当箱を応接テーブルに置いた。それまで大人の余裕を見せていた楓華の表情が、子どものようにほころぶ。
弁当は健二の手作りだ。
これは彼が学園に来て間もない頃、楓華が「栄養ゼリーだけじゃさすがに持たないわね」と呟いたことがきっかけだった。
学園長として忙しい楓華は、食生活が乱れがちだったのだ。
ちなみに、折を見て学園長室を清掃、整理整頓しているのも健二である。
家事スキルは、相手が忙しいほど役立つものだ。輝夜もどちらかというと片付けが苦手なので、健二はそのために家事の技術を磨いてきた。その成果を、今では十分に発揮している。
余談だが、彼の極まったスキルは天翔学園の七不思議に数えられている。いわく、『振り返れば綺麗になっている廊下』。
楓華は嬉しそうに弁当箱を受け取った。ちなみに、弁当箱は楓華の希望で、昔懐かしいキャラクターがデザインされた可愛らしいものである。
古くさくて入手に手間取ったのは内緒だった。
「今日のお弁当は何かしら?」
『鮭の塩焼きとひじきの煮物です。あと、昨日のリクエスト通りに卵焼きは甘めにしておきました』
「あ、嬉しい」
純和風なラインナップを聞いて手を合わせる楓華。彼女は弁当箱のデザインと中身が合っていなくても気にしない人だ。
健二は無表情のまま、スマホを操作し続けた。
『お米はゆめきらりで。もちもち食感と甘みが楓華さん好みかと思って。お好みで、あおさの佃煮もご一緒にどうぞ』
「あらまあ」
『ちなみに、鮭の小骨は取り除いてあります。ですから、ちゃんと食べてくださいね。魚も』
「ここまで来ると恩返しというよりやり手の執事ね」
楓華は少し呆れた様子で言う。健二は小首を傾げた。
「……む?(恩返しならここまでやって当然では?)」
「当然ではないわねえ」
さすがに5年近く付き合いがあると、楓華も健二の口癖に慣れてくる。何を言おうとしているか、何となく理解していた。
『このくらいじゃまだまだ恩返しとして足りません。楓華さんがいなければ、俺はこの学園にいられませんでしたから』
「まあ、傍から見ても本当に大変そうだったもの、日常生活」
『恩返しの前では、俺のQOLなど些末なことです』
「いい? 『生活の質』は些末ではないし、粗末していいものでもないの。一般常識的に言うとね」
「……ん(些末です)」
「独り身で体調を崩すと恩返しどころじゃないわよ?」
「……う(それは困ります。恩が増える)」
「本当に恩返しマニアなのね、君は」
『恩返しをして皆さんが笑顔になることが、俺にとって感情を取り戻すための大きな力になります。食事や睡眠と同じくらい大切なことなんです』
スマホ筆談と一言セリフを織り交ぜつつ、健二は無表情のまま「ふん」と鼻を鳴らす。楓華は額を押さえていた。
『頭痛薬ありますよ』
「おかまいなく」
楓華は顔を上げて、苦笑いを浮かべた。
「あなたのような貴重な人材は本当に大切よ。これからもよろしくね、健二君。あなたにまた笑顔が戻ることを願っているわ」
「……はい」
――健二は学園長室を出た。
始業のチャイムを前に、そそくさと教室に入っていく生徒たち。その流れに逆らい、健二は校舎の外へ出た。
学園の敷地内にあるプレハブ小屋へと向かう。
そこが彼の『職場』だ。
健二は楓華に直接雇用される形で、天翔学園の用務員として働いている。
学生服ではなく作業着を着ているのも、そのためだ。
年齢的には高校3年生だが、健二はこれまで高校生活を送ったことがない。彼の特異体質は、受験や面接に大きな障害となっていた。
その分、普通の高校生がまず経験しないような経歴を歩んでいる。
すべては恩返しのために。
