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44話 招かれざる客


「千影さん? どうしたんですか」

「……」


 輝夜が尋ねても、千影はしばらく黙ったままスマホを見つめていた。眉間に皺が寄っている。

 気を利かせた輝夜が店員に水を頼む。千影がハッと我に返った。


「ごめんなさい。せっかく楽しく話してたのに、台無しにしてしまって」

「いえ。千影さん、よかったら話してくれませんか。相手、マネージャーさんですよね? 何かあったんですか」


 すると、千影は大きくため息をついた。少し声を落とした。


「剣崎って名前のマネージャーなんだけど、束縛が強くて。今のメッセージも、私の現在位置をしつこく問い詰める内容だったわ」

「ええ……」

「ちなみに、今はフリーな時間。仕事の打ち合わせは19時からよ」

「じゃあ、なんでまた」

「そういう人なの。『止めて下さい』って前から何度も言ってるのに、GPSで私の居場所をしつこく特定してくる。今みたいなオフの時間にも、仕事と無関係なメッセージを送ってくるし」

「そんな、ひどい。相手の方、男性ですよね?」

「そ。前も言ったとおり、私は男運がすごく悪いの。クロバラくんが特別なんだよね」


 千影は力なく笑った。


「千影さん、それなら場所を変えましょう。高嶺の家に連絡して、送迎車を出してもらえば……」

「……そうね。迷惑かけるけど、お願いしようかしら。いきなり乗り込まれて、お店に迷惑をかけてはいけないし」

「おやおや。もう出るのかい。せっかく来たのに、つれないな。千影ちゃん」


 突然、男の声がして輝夜と千影は揃って肩を震わせた。

 振り返った先に、背の高い男が立っていた。

 着崩したシャツにジャケットを羽織り、足の長さが目立つスラックスをはいている。見た目はIT企業の若い社長のようだが、実際の雰囲気は、自分が格好いいと勘違いしているホストのように軽薄だった。


「なんでここまで来ているの」と千影が恨めしそうに呟いた。せっかくお気に入りの喫茶店でくつろいでいたのに、すっかり台無しだ――そんな思いが彼女の表情に表れていた。

 私も苦手だな、この人――と輝夜は思った。


 この男が千影のマネージャー、剣崎(けんざき)狼牙(ろうが)だった。


「心配になって来ちゃったよ。どうして僕の言うことが聞けないかな?」


 口元だけに笑顔を貼り付けて、剣崎が上から千影を覗き込んでくる。千影は視線を合わさないようにしていた。


「今はフリーの時間です。剣崎さんに管理される謂われはありません」

「へー。あ、そう。けどさぁ、僕は君のマネージャーなわけだし。放任は主義じゃないんだよね。千影ちゃんもプロならわかるでしょ?」

「……」

「でもまあ、そうか。君はまだ学生だし、社会の何たるかがわからなくて当然と言えば当然か。ごめんね、気付いてあげられなくて」

「……いえ」

「で、さ。何してんの、こんなところで。僕のメッセージにはすぐに返事をするように、いつも言ってるよね? 僕はマネージャーなんだし? 君がここまで成果を挙げられたのは、僕のおかげでもあるんだし? そこんところ、少しは配慮して欲しいなあ」

「……感謝はしています」

「ホントに? ねえ、ホントに思ってる? ちゃんと目を見て話して欲しいなあ。そうじゃないと、誠意って伝わらないと思うんだ。僕、何か間違ったこと言ってる?」


 グチグチ、ネチネチと。

 剣崎は嫌味混じりの指摘を繰り返した。その言葉には圧力があり、まさにモラハラそのものだった。


(千影さん、こんな人と一緒に仕事をしているのね。男嫌いになっても無理ないよ)


 年上の友人を思い、輝夜は剣崎を睨んだ。

 そのとき、剣崎と目が合う。「おや」と彼は笑った。


「へえ。てっきり田舎の地味子ちゃんかと思ったら、どうしてどうして。すごい美人じゃん。こんな子捕まえて、どうしたの。千影ちゃん」


 そう言うと、剣崎は輝夜を指先から頭の先まで不躾に観察してきた。

 輝夜は無意識に両手で身体を庇う。


「うん、いいね。清純お嬢様はちょうどウチのグラビアモデルにいなかったタイプだ。どう、君? 脱ぐ気ない?」

「な……!?」

「やめて剣崎さん! この子は私の友達なのよ!?」

「将来有望な子をスカウトして何が悪いのさ。千影ちゃんも、この子がウチに入れば寂しくないでしょ?」


 まったく悪びれなく言い放つ剣崎。なんて男だと輝夜は思った。


 剣崎は、黙りこくった輝夜や千影の反応を楽しんでいる。

 ニヤニヤ笑いながら、剣崎はテーブルの上にあったコップを勝手に手に取る。


「ほらほら、黙ってちゃ話が先に進まないじゃーん――ぶっ!!?」


 コップの中の水をぐいと飲んだ途端、剣崎は吹き出した。


「あ、甘っ!? ナンだこれ、クソ甘ぇ……! シロップか!? オレは甘いのが嫌いなんだ!」


 ぺっぺっ、と床に唾を吐く。それから青筋を浮かべて店員に怒鳴る。メッキが剥がれていた。


「おい! なんだここの水は! 僕をバカにしてるのか! 僕は紫月千影のマネージャーだぞ。店長はどこだ? 連れてこい!」


 剣崎の横暴に戸惑う店員。


 輝夜はテーブルの上のコップが、いつの間にかひとつ増えていることに気がついた。


(剣崎って人が甘い物苦手なことを知っていて、しかも誰にも気づかれずにシロップをコップに入れるなんて、そんなことができるのは……)


 輝夜は千影と顔を見合わせた。

 ふたりの思いは一致していた。『彼』がそばにいて守ってくれるなら、もう何も怖くない。


「剣崎マネージャー。ハラスメントはやめてください」


 すかさず、千影が言った。剣崎が振り返る。


「ハラスメントだぁ?」

「ええ。さっきの言葉は威圧的で、カスタマーハラスメントにあたります。それに、私の友人への態度は明らかにセクハラです」

「私もそう思います。やめてください」


 輝夜も加勢する。

 ふたりの少女がここまではっきりと反抗してくるとは思わなかったのだろう。剣崎は狼狽えた。


 一歩、後ずさった瞬間、剣崎は床に足を取られて派手にスッ転んだ。


「ぐっ!? 痛ってぇ……なんだ、床が水浸しじゃないか!?」


 見れば、いつの間にか剣崎の足下にだけ、コップの水を盛大にこぼしたように水たまりができていた。

 慌てて立ち上がったものの、高そうな彼のズボンは、特に尻の部分がびしょ濡れになっている。

 そのあまりに情けないビジュアルに、店内の客たちがクスクスと笑いだした。店員は冷たい視線を剣崎に向けている。


 嘲笑と視線に耐えられなくなった彼は、顔を真っ赤にしながら踵を返した。


「と、とにかく! 千影ちゃん、今日の打ち合わせは19……いや、18時からにするから! 必ず来るように。いいな!? ……くそ、まだ胸がムカムカする。うえぇ、気持ち悪い」


 捨て台詞を残して、剣崎は店を出ていった。

 店内が静かになると、輝夜と千影は顔を見合わせ、目を輝かせて声を揃えた。


「やっくんだ!」

「クロバラくんね!」


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