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46話 潜入


 ――輝夜と千影が、喫茶店の外で車を待っている頃。


 健二は、千影のマネージャーの剣崎を追っていた。

 千影のサポートを続けている健二は、剣崎のことも知っている。彼が引き起こしたトラブルを、千影のために陰ながら解決したことが何度もあった。


 千影は剣崎のことを嫌っていたが、健二もこの男のことが苦手だ。できれば、距離を取りたい相手である。


 けれど、健二は敢えて剣崎の後を追っていた。


 きっかけは、喫茶店を出た直後の彼の様子だ。


 苦手な甘い物を飲まされ、さらに大勢の前で派手に転んでズボンを濡らす――プライドの高い剣崎にとっては屈辱的な出来事だった。

 そんな出来事があったなら、剣崎は1日中不機嫌になるはずだ。


 ところが、喫茶店の窓から見た彼の顔は、スマホ片手にニヤニヤ笑いを浮かべていたのだ。


(何かがおかしい)


 健二は、剣崎の態度が気になった。

 そこで、彼を追いかけることにしたのだ。

 剣崎が何を企んでいるかを掴むために。


 健二にしては、珍しい行動だった。

 いつもの健二なら、剣崎は放っておいて輝夜たちを見守っている。

 だが、このときの健二は輝夜や千影のためにもっと働きたいと思った。

 健二の頭にあるのは、喫茶店での輝夜たちのやり取り――。


(たかちゃんや千影さんがあそこまで俺のことを考えてくれている。だったら、それに応えないと)


 剣崎の後を追いながら、健二はふと口元に手を当てた。


(……ハートリップ、か)


 ぎこちなく指でハートマークを作り、輝夜たちにならって口元に当ててみる。


(少し……恥ずかしいな。けどたかちゃんや千影さんと秘密を共有しているみたいで、何だか心が満たされる感じだ)


『このサインは私たちがあなたの味方であることの印。いつかあなたも、私たちに見せて欲しいな。このサインを』


 千影の言葉が脳裏に蘇る。


(俺も、たかちゃんたちに見せたい)


 彼女たちの存在をより身近に感じ、健二はそう願うようになっていた。


 ――健二は足を止める。


 黒塗りの高級車が堂々と路上駐車されている。

 時々、千影の送迎に使っている剣崎の車だ。タバコの臭いが染みついてて好きじゃないと、前に千影が言っていた。


 電子タバコ片手に歩いていた剣崎が、車の運転席に回る。彼はさっきからずっとスマホを見ていた。


 健二はそっと後部座席に乗り込んだ。こういうとき、ステルス能力はありがたい。


 エンジン音をアピールするかのように空ぶかししてから車を発進させる剣崎。スマホ片手に、荒っぽい発進の仕方だった。


(……ん?)


 健二は、後部座席に放り投げられたビジネスバッグを見つけた。さっきの急発進でバッグが倒れたのか、中から書類の束が覗いている。


(珍しいな。剣崎マネージャーがあんなにたくさん紙書類を持ち歩くなんて)


 エリート意識が強く、「できる男」をアピールすることに余念がない剣崎は、紙の書類を時代遅れだと考えている。

 健二は書類に手を伸ばした。


「ええ、大丈夫です。任せてくださいよ。千影には、最高のおもてなしをさせますから」


 剣崎のそんな声が聞こえてきて、健二は手を止めた。耳をそばだてる。


「あの子は普段澄ましてますが、こっちが強く押せば嫌とは言わない――いえ、『言えない』子ですよ。お好きでしょう? そういう美人。……ええ、ですからお任せくださいって。その代わり、例の件、よろしくお願いしますよ」


(この会話は……)


「ははは。ですよねぇ。世間から天才と言われても、所詮は女子供。自分で何かしようって気概はないもんです。同感ですよ。だからこそ、オレたちがしっかり手綱を握ってやらないと。あいつら、すぐ調子に乗りますから、本当に。……え? いやいや、怒ってないですよ。ちょっと飼い犬に噛まれて驚いただけです。まあ、そろそろ潮時というやつですかね。最近、かわいげがなくなってきたので。ははは」


 健二の眉間に深い皺が刻まれる。

 会話の内容は、おそらく千影についてだ。『飼い犬に噛まれた』というのは、さっきの喫茶店での醜態のことだろう。


 会話の端々に不穏な単語が並んでいる。

 剣崎は、以前から千影や所属女優をまるでモノのように扱ってきた。

 しかし、今回は少し様子が違う。


「客寄せの『広告塔』としてはピッタリでしょう。メインディッシュというやつですよ。千影だって、そろそろ女の艶を身につける、良い機会でしょ。感謝して欲しいくらいですよ」


(まさか、喫茶店でのことを根に持って、千影さんに枕営業を押しつける気なのか)


 噂はあった。剣崎が担当女優や女性スタッフを、性的なサービスに誘導していると。


 芸能界は大きな川のようなものだ。流れが速い一方で、どこかに必ず淀みができる。そして、その淀みに好んで潜む「大物」もいる。

 また、流れの変化にうまく適応して生き残る「小物」もいる。剣崎はその典型だ。


 喫茶店で、剣崎が本来のスケジュールを前倒しして指示してきたのは、千影を大物に引き合わせるためかもしれない。


(そんなことはさせない)


 健二は、後部座席に転がった剣崎のバッグを漁った。資料の束はすべて外国語で書かれている。

 スマホ片手に、健二はそれらの資料に目を通した。

 健二は各国の言語に堪能だ。

 ちなみに、彼は58カ国語を操れる。


(いずれ世界に羽ばたくであろうたかちゃんや千影さんを支えるには、多言語の読み書きスキルは欠かせない。恩返しのために頑張って習得した甲斐があった)


 これは、健二自身の並外れた努力と、夕津姫の神力によって才能が開花した結果だった。


 資料を速読した健二は眉をひそめる。

 それらの書類は、スポンサー契約の草案だった。

 しかし、その契約相手は千影が所属する事務所とは本来関係のない企業だった。事務所の同意を得ているのか、健二は気になった。


 通話を終えた剣崎が、スマホをポイと助手席に放り投げた。取引が前に進んだ興奮からか、それとも喫茶店での苛立ちからか、剣崎はブツブツと独り言を漏らす。


「もう少し躾けたかったが、仕方ない。いくら見た目が良くても、反抗的で扱いにくい女はダメだ。さっさと次を考えよう。さしあたり、あの子か。いや、千影の連れもいい按配(あんばい)だったなあ」


 下卑た口調に、健二は拳を握る。


「……くっ(たかちゃんや千影さんを何だと思っているんだ)」


 そのときだった。

 バックミラーに映った剣崎と、目が合った。


「おい、誰かいるのか!?」


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