41話 健二の変化
(ふたりとも、俺を孤独から救おうとしてくれているのか)
健二はプレハブ小屋の壁に寄りかかりながら、輝夜と千影の会話を聞いていた。
日陰でただ見守る自分と、明るい日差しの下で談笑する美少女ふたり。この構図は自分にぴったりだと思っていた。
けれど、輝夜も千影も、健二が思っている以上に健二のことを考えてくれていたのだ。
予想よりもずっと高い好感度に、健二は戸惑う。
同時に、胸がじんわりと温かくなった。
(俺は、ひとりじゃない)
これまで健二は、自分の心には孤独感が欠けていると思っていた。だから、ずっとひとりで恩返しを続けていても平気だと信じていた。
でも、そうじゃなかった。
目を向けないようにしていただけで、健二にも誰かを求める気持ちはあったのだ。
こつん、と後頭部をプレハブの壁に当てる。
ふと、足下に気配がした。いつの間にかやってきていたネコマタが、ちょこんと座って健二を見上げている。
どことなく、健二のことを心配しているように見えた。
「……大丈夫」
健二は言った。
輝夜と千影の思いを無下にはできない。少なくとも、自分が彼女たちの隣に立つ資格がないと考えるのは、もうやめよう。
そう健二は思った。
キンモクセイの匂いが鼻をくすぐる。いつもよりも、香りが華やかに感じた。
それは無意識のうちの行動だった。
健二は、談笑する輝夜と千影の方へ一歩踏み出す。靴の先が、陰と日なたの境目にかかった。
「にゃー」
ネコマタが鳴いた。足下を見ると、ネコマタは健二の一歩先に立ち、健二を見上げていた。
「あれ? 今、猫の声が」
健二はどきりとした。ネコマタに気付いた輝夜がこちらを振り返る。
「あ、やっぱり。三毛ちゃんだ」
「すっかり学園に住み着いているのね。私が学園に入学した頃からいるもの、あの子。けど、その割になかなか人に懐かないみたい」
「そうなんですか? 私はよく見かけますけど。校舎内に入ってくることもありましたし」
「なら、輝夜ちゃんのことが好きなのかもね。もしくは――」
ネコマタを見る千影の目が、ふと優しくなった。
「クロバラくんと一緒に、私たちを見守ってくれているのかもね」
「そうだったら、とても素敵ですね」
輝夜も優しげな表情になる。
「ねえ、やっくん。隠れてないで出てきていいよ――なんて」
「不思議。三毛猫ちゃんのそばに、本当にクロバラくんがいるみたい」
輝夜も千影も、健二の姿には気付いていない。
けれど、ふたりの優しい視線は確かに、健二に向けられていた。
ふいに、健二は輝夜と千影を思いっきり抱きしめたい衝動にかられた。
もう一歩、前へ出る。片足が日なたを踏んだ。
「千影さん。私もこの場所好きになりました。凄く落ち着きます」
「なら、明日もここでお昼にしましょ。ふたりで」
「はい」
笑顔で約束を交わすふたりが、たまらなく眩しく見えた。
口元が、少しだけ笑みの形になる。
目元に、少しだけ涙がにじむ。
輝夜と千影からもらった大切な感情の欠片が、胸の奥から湧き上がってくるようだった。
――ここで、チャイムが鳴り響く。
「いけない。もうお昼終わっちゃう」
「戻りましょうか。お話は放課後にね。輝夜ちゃん」
輝夜と千影は、駆け足で校舎内へと戻っていった。
その後ろ姿を見送った健二は、顔を手で拭い、小さくため息をついた。
「……ふぅ(顔、熱い)」
しばらくその場に立ち尽くした後、ふと周りを見る。いつの間にかネコマタは姿を消していた。
健二は肩をすくめ、用務員室へと入っていった。
◆◆◆
『健二しゃん、確実に変わり始めてるにゃ』
プレハブ小屋を望む木から、ネコマタは健二の様子を見つめていた。
隣には夕津姫の姿もある。
『……我が眷属よ。さっきは少し驚いたぞ。まさか、あのタイミングで鳴いて居場所を報せるとは。お前なら傍観していると思った』
『別に。あそこは健二しゃんの背中を押した方がいいと思っただけにゃ』
『その思いやりを、わしにも発揮してくれればいいのじゃがな』
『夕津姫様に思いやり? そんなことして、ウチに何の得があるにゃ?』
『ふっ。相変わらずなことよ』
『……夕津姫様がツッコんでこない? 今日はちょっと変?』
『なに。愛の形にも色々あると感じただけじゃ』
『似合わにゃいねえ』
『おい。さすがにその一言は傷つくぞ』
夕津姫は渋い表情になった。
我関せずとひらひら尻尾を振っていたネコマタは、ふと夕津姫に尋ねた。
『身体の方は大丈夫かにゃん?』
『気付いておったか』
『ウチは夕津姫様の眷属にゃよ。不本意ながら』
『余計な一言……だがまあ、気遣ってくれてありがとうよ。このとおり、神力は弱まる一方じゃ。限界が近い』
夕津姫は手をかざした。手のひらには、うっすらと空の青が透けて見えた。
『じゃが安心せい。ケンジも心の準備が必要じゃろうし、せめてケンジが自分から姿を見せるそのときまでは踏ん張るよ』
『健二しゃんのお掃除だけじゃ回復が追いつかないのにゃ?』
『さすがに社があの状態ではな。きちんとした手順を踏んで建て替えれば状況は変わるだろうが、今のケンジにそこまで求めるのは酷じゃろうて』
『健二しゃんの実家はお金持ちだと聞いたにゃ。何とかならないかにゃ?』
『ケンジ自身が実家に頼ることを良しとせぬじゃろう。あやつのことじゃ。仮にわしの窮状を知ったとしたら、どんな無茶をするかわからん』
遠い目をしていた夕津姫が、ふと口元を引き攣らせる。
『最悪、とんでもない新興宗教に騙されてしまうやも』
『あー……』
『わしのことはよい。我が眷属よ、引き続きケンジのことを頼むぞ。わしがいなくなったとて、お前まで消えることはないのだからな』
『任せるにゃ!』
『わしの心配など微塵もしていない元気な返事で大変よろしい』
夕津姫は苦笑した。
『ケンジは、5年前から大きく変わろうとしている。そして、あやつを守り、愛する人間たちも周りにいる。たとえわしがいなくなり、影絵の界が失われても、ケンジはきっとやっていけるだろう』
『なに言ってるにゃ、夕津姫様』
ネコマタが尻尾をぴんと立てながら言った。
『あの健二しゃんが、誰かを犠牲にすることを良しとするハズがないにゃ。どこまでも理想を実現させていく。そういう星の下に生まれたお人にゃ』
『……眷属。お前』
『健二しゃんと一緒なら、きっと皆、幸せになるにゃ。それは夕津姫様も例外じゃないにゃ。だからせいぜい、自爆しないように気をつけるにゃ』
『やっぱり一言多い……が、まあよいか』
肩の力を抜く夕津姫の隣で、ネコマタはのんびりと丸くなるのだった。




