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46話 揺らぎ始めた力


 突然の出来事に、健二は身を固くした。


(彼には、俺の姿が見えているのか!?)


 まさかと思いつつ、助手席裏の陰に身を潜める。

 剣崎は運転席から半身を乗り出した。


 次の瞬間、ドンッと大きな衝撃が車内を襲った。


「ちくしょうが! 何なんだよ!」と剣崎が喚く声がする。

 座席の陰から前方の様子を伺うと、赤い軽乗用車のバックドアが凹んでいるのが見えた。

 どうやら剣崎がよそ見をしていたため、前の車に追突してしまったようだ。


 青筋を浮かべた剣崎は運転席から出ると、軽乗用車に歩み寄った。どうやら運転手に文句を言っているらしい。

 健二はその隙に、車内から脱出した。


 しばらく走って車から距離を取り、人気のない路地で壁に背を預けた。


 スマホを取り出して写真を確認し、書類の必要な部分がきちんと保存されているのを確かめて、ようやく大きく息を吐いた。


「……ふぅ(驚いた。ステルス能力が弱まったのか?)」


 以前から、怒りを抑えられずに気配を悟られることはあった。

 しかし今回は、健二が意識して身を隠していたにもかかわらず、よりはっきりと姿を視認されたように思う。輝夜のときとは違っていた。


(俺の体質が、変わり始めている……?)


 心当たりは――ある。


 思い返せば、健二は5年前と比べてずいぶん変わった。自分でも自覚できるほど、感情が戻ってきたのだ。

 輝夜や千影のおかげである。


(俺は最近、たかちゃんや千影さんに、感情が戻ってきた今の俺を見て欲しいと思うようになった。ふたりが考えてくれたハートリップのサインも、一緒にやりたいと考えるようになった)


 これまでの健二は、恩のある人たちを支え、恩返しをすることだけを意識してきた。

 けれど、最近は相手から支えられていることを強く自覚し、受け入れるようになっている。


 ステルス能力が弱まっているのは、健二自身の心の変化が影響しているのかもしれない。


(俺は……単なる黒子から、たかちゃんたちの隣に立つ対等なパートナーになりたい)


 その代償がステルス能力の消失であるならば、甘んじて受け入れよう。

 たかちゃんや千影さんのおかげで、たとえステルス能力を失っても、自分はひとりではないと気づけた。だから、もう失うことは怖くない。

 そう健二は考えた。


 以前、自己肯定感の低さから輝夜の前に姿を現すことを渋っていた健二の姿は、ここにはない。


「……むぅ(けど、剣崎マネージャーのことがある。今、ステルス能力が消えてしまえば、たかちゃんや千影さんを守れないかもしれない。せめて、この件が解決するまでは、この力が必要だ)」


 健二は腕を組んで唸る。


 そのとき、健二に駆け寄ってくる小さな影があった。血相を変えたネコマタである。


 健二が剣崎の車に乗り込んでしまったため、慌てて追いかけてきたのだろう。それにしても、よく見つけられたものだと健二は思った。


 相当焦っていたのか、ネコマタはぜーぜー息を吐いている。

 健二は彼女を優しく抱え上げると、近くの駐車場へ向かった。そこに設置してある自動販売機からミネラルウォーターを買い、手皿でネコマタに与える。

 彼女はペロペロと、健二の手から水を飲んでいた。尻尾がびたんびたんと上下に動いていて、ネコマタが怒っていることがわかった。


「……ごめん」


 健二は空いた手で、ネコマタの頭や首筋を撫でた。

 とりあえず、落ち着いたらネコマタを抱えて帰宅しようと思った。まだ日課の掃除もできていないのだ。

 夕陽ノ万津神社の神様も、今頃怒っているかもしれない。



◆◆◆



『まったく。肝が冷えたぞケンジめ。眷属を残していきなり車に乗り込むなど』

『まったくにゃ! まったくにゃ!』


 健二のそばで、夕津姫とネコマタは文句を言っていた。特にネコマタは、ここまで全力疾走してきたせいで、すっかりおかんむりである。


 夕津姫は健二の頬に手を差し伸べる。


『……どうやら、影絵の界はまだ機能しているようじゃ。しかし、だいぶ綻びが見えるの。これでよく見つからなかったものじゃ』

『ウチを置いていくからこうなるのにゃ! むにゃむにゃ』


 ネコマタはぶんぶん尻尾を振って、不満を露わにする。健二が手に注いだ水をむにゃむにゃ言いながら飲み続ける。


 夕津姫は腕を組んだ。


 影絵の界は、夕津姫の神力によって成り立っている。そのため、夕津姫から遠く離れてしまうと神力が弱まり、影絵の界の維持が難しくなる。

 これまでは、眷属であるネコマタが神力の中継点としての役割を果たしていた。ネコマタが健二のそばにいれば、彼女を通じて神力が供給されるのだ。


 今回のように、夕津姫やネコマタとの距離が一気に離れてしまうと、影絵の界の効力が急激に弱まってしまう。

 ましてや、夕津姫の神力は衰えつつある。


 影絵の界が消失しなかったのは、幸運であった。


『健二しゃんがここまで無茶をするとは思わなかったにゃ』


 水を飲み終えて落ち着いたネコマタがぼやく。

 彼女は、健二のズボンの裾に爪を立てた。


『もう勝手にどっか行くんじゃないにゃ』


 健二にはネコマタの声が聞こえない。

 けれど、訴えたいことは伝わったようで、健二は「ごめん」と言ってネコマタを抱き上げた。


『まあ許す。ゴロゴロ……』


 途端に機嫌を直したネコマタだったが、夕津姫がずっと黙ったままなことに首を傾げた。


『夕津姫様。どうしたにゃ』

『……神力を少し抑えようと思う』

『うにゃ!?』

『どうやら、ケンジにはまだ影絵の界が必要のようじゃからの。肝心なときに崩壊しないよう、工夫するのじゃ。今のように雑踏の中でなら、多少、影絵の界が不安定でも問題あるまい』


 もっとも、焼け石に水かもしれない――と夕津姫は内心で呟いた。


『わしだってケンジのことをもって見ていたいからの。我が眷属よ。すまんが今以上に細かな見守りを頼む』

『しょーがないにゃ』

『うむ、頼んだぞ……って、おい』

『むにゃにゃ』

『こら、寝るな。ケンジの腕の中で安らかに眠るなどという、羨まけしからん贅沢は許さんぞ!』

『うっさいなぁ。家に着いたら起こしてにゃ』

『おーい!』


 夕津姫の叫びを無視して、ネコマタは気持ちよさそうに眠る。その様子を穏やかな表情で見守る健二に、夕津姫は悔しそうに袖を噛むのであった。



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