プレハブ小屋は、一般的なものより床面積がだいぶ大きい。宿直もできるように水まわりや寝具も備えられている。
内部は健二らしくきちんと整理されていた。
ほうき、バケツ、各種洗剤。
ドライバーセット、電動ドリル、絶縁テープ。
各種ファイルがきっちり収められた棚、印刷機、ホワイトボード。
修繕途中のスピーカー、作りかけの小道具。
金ピカな竜の置物、明らかに怪しいお守り、五芒星型護符。
猫砂、ペットフードボウル、キャットツリー。
――まさに整理されたカオスだった。
健二は職場に入ると、真っ先に金ピカ竜の置物へ手を合わせた。
「……んむぅ(今日も恩返しがつつがなくできますように)」
それから、棚から専用ケースを取り出す。収められた怪しげなアクセサリーからひとつを選び、手首に巻く。
個人的に購入した、お気に入りグッズである。
まぎれもなく霊感商法の商品に、健二はすっかり引っかかってしまっている。
行き過ぎた験担ぎであった。
そこへ、ちりんちりんと首輪の音がした。
一匹の三毛猫が、少し開いた窓から小屋の中に入ってくる。健二は屈んで猫を迎えた。
「……ネコマタ」
ネコマタと名付けられた雌猫は、差し出された健二の指先にちょんと鼻頭を付けて挨拶してくれる。
ちなみに、尻尾は普通の猫と同じだ。名前がオカルト風なのは、健二の趣味によるものだ。
ネコマタは健二に懐いていた。もうずいぶん長い付き合いで、健二が行くところにはどこにでもついてくる。
ふと、ネコマタがキャットタワーに軽快なジャンプで飛び乗った。そして棚の上に乗り移ると、健二が拝んでいた金ピカ竜の置物に近づいた。
「しゃー! ふーっ!」
「……こら」
置物に威嚇し、猫パンチを何発もお見舞いするネコマタ。健二は彼女を棚から下ろした。
ネコマタは、なぜか健二が買ってくるオカルトグッズが気に入らないらしい。敵だと思っているふしさえある。
健二はネコマタを宥めた後、気を取り直して仕事に取りかかった。
スチールテーブルでパソコンを起動し、データ整理を始める。
このパソコンは、楓華が健二に対し、学内掲示板の管理を任せるために与えたものだった。
健二に任せられたのは、それだけではない。
整理対象のデータは、来月行われる『天翔祭』関連。各部活やクラスの出し物一覧や進行状況、さらにトラブルの有無など、最新情報がぎっしり記録されていた。
生徒だけでは対処しきれない問題をカバーする。それも健二の大事な仕事だ。もちろん人知れず、である。必要な権限は楓華から与えられていた。
データ整理を一区切りつけると、今度は故障していたスピーカーの修理に取りかかる。
健二はこの年齢にしては、工学系や情報系など、さまざまな実用的なスキルを高いレベルで身につけていた。
健二が恩返しをしたい相手は、輝夜を始めとして、皆能力や地位の高い逸材ばかり。
彼らに恩返しをするには、自分もそれに見合うスキルを身につけなければならない。
そんな風に考え、努力した成果であった。
こうして身につけた能力の高さを買われ、楓華から用務員としてスカウトされたのである。
特異体質で就学も就職も難しい健二にとって、本当にありがたい話であった。
天翔祭がつつがなく終わるようサポートする。
それが生徒会の負担を減らし、ひいては輝夜への恩返しにつながると、健二は意気込んでいた。
ふと思い立ち、健二はスマホを取り出す。
時計を見ると、ちょうど授業の合間の休み時間だ。
健二は輝夜にメッセージを送った。
:天翔祭、もうすぐだね
:こういう文化祭は初めてだろ?
:俺もサポートするから、楽しんでおいで
すると、すぐに既読がつき、メッセージが返ってきた。
:ありがと
:私
――そこで輝夜のメッセージが途切れた